英雄への道
着々と進む一手 1話
エリス視点
やる事が無いのよ。うん、一日殆ど暇なのよね。庭からは御者達が馬に声をかけて、飼葉をあげたり、馬を洗ったりと忙しそうに世話をしている声が聞こえる。このお屋敷、先代のノーマン公、つまりローズのお爺さんたちの隠居屋敷だったみたいで、お爺さんが亡くなった際に彼女が継いでいたらしいのよね。
その辺の事は卒業式の断罪イベントに備えて幾つも打っていた手の一つみたいで、本来ならローズのお父さんが継ぐことになっていたんだけど、お爺さんを協力者にすることに成功した彼女が、この屋敷の他にも幾つかの動産、不動産を直接相続したみたい。
随分と先代夫婦に好かれていたみたいね。ただ、相続した資産が意外と莫大な事と、大小多岐にわたっていた為に、彼女自身も全部は把握していなかったようね。特に領地内にある屋敷を断罪の後に利用できる可能性は少ないと判断していたから、すっかり頭の中から抜け落ちちゃっていたみたい。
スムーズに断罪が進んだ場合、その時点でレイモンドが公爵家を継いでいる可能性が高かったから。レイモンドとの関係が悪化した一因にはもしかしたら、この相続の件も絡んでいるのかもしれないわね。彼がこの件を知っているかはわからないけど。
ローズはこのお屋敷の存在をルーフェスの門を通った際に思い出して、頭を抱えていたわ。間抜けにも程があるって。でも彼女が継いだ不動産だけでもかなりの数で、その一つに彼女が送られるはずだった修道院まで含まれているのよね。当然、優先度はそちらの方が上だし、使えないと考えていた屋敷なんか後回しになるのは当り前ね。
因みに修道院は普通教会の土地に建てるんだけど、高位貴族が訳アリの女性を閉じ込める為に運営している修道院というものもあったりするわけよ。簡単に言うと教会関係者に土地と建物を無料で貸して、貴人を預かってもらう。その費用を報酬として寄付の名目で支払い修道院が運営されるという形みたい。
寄付をするのはその修道院に貴人を預けた家で、ローズ本人は修道院を持っているだけで費用は発生しないとは言っているけど、どうも細々とした修繕なんかは所有者負担みたいだし、それ以外にも色々と手を回してケアしているみたい。
自分がいずれ送られる可能性がある修道院だったから、当然なんだけどね。
一応、アイク様にはこの屋敷の件は内緒になっているの。良い女には秘密が付きものよ、とか言っていたけど、そういう秘密は関係ないんじゃないかな。
庭から警備の為に雇った兵が大きな声で朝の挨拶をしている。この後昼食の時間まで訓練して午後は別の隊と交代して警備に入るみたいね。当地で一番の商会から紹介された人たちで、このルーフェスで兵隊として働いていた人とか、船に乗っていた海兵出身で構成されていて総勢は隊長、副隊長含めて50名。
屋敷一つを守るのに少し多い様な気がするけど、流石元は公爵家の隠居屋敷。それ以上の人員を収容して運用するだけの広さと設備は元から供えられているみたいね。
ローズが言うには、この屋敷にエイリークだけなら守備兵なんかいらないけど、私達。特に王女である私がいる時点で、どのみち警備は大掛かりにならざるを得ないってさ。
それでも50じゃ少ないって言っていたけど、よくこれだけ集められたものよね。多分、子爵や公爵がかかわっているとは思うけど、まだ表面上はお忍びでとおっているあたり、随分と子爵も公爵もエイリークに気を使っているわよね。
肝心のアイク様は今度は兵舎のリフォーム作業を始めてしまったわ。マリアが程々にねと忠告していたみたいだけど、やり過ぎたりしないかしら。
そう言えばこの前アイク様がリフォーム業者をするのも良いかなとかおっしゃっていたわね。ローズに瞬殺されていたけど。ただ、他の何をしている時よりもアイク様が楽しそうにしていたから、私は別にいいんじゃないかなって思ったけど。
そのマリアもローズもここ2か月、大忙しで今も各々商談の為に午前中から複数の応接室をフル稼働して動いているわね。
一応私も毎日自分が扱う商品をネットワークから仕入れたり、ネットワークに売りたい商品をローズに伝えたりはしているけど、私の前世のやらかしから、私個人は商人と直接取引する事を禁止されてる。ちょっと悔しい。
でもたった2か月で怖いくらいに資産が増えてしまった。ネットワークの方でもこちらの方でも。一応、資産の一部は屋敷の各々の保管室に、残りは私達でも使えるようになったストレージ内に保管しているけど……。
すぐに保管室には金貨や銀貨、その他の貴重品であふれて床が抜けそうになったから、それ以降は殆どストレージに保管するようになったわ。全部をストレージ内に保管しないのは、色々とあるから、ね。
保管室とは別に庭の方には取引するための品を一時保管する大きな倉庫があって、そこにひっきりなしに警備の兵隊と荷車を引いた商人が出入りを繰り返しているわね。
彼らが倉庫を出入りするたびに、私たちの資産が増えていく事になるのね。持参金として王家から持たされた資産は金貨一枚を使う間も無く一方的に増えて行ってるのよね。
前に皆と話していた通り、派手にやっているからこれから先も色々とイベントがありそうね。
「失礼します。紅茶をお替えいたします。」
こちらに来てから新たに雇ったメイドが入れなおした紅茶と交換してくれる。王家から連れてきた侍女たちは一人は私の側で私のお茶の相手を務めてもらっている。本人は何度も遠慮していたんだけど、一人でお茶を飲むのは寂しいからというと仕方なしに付き合ってくれた。
本当にやることが無いのよね。こうやることが無いと、主婦だった頃が何だか懐かしくなるわね。あの頃は家事から束の間解放されると、家事なんかやりたくないなんて言っていたけど、やらなくていい立場になるとなんとなく落ち着かない。
料理でもしようかしら。
ふと思いついたのは良いのだけれど、既に屋敷の厨房では腕を振るうコックが8人フル稼働で働いているのよね。
兵隊さん50人。メイド14人、コック8人、侍女7人、御者4人。後は私たちとアイク様。全部で87人分の朝食、昼食、夕食にたまに夜食。一日260食前後の食事を作るって大変よね。
男性職員は屋敷内に入れるつもりは無いみたいで執事とか家宰なんかは雇わない方針。ちなみにコックは全員女性。その辺はローズとマリアが徹底していたわ。警備の兵も屋敷には最低限しか入らないようにしているみたい。
商人との交渉の際にメイド一人と警備兵一人を必ず伴うようにしているって言っていたわ。その際に同席したメイドと警備兵が商人と共に倉庫に向かって商品の出し入れをする形をとっているようね。
警備兵が足りないから近いうちに増員しなくちゃって言っていたけど、もっと増えるのかー……。
厨房はコックたちの戦場になっているし、今時分は昼食の仕上げとおやつと夕食の仕込みで、てんやわんやなはず。
この屋敷の各部屋にはコテージにあった様な設備は全部そろっているし、ストレージを有効に活用すればこの場で簡単な調理も出来る。換気の問題はあるけど、まぁ窓を全開にすれば何とかなるわよね。
やる事は無いし、暇だし。殿方のハートをつかむにはまず胃袋からというのはどの時代、どの世界でも定番のネタよね。アイク様は好き嫌いは特にないとはおっしゃっていたけど、苦手なものが無いのなら、ここは定番から攻めてみようかしら。
昔、旦那に褒められたのは肉じゃがとか鶏肉の煮物とか……。後は炊き込みご飯は簡単だけど喜んでもらえたのよね。
息子はご飯は白米に限ると言って食べてくれなかったけど。後はカレーライスとかハンバーグは定番よね。男の子が好きな物。唐揚げ、とんかつ、ステーキ、パスタ。息子はラザニアが好きで、作ってあげるたびに喜んでくれたなぁ。
そう言えばよくモツ煮も作ったっけ。私の作るモツ煮はご近所さんにも好評で、多めに作ってはお裾分けに持って行ったわ。お返しにいただける料理がまた助かるのよね。その日の夕食にちょっと一品追加、みたいに。
久しぶりに料理をすると決めたら何だか楽しくなってきたわね。
食材も機材もネットワークで手に入るし、水回りがちょっと問題だけど、まぁ、何とかなるわよね。火事が怖いからIHを設置して。圧力鍋も使いたいわ。
洗い物はどうしよう、そこは後で洗い場に持っていけばいいかな。ん、そう言えばストレージにそのあたりの機能もあった様な気がするわね。汚れ物をきれいにする効果もあるとか言ってたような気がする。
試したことはないけど、せっかくの機会だし色々と試してみようかな。
その前に何を作るかメニューを決めなきゃ。ローズやマリアにも何か作ってあげたい。お菓子とかデザート類ならオーブンを使わないものならこの部屋でもできるし、マリアが喜ぶようなものがいいわよね。
彼女、ババロアとか好きかしら。あれなら冷蔵庫があれば作れるし。
あらあらやだやだ。いつの間にか私も忙しくなってきたみたい。まずは筆記用具とメモを用意して、レシピを思い出さないと。
料理をしなくなってから30年位立っているはずだし、まずは簡単なものから始めようかしら。
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