最初の一歩 2話
突然の訪問に嫌な顔一つせず、丁重に応接室に通されてソファーをすすめられる。今は隣にマリア一人連れているだけでローズとエリスは屋敷でお留守番だ。
ローズからの依頼でルーフェス一の豪商で当地の子爵家の子飼いの商会、ラーゼント商会と繋ぎを作る心算で商会の前まで来たは良いが、一面識もあるわけじゃない。いったいどう接触しようかなと考えていた所、商会の奥から会頭が突然出てきて話しかけてくれた。
後で聞いたマリアの話だと偶然じゃないらしい。かなり前からうちの屋敷を見張っていた人たちが複数いたようで、その内の一人がこの商会の息のかかった人物だった。
既に俺たちの動向はルーフェスの一部の人間の注目を集めているようで、ラーゼント商会の会頭さんも俺が何者かわかっていたようだな。
「お久しゅうございます。この度は再びの当商会へのご用命、まことに光栄でございます。ささ、この場では人目もありますゆえに。よろしければ粗末な部屋ではありますが、どうぞ上がってください。」
8か月前にこの町に来た時にどこかで顔を合わせたことがあるのかもしれない。思いもよらない展開に少々動揺しながら、進められるままに応接室へ通されてソファーに腰を落ち着ける事になったのだ。
ローズもマリアもとりあえず商会の前まで行けば後はあっちが勝手に出てくると言っていたけど、本当にそうなるとは思わなんだ。
メイドが俺とマリアに紅茶らしきものを出してくれる。急な訪問だったからな。会頭は少しやることがあるから時間が欲しいといって席を外している。メイドが部屋を出て数分もたたずに会頭が応接室に戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません。私、このラーゼント商会の会頭を務めさせていただいております、ダニエル・ラーゼントと申します。どうぞお見知りおきを。」
「あぁ、俺はアイクと言う。どうも既に俺の事を知っていそうだがな、一応紹介しておく。それとこちらの女性はマリア。俺の相棒でな。色々と助けてもらっているんだよ。」
紹介をしながら握手を交わす。一瞬ダニエルの目が何かに驚いたような顔をしたが、すぐに何でもない様な表情に戻る。
「初めまして、わたくしマリア・スル・クロジアと申します。」
「スル……、なるほど。マリア様とは今後ともご贔屓にしていただけると幸いです。
それで、どうですかアイク様。30年ぶりのルーフェスは。」
「ん、そうか。だからお久しゅうだったんだな。」
「そういう事ね。話は聞いていたけど、やっぱりこのラーゼント商会は30年前あなたが取引をした商人が起こした商会だったわけね。」
あぁ、確かにどこかで見た事がある様な親父だと思ったら、そうか。
「あの時、親父さんの後ろでオロオロしてた15~6のガキがいたけど、お前あの時のガキか。いや、親父さんにそっくりになったな。
親父さんはどうした、確かマルクって言ったっけ。息子に後を任せて楽隠居なら言うことなしだけどな。そうかあの時のな。
あんときは確かただのマルクだったからな。家名を持てるまで立身したんなら大したもんだよな。」
それほど思い入れがあるわけでもなく、特別な思い出もないけど30年か。思い出してみると懐かしく感じるものだな。確か借金してでもできるだけ仕入れをしたいから時間が欲しいとか言っていたな。
「当時漏れ聞こえたマルクの会話の中でかなりヤバメなところから金を引っ張るみたいなことを言ってたよな。
結局3日でどうやって作ったのかと疑問になるほどの金を作って、それを全部仕入れに回して俺から品物を買いまくったのを覚えているよ。
確かあの時俺から買っていったのは……。」
「メインはシルクでしたな。後は格安で卸していただけた香辛料と大量の鉄。香辛料は確か当時の相場の10分の一で卸していただけたようで、お陰で早い段階で借金が返せました。
物が良くてもそれがお金に代わるのは少し時間がかかりますからね。香辛料はいつでも品薄ですし、需要がありますから右から左に直ぐにお金に変わったそうですよ。
流石に、量はそれほどありませんでしたが、利益が半端ではありませんでしたからね。後はじっくりとシルクと鉄を売りさばきまして。
おかげさまでラーゼントの家名を名乗ることが許されるほどになりましたよ。」
「いや、大したものさな。あの時はこいつ大丈夫かって、ちと心配になっちまってな。つい仏心を出して香辛料を特売価格にしたんだが、それを聞くと更にどこからか金を借りてくるとか言い始めるからな。
いい加減にしろって言ってやった記憶があるよ。」
思い出話に花を咲かせるでもないが、俺とダニエルの会話をマリアは邪魔をしないようににこにこと黙って聞いている。こいつ、ローズに負けず劣らずタヌキだよな。この後マリアが交渉担当する予定だから、今はじっと話を聞いて情報を集めている段階なのかもしれないな。
因みにローズとエリスがお留守番なのは交渉の場であっても子爵の子飼いの商人に主家や王家にあたる者が出てくるとなると。当然ダニエルとしても飼い主の子爵に報告しなくてはならないし、報告を受ければ子爵とて挨拶をしないわけにはいかない。
ダニエルが俺の存在に気が付いているほどなのだから子爵にも情報は上がっている。王都で何があったかも当然知っているだろうし既に公爵とも連絡を取り合っているだろうな。
つまり、ルーフェスの上層部はこの町にローズやエリスがいる事も、俺がいる事も把握して、接触を控えているという事になる。お忍びであるというこちらの意を酌んでくれているのだ。
その状態で、ローズやエリスがラーゼント商会との交渉の場に出てしまえば、立場上子爵に会わないわけにはいかなくなると言うのが二人の話だ。だから「おとなしく家で留守番しているわ。」と言って部屋に籠ってPCをいじっている。
何やら面倒な話だし、何故そうなるのかがよくわからんが、そう言うものらしい。ダニエルにお忍びであるから子爵の挨拶は不要であると伝えればいいだけだと思うけどな。
そう言われるのが不名誉になるらしい。面倒な話だな。子爵本人は何とも思わなくとも、他者にそれを知られると面目を失い社交の場で侮られるらしい。
あ~嫌だ嫌だ。俺は絶対にそんなもんには近づきたくないな。
一時は馬16頭、放棄する事を考えてまでお偉いさんとは関わり合いになりたくなかったんだが、所詮は無理な話だったな。
「ええ、父もその一件は何度も話してくれましたよ。アイク様に止められなかったら妻を質入れしてでも金を作ったかもしれないと。」
「いや、そこまでやろうとしていたんかい、あの親父。」
冗談なのかもしれないけど当時のマルクの表情を思い出すと、冗談だと笑う事が出来ない。
ふと暗い顔になりダニエルがマルクの近況を伝えてくれる。
「久しぶりに父の話を聞けて嬉しいですよ。実は申し遅れましたが、父は6年前に病にかかり他界してしまいまして。」
そうか、もう逝っちまったんか。6年前じゃまだ60にもなっていないだろうに、早すぎるな。
「最後までもう一度アイク様に会いたいと申しておりました。あの時のお礼がしたいのだと。今回、ようやくお会いする機会を得る事が出来ましたこと、本当にうれしく思っています。
そして父に成り代わり、お礼を言わせてください。
あの時、私の父マルクに声をかけていただき、本当にありがとうございました。
商いに行き詰まり、先の見えなくなっていた私共に希望の光と救いの手を差し伸べていただけたこと、父の代わりだけではなく私自身の思いとしても、お礼申し上げます。」
そう言ってダニエルは深く頭を下げた。
なんかこう、ムズ痒い物があるよな。こういう場面って。正直苦手だしな。礼を受け取ると宣言して、早々に頭をあげてもらった。うん、交渉をマリアが担当してくれて助かるな。これ俺がこのまま商談なり何なりしたら、ローズが設定した目的を達成できるかちょっと自信ないわ。
「まぁ、昔の話は置いとこうや。」
「ええ、申し訳ありません。父の話に、つい夢中になり過ぎまして。
アイク様は今回、昔話をしに来たわけではないでしょうに、長々と突き合わせてしまいましたね。
それで本日は、どのようなお話で当商会を訪ねていただけたのでしょうか。」
「それについては俺の相棒のマリアから話を聞いてくれ。俺は口下手なんでね。彼女にすべて任してあんだよ。」
そう言うと、ダニエルは予想していたのか、ニッコリと笑みを浮かべ、その笑っていない目だけを彼女に向ける。
黙って状況を見ていた彼女が交渉人だという事に気が付いていたらしく、話している最中にも彼はマリアを観察していた。
こういう所だよな、商人の怖い所は。だけど今回はそれほどタフな交渉が必要なわけじゃないし、ローズに言わせればこの中で一番マリアがこの手の交渉事には長けているらしいから、心配する必要はないかな。
ただ、マリアに言わせるとこの手の交渉に限らず、人を罠にはめたり操って手玉に取ったりするのはローズの得意分野だそうで、自分等足元にも及ばないとの事だ。
どちらもどちらを高く評価している、という感想でいいのかちょっとわからんが、結論は両方とも怖いって事でいいよな。
「なるほど。スル・クロジア様、どうかお手柔らかにお願いいたしますよ。」
「ええこちらこそ、ラーゼント様。私の事はどうかマリアとお呼びくださいな。」
マリアの笑顔も目が笑っていない。いやさ、こいつらなんなん?
俺は色々とチート抱えて、やりたい放題しているけどさ、本当に怖いやつとか化け物って言うのはこういうやつらの事を言うんじゃないかなという気がしてくる。
「それはそれは……。それでは私の事はダニエルと。」
両者の笑顔に挟まれた俺は、とりあえず現実逃避をするために既に冷めてしまった紅茶を啜る。うん、なんかこのパターン最近繰り返しているような気がする。
春が近づいて、温かくなってきたはずなんだけどな。花冷えかな。
暑さも寒さも関係ないはずの身体がぶるっと震えた。
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