悪役令嬢と俺 2

ローズ視点


 第二印象は違和感。米俵か何かのように肩に担がれて暴走されているうちに、暴れても逃げ出せないことを悟った私は、一旦逃亡を諦める。



 お陰でほんの少し冷静になれて、状況を観察する事が出来るようになった。呆れる事に私は今まで左右どちらに担がれているのか、すら解っていなかったのだ。




 次善の策を模索する為にまず自分の状態を確認するけど、なにせ縦に横に激しく揺れるせいで、バランスを取るのに一苦労。当然この速度で地面に投げ出されたらひとたまりもない。ついさっきまで自分からそうなろうとしていた事を考えるとぞっとする。



 気が付けば、バランスを散り損ねて肩から落ちそうになるたびに、男は私の体に出来るだけ負担を加えないように支えてくれている。意外に優しさを感じる。単に逃がしたくないだけなら、私の負担など考えないで乱暴に支えるだろう。





 ところで、ふと思ったんだけど普通人間を肩に抱きかかえるとしたら、抱えられる方の頭は抱える人の背中側に向くものだと思うのですけど、何故頭が進行方向に向いているのでしょうか。



 これ、どうやっておろすつもりなんだろう。下手するとそのまま頭から放り投げられそうで怖いんですけど。私の心配をよそにまた強い揺れが私を襲い、バランスを崩しかけるけど優しくフォローが入る。こんな気遣いする人が、頭から放り出したりはしないかな。とりあえずこの場は考えないようにする。



 なんなのだろう。彼にこの身を運ばれている内に、何やら微妙な違和感に気が付いた。私を肩に担いですごい速度で走っているので私の手足はバタンバタンと上下左右に揺らされて、その度に彼の恰幅のいい突き出たおなかに手が当たっているのだが、何やら私の手がその突き出たお腹を通り越して突き刺さっているように見えるのだ。お腹を通り越して数十センチ奥に本当の体があるように感じる。両の手に伝わる彼の体の感触は、贅肉の柔らかい感じではなく、何やらゴムの塊の様な、中身が引き締まっている感じなのだ。



 これは一体何なのか。



 戦場の幽鬼、エイリークの逸話でよく語られるのが、時折顔から燐光を発し、顔面の彼方此方がぶれて人相がわからなくなる。顔が重なっているように見えるという事だけど、これもしかしたら顔だけじゃなく全体が実際に見えている輪郭と実体が違っているのかもしれない。



 そんな事ってあり得るのだろうか。



 ついさっきまで恐怖で混乱していたけど、今は別の意味で恐怖、というか未知への畏怖があふれてくる。少し落ち着いて考えたい所ですけど、こうも滅茶苦茶に揺らされていては、考え事をするのも容易ではありません。







 暫く揺らされているうちに一気に疲れが出たのかいつの間にか気を失っていて、気が付いたら手足を縛られて何やら高価そうな敷物の上に寝転がされていました。



 あぁ、喉が渇いた。昼食時に少し水を飲んだ切りだから、もう喉がカラカラだ。口の中が粘々しているし、大声を出し過ぎたせいか喉がガラガラしているようで痛い。



 拘束はされているけど目隠しはされていない。恐る恐る薄目を開けて周囲を探ってみるが私の見える方向には森しか見えない。背中が暖かいし、後ろから焚火の燃える気配がする。なにやらゴソゴソ作業をしている音が聞こえるけど、確認するには後ろを振り向くしか方法はない。手足が縛られているから自然な形で寝返りをうつことは不可能だ。





 不意にプシッと懐かしい音が聞こえて恥ずかしながら、思わず喉を鳴らしてしまった。一瞬背後の気配が私の喉鳴りに反応したように感じたけど気のせいだったようね。何の音か理性が理解する前に、勢いよくゴクッゴクッと何かを飲み下す音が焚火の音に紛れて耳に入り、先程の音と合わせて私にあり得ない想像を掻き立てさせる。



 一気に飲み下した後に息を吐く音が聞こえ、その後にゲップの音が聞こえる。まるで缶入りの炭酸飲料を飲み干したような一連の流れに、強烈に後ろの状況を確認したい欲求にかられる。





 その後何やらしばらく作業する音が聞こえてきたけれどももう一度プシッと小気味のいい音が聞こえてきたとき私は自分の好奇心を抑える事が出来ずに遂に振り向いてみてしまった。



 前世の頃に見慣れたはずの銀色の缶を呷って豪快に喉を鳴らすその姿を。本来この世界にはありえないその銀色の缶に目を奪われて、次いで思考力も奪われていたけど、その時のも強い違和感を感じた。



 その違和感の正体は、先程と同じものなのだけど、それを即座に認識できるほど私は冷静ではなかった。少しの間、確認の意味も含めて呑む姿に見惚れていたが、あれ、顔の輪郭に缶が突き刺さっているように見えるのですけど。



 ふと、飲むのをやめた幽鬼と私の目が合う。まずいと思って目をそらそうとしたけれど、本能かそれともその缶の正体を見極めようとしていたのか、彼の右手に握られている銀色の缶から目が離せない。




 「それで、もう狸寝入りはやめたのかい。金髪縦ロールのお嬢さん。」




 その言葉の端に私の状況を把握していた事をにおわせる言葉と私に対する警告の様なニュアンスを感じる。



 私の視線の意味に彼も気が付いたのだろうか、面白そうにその手にある缶を右に左に動かして私の視線を誘導している。からかわれているのは解っているのだけれども、どうしても目が缶から離せない。



 つい声が出たかもしれない。からかうのをやめたのか、彼は残っているビールを一気に飲み干して、これ見よがしに私の目の前に空き缶を置く。もしかしたら缶を観察しやすいようにという配慮なのかもしれないけど、別に缶を隅々まで観察したくて見つめていたわけじゃないわよ。




 「ふん、どうやらこれが何かわかっているみたいだな。そうするとさっきの喉鳴りは気のせいじゃなかったってわけかい。中身は見た目通りじゃねぇって事なのかな。」




 やっぱり!さっきの喉鳴りがばれていた。思わず顔に血流が集まりそうになるけど、何とか意志の力で知らないふりをして、彼の目を観察する。



 彼の言葉から推察するに、おそらく彼は私と似たような立場の人間。ただ、私よりもかなり有利な状況でこの世界に生まれてきているはず。それが知識なのか、それとも小説によくありがちな、特殊な能力によるものなのかは解りません。



 この世界にはファンタジーにありがちな不思議な力はないはずです。魔法も超能力も、魔物も神様も実在が確認された記録はありません。





 ただ一つ、目の前の男の正体だと思われる戦場の幽鬼エイリークだけは不思議な逸話がいくつも残っていますし、現在進行形で私も不思議な現象を観察してます。これが何なのかはまだ判断できませんけど。



 目の前に置かれた空き缶はどう考えてもこの世界の技術力で再現できるようなものには見えないし、表記されている文字はアルファベットに日本語。もしこの世界で缶ビールを作れる技術を再現したのだとしても、この表記を使用することにどれほどの意味があるのか理解不能です。






 時間がありません。気を失ったふりを続けて考える時間をできるだけ稼ぎたかったのですけど、こうなったらできるだけ相手の内面を探って、この後の交渉を有利に運ぶ材料を手に入れなくては。



 何とかこの場を切り抜けて早く修道院にたどり着く。修道院にはバッドエンドに備えて直ぐに行動できるだけの備えをしてあるから。できるだけ早く反撃の態勢を整える。そしてマリアを、友達を助けたい。



 そう思いやり、彼から読み取れるすべての情報をとらえようと気を入れた次の瞬間私の口から、とても自分の言葉じゃない様な音の羅列が飛び出した。




 「あぁ~、うそ、ねぇ何でこんな。え、これは夢でも見ているのかしら。え!?どういう事?」




 自分の口から出ているはずのこの言葉が、自分でも理解出ない。さっきまであるはずのない缶ビールを見ていたのだから、この事態も予測できたはずだけど、それでも衝撃的だった。目の前で起きているレトルトカレーライスの完成と、それを食べ始めている男の姿を目にしたとき、私の心の中の何かが壊れたの。





 多分、それは単純な食い意地とか意地汚い感情とかじゃなくて、郷愁。





 嗅覚と記憶が強く結びついているって本当ね。とっくに割り切って、心の底に沈めたはずの故郷の記憶。鼻につくカレーのスパイシーな香りに思わず喉が鳴るのではなく、胸の奥が締め付けられる。ついでにお腹が鳴り始めるのはご愛敬だけど。



 自分のお腹が鳴っていることに気が付くことなく、私は縛られた手足で藻掻いた。涙がこぼれそうになった。





 帰りたい。まだ生きていたはずの両親のもとに。私を愛してくれたはずの恋人のもとに。私の死を悲しんでくれたはずの友人のもとに。私が悩んでいた時に側に居て支えてくれた妹の所に。



 もう、どんな顔だったかもあんまり思い出せない家族のもとに帰りたい。もしかしてあのカレーライスを口にすれば、全部夢だったと、目が覚めてあの日の朝に帰れるかもしれない。



 そう思うともうどうしようもなくって、必死に芋虫のように体を動かした。涙が出なかったのが唯一の救いだと思う。

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