最初の一歩 3話 「一歩」

 30年ぶり、特に望んだわけではないが旧交を温める事になった後、ラーゼント商会を後にして、帰路の途中にある茶屋に寄った。



 この時代に嗜好品である茶を提供する店となると、庶民が気軽に入れるような店では無いし、置いてある品物も値が張る。甘味なども置いてあるにはあるが、時代考証的に茶屋があること事態、多少不自然なのだが。



 この世界が乙女ゲームの世界という事でなんとなく納得がいった。デートイベントとかに必要だからな。



 この世界では紅茶が流通し、貴族や富裕層だけではなく一般庶民も質の下がる安物を手に入れて、お茶を楽しんでいるらしい。



 そう言う世界なんだろうと深く考えないで納得する方が、精神衛生上とてもよろしい。





 何故茶屋なんかに寄る必要があったのか。



 それは、ダニエルとの交渉は短かったし、特に困難な交渉など無かったはずなのだが、短時間にマリアがぐったりとしてしまうほど消耗してしまったからだ。




 傍から見ていて特別な事などなかったように見えたんだけどな。商会を出て最初の曲がり角を曲がったとたんに彼女が腰を抜かしたように地面に座り込みそうになって、慌てて抱える事になった。




 「あれは駄目ね。甘く見ていたつもりは無いし、十分に警戒していたはずなんだけど、普通にばけもんだわ。流石ルーフェス一の豪商。生き馬の目を抜く商売の世界で勝ち残ってきただけはあるわね。」




 茶屋で紅茶を啜りながら、クッキーを齧って一息ついた後、ぼそりと呟くようにマリアが漏らす。まさに疲労困憊といった様子で、紅茶を飲むときとクッキーを齧るとき以外はテーブルに突っ伏している。




 「お行儀悪くても、ちょっとごめんね。立ち直る時間が欲しい。」




 「まぁ、個室だからな。周りに人目は無いし俺は構わんが。そんなにか?



 他の商人の紹介依頼と、信頼できる護衛の複数の伝手、ぐらいだろ。ダニエルに頼んだのは。ダニエルも嫌な顔一つしないで引き受けてくれたように見えたけどな。」




 苦笑しながらマリアは首を横に振る。




 「そりゃまぁ、横から笑顔で話しているダニエルさん見てればそういう感想しか湧かなかったかもしれないけどさ。正面からやり取りしてるこっちの身になってよ。



 なんかすっごいプレッシャー感じるのよあの人。表情と表情の隙間って言うのかな。一瞬だけ見せる本音の顔。微表情っていうんだっけ?そういうのが一切見えないの。



 それでもね、目だけが訴えてるのよ。



 うまく言えないんだけどね。見張っているぞ、みたいな感じ。下手な事をしたら排除してやる、そんな心の声が聞こえる。



 一切見せないんだけどね、そんな素振り。」




 つまりは、それが解るくらいにはマリアの察知力が優れているという事か。俺は全然気が付かなかった。隣で能天気に紅茶呑んでたけど、思い返してみればマリアは最初に少し口をつけたくらいで、その後は一切お茶に手を付けなかったな。




 「お茶なんか呑んでいる雰囲気じゃなかったのよ。余裕見せてやろうと思ってニッコリ笑い返してやるのが精一杯だったわね。



 現実は厳しいわね、私の様な小娘じゃ相手にならないわ。



 私がまだしも交渉できたのは元々のこちらの立場が強かったからっていうのと、あちら側にアイクさんを、いや……、エイリークを敵に回すつもりが無かったからって言うのが理由ね。



 それなりに交渉事には自信があったし、ルーフェスまでの道中で何回か商人を泣かせたから、過信しちゃったかも。」




 小声でもしかしたら泣いてた商人も、そう見せていただけで逆に手玉に取られていたなんてないわよね?相場から考えれば、そんなことはないはずなんだけど、と呟いてまたテーブルに突っ伏す。




 「あ〝ぁぁあ〝あ〝ぁ~~、今日はもう駄目、無理。悪い事ばかり考えちゃう。」




 「ま、焦らん事だ。少なくとも力づくの交渉なら、人類風情に負けるつもりは無いからな。」




 「人類に風情とかつけるなし。私たちは、その人類社会と共存して生きていかなきゃいけないんだし。そういう所を直さないと、人との隙間は埋まらなくなっちゃうよ。」




 苦言を一言、呟いた後に脱力した笑みを浮かべて俺の横に座りなおして腕に抱き着く。うろたえる俺に、




 「誰も見ていないんだし、これ以上何かをするつもりは無いからいいじゃない。少しは頑張った私にご褒美ちょうだいよ。」




 と言い放つ。いや、これが当ててんのよって奴かと考えて体に力が入るが、こんな状況でも魂の改造を受け入れた俺の……。




 「ま、いい経験をさせてもらったわ。次に機会があったら殴られっぱなしじゃなくて一回くらいは殴り返せるように頑張るからさ、今は私を癒してほしいな~。」




 顔を見つめてた後、さらに肩に頭をのせてくる。




 「お、おう?」




 「怯えないでよ。緊張するのは仕方ないけどさ、私だって緊張しているんだからお互い様でしょ。



 一応これでも私は乙女ゲームのヒロインキャラクターなんだから、外見は良いはずなんだよ。スタイルもね、ボーンよボーン。出るところはね。少しは喜んでくれるとプライドが傷つかなくて済むんだけどな~。




 まぁさ、私にはわからない何かがあったのかもしれないし、そこは私達からは聞かないって決めているから安心して。



 たださ、少しづつで良いから私達に触れて、慣れていってほしいかな。」




 清歴161年のベテランに中々無理をおっしゃる。こちとら前世の40年ですでに拗らせて、こちらでさらに熟成を重ねてしまった人類史上まれに見る3ケタオーバーのビンテージ物だ。



 童貞が還暦を過ぎて童の帝になるのなら俺は一体何になるのか。



 30過ぎのチェリーボーイが魔法使いになるのなら、トータル161年だと大魔法使い、賢者、大賢者を通り過ぎて2週目に突入していそうだよな。





 こちらの世界に生を受けてからも、便利に使える二次世界に逃げ込んでダメ男としての下積み性活を積み上げてきたのは伊達じゃない。



 清き男の功夫を積み上げて至った至高の頂から、今更簡単に降りるつもりは無いのだよ。理想のハーレムを手に入れる為には、妥協は許されない。





 ……決して女が怖いわけじゃない。





 いや、別に三人が好みじゃないとは言わないけどな。マリアも自分で言うだけはあって、普通にかわいいし、性格もちょっと怖いけど根は良い奴だと思う。



 普通に緊張するし柔らかな感触がするたびにドキドキするし。良い匂いがする。あの朝、俺を包んだ匂いだ。




 良い娘達だからこそ、ハーレムって酷いよな。何が正解なのかわからん。でも彼女たちは俺なんぞに関わらず普通に幸せになるべきだ。






 俺にはもったいないよ。なぁお前もそう思わんか?






 「ローズは奇麗な金髪だしさ。あのドリルってたいしてケアしなくても勝手に巻がかかるんだってさ。本人は気にしているみたいね。



 エリスも奇麗な銀髪で手触りサラサラよね。ポイントはアルビノじゃないってところかな。目は奇麗なアイスブルーだし。マジで羨ましいわ。



 二人が羨ましいわ。私って結構この手のヒロインにありがちなピンクブロンドじゃない。これってさ絵で見ると可愛らしいし違和感ないんだけどさ。





 こうやってリアルで色々な色の頭髪がある世界に生まれてみるとピンクブロンドってすごく微妙よね。リアルで見ると違和感凄いし、何というか顔が浮くんだよね。



 馴染まないっていうかさ。18年見慣れたはずのこの顔だけど、鏡を見るたびに未だに違和感がたまらないわ。



 てかさ、何でこの世界の文明の程度で、普通に使える鏡があるんだろうって不思議じゃない?値段はそこそこするけどさ、一般庶民でも少し無理をすれば手に入る価格だし。」




 深い所に思考が落ちかかった時。腕にしがみついたままの彼女の、正直どうでも良さそうな会話が思考の底なし沼でおぼれている俺を掬ってくれた。




 心の棚の奥底にしまい込んだはずの一品にまだ顔を会わせる気にはなれないはずなんだけどな。





 ほんの少しだけこわばった顔をしたマリアが俺の顔を覗き込みながら話し続けている。そのことに気が付いた俺がマリアの方に視線をやると、安心したように笑顔に戻って腕を開放してくれた。




 「いつまでもここに二人でのんびりしていたいけどさ。皆が待っているだろうし、早く結果を知らせないとね。帰ろっか、私達の家にさ。」





 そう言うと今度は俺の手を引いて席を立つ。小さな声で「ごめんね。まだ早かったかもね。」と呟いた後、手を放し会計を済ませて店を出る。




 帰路。特に会話は無かったけど、席を立つときに彼女に引かれた手が、なんだか少し寂しかった。

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