第二章
1
「
「……兄ちゃん」と喜乃が、ぼうっとしながら俺を呼ぶ。俺は首を傾げた。喜乃はゆっくり起き上がり、ぼさぼさの頭を掻いて、俺からすぐに目を逸らす。「いや。やっぱなんもない」と言って笑った彼が言葉を飲み込む様子を、この三年間、毎日のように見続けている。
迫田流星がいなくなった、三年間――
弟の喜乃が抱えているそれに触れられそうで、でもだからこそ、俺は絶対に触れたくなかった。
喜乃は、「彼女」と違い、学校にも通っているし、友達も沢山いるようだし、部活にも励んでいる。しかし俺にはそんな弟が、「迫田流星を振り払おうとしている」ようにしか見えないのだ。そしてそれは、多分だけれど、事実なんだと思う。
喜乃は一体なにを抱えていて、なにを俺に話したくて、そしてどうしてそれを飲み下してしまうのか――ぎこちなく喜乃が笑う様なんて、もう俺は見たくはない。なのに、俺はそんな喜乃に気が付かない振りをして、当たり前の日常を過ごしている。
そんな俺自身を見ているようだから、俺は「あいつ」が嫌いなのだ。
2
「流星のことを調べる」と決めてから、またすこし経った。調べる、と一概に言っても、その方法がまったくわからないために、俺はベッドの上で唸っていた。
こういうことを調べるとき、一体どうすればいいのだろう……。こんな風に、夏休みをそれなりに満喫して、昼間から堂々とベッドに転がっているような一般の男子高校生である俺には、サスペンスドラマしか参考にできるものがない。だから、いくら考えても、いつの間にか脳内でくだらない妄想が巡りだし、いつも思考はそこで停止するのだ。
「やっぱり、どう考えても無理だよなあ」
第一、イツカが絶対に流星の死と関わっているといいきれるわけでもない段階で、一体どこまで動いて良いのかわからないんだよな、と何度も考えたことをまた繰り返し、俺は目を瞑る。
方法が全くわからないせいなのか、それともやっぱり俺は妹のことなんて興味がないのか。
情けないことに、面倒だという気持ちが湧いてくるばかりで、俺はいまだ一歩も動けずにいるのだ。
瞼を閉じてすぐ、どうも眠っていたらしい。意識がおぼろげに覚醒し、「ああ、寝ていたのか」と目をこする。
隣からがたんと音がして、イツカがトイレでも行こうとしているのだろうか、と俺はベッドから起き上がった。
ひとつひとつの物音に、勿論、毎度イツカを確認しにいくことはない。でも、なんだろう――ふと、イツカの腕にびっしり残る自傷の痕を思いだした。あいつは、俺がこうしている間にも、何度もあんな傷を作っているのだろうか。
「迫田流星が死んだ理由は、妹のイツカにあるのかもしれない」――
クソ、と小さく呟き、俺はベッドから立ち上がる。深いため息をついて、財布とスマートフォンだけ乱暴につかんで家から出た。自転車にまたがろうとして、外の不快な暑さと太陽光のせいで熱を帯びたサドルに悪態をつく。
流星が住んでいたマンションに自転車を停める。迫田家のベランダを仰ぎ見て、はあと息を吐いた。あまりの暑さで、全身から汗が噴き出している。
マンションだから、まずおばさんをインターホンで呼びださなければ、中に入ることもできない。三桁のなじんだ番号を押しながら、この間も墓参りをしたいからと言って同じ行為をしたはずなのに、なぜだかそれにひどく懐かしさのようなものを覚えた。
稍々待ったあと、「はい」とおばさんの慎重な声がする。「あ、おばさん。……雪平です」
俺は昔からの癖で、この家のインターホンを鳴らすとき、苗字ではなく「雪平」と下の名を名乗ってしまう。
小学校低学年のときから、イツカは流星と遊ぶようになり、頻繁にこの家に押しかけていたから、イツカを迎えにくるのはよくあることだったのだ。
だからこそ、三年間まったく訪ねなかったはずのこの家でも、その部屋番号や「雪平です」と名乗るいつものパターンを、俺はしっかり記憶しているのだろう。
なんだか、三年前にタイムスリップしているような気がする。それでも俺の体格は三年前のそれよりでかくなっているし、声も低い。
あたりを見回したって、三年前と違う部分は沢山ある。近くにできたコンビニや、無くなった散髪屋などが、「三年前とは違う」証拠のように、ぽつぽつと、このマンションの周辺に点在しているのだ。
「最近、よくきてくれるのね」と流星のおばさんはぎこちなく笑って、俺を部屋に入れてくれた。俺は久しぶりに迫田家の玄関をまたぎ、家の中に入ってはじめて、よくよく考えてみると、ほとんどこの家に上がったことがなかったことに気が付く。
そういえば、流星の墓地をきいたときも、なんだかんだ、俺は遠慮して中には上がらなかったのだ。
この家に上がると、いつもいの一番に奥からイツカが飛び出してきて、その後ろから、流星も、ちょっと照れたように笑いながら玄関にやってくる。それがいつもの光景で、そして俺はイツカを連れて帰るのだ。
だから、家の中に上がることはそうそうなく、部屋の中を見たのは、二、三度くらいだったのではないだろうか。
俺は、あの日よりも三年分成長した流星が、あの日のようにちょっと緊張した面持ちで奥から出てきて、「雪平、ひさしぶり。元気だった?」とでも言うんじゃないかと、そんな淡い期待をして……でも勿論、流星はでてくるはずがない。
玄関から奥に進むと、きちんと片付いているリビングに出る。懐かしいその場所は、テレビとテーブルと、ソファがあるだけの、なんだか殺風景な場所になっていた。
でもよく観察すれば、部屋の隅に流星の写真が飾られているし、リビング横、開け放しになったその扉の奥に流星のものだろう部屋が、小六のあの日のまま、そこにのこっていた。
俺は、その部屋について訊こうとしたけれど、ぐっと言葉を飲み込んでしまった。凝視していた俺に気が付いたおばさんのほうから、「ああ」と小さく呟く。「あれはね、いつか流星が帰ってくるような気がして……」
「そうですね」としか返せなかった自分も、イツカと同じように、流星が死んだあのときと、まったく変わっていない気がした。
「流星くん、死んじゃったね」と呟く妹に、「そうだな」としか返せなかった、中二の自分といまの俺は、まったく同じなのではないか……。
流星の部屋に入ると、そこにも流星の気配が色濃く残っていて、ゲーム機や、学習机、ランドセル、小六の教科書、三年前に流行った漫画なんかが、埃を被っていた。
流星が生きていれば、今頃はもう中学三年のはずなのに、この部屋の物たちは、流星とおなじく年を取らずに在り続けている。
「おばさん、あの」
俺はつばを飲み込み、おばさんに恐る恐る訊ねた。「流星が、その……」とまで言えたのに、こんな部屋を見た後で、「どうして流星は死んだんですか」なんて、口が裂けても訊けなかった。
何の収穫もないというより、むしろ後退したような気持ちで、流星の住んでいたマンションのエントランスを出る。近くのコンビニに、なにか冷たいものでもと思って入ったら、そこで会いたくない人物に会った。空也と椎名だ。「あれ、ゆきじゃん」
空也が人懐こくにかっと笑って、俺のもとにやってくる。その手に持っているのはものすごく甘そうなアイスで、その隣の椎名はよく冷えてそうな麦茶を手にしている。「なに、珍しいな、ここのコンビニにくるなんて」
「いや、俺だってたまにはくるっての」
椎名の鋭い指摘に、俺は目を逸らし、そう言い訳する。そういえば、空也と椎名は流星と家が近いんだった。ほかならぬ自分と、小学校も、中学校すら同じだったメンバーを、なんで俺はすっかり忘れていたんだろう。
椎名の言葉通り、俺はここのコンビニを意識的に避けているところがあった。
流星やイツカがよく遊んでいたこの地域にくることが、そもそも嫌だったのだ。流星の家を訪ねるような用事がなければ、くる地域でもないというのも、その理由の一端だろう。
「まあいいや。ちょうどいいから、今から椎名の家にこねえ? 課題見せてもらおうって、ちょうど話してたところでさ。ゆきもどうせやってないだろう」
「ああ……、いや、俺、いまノートもなんにも持っていないし、今日は遠慮しとく」
空也の言葉を流しながら、とりあえず自然にここから離れようと、俺はてきとうなアイスをボックスから掴んでレジに持っていく。その間も空也は俺の後ろをのそのそついてきて、椎名と普段通りの会話をしていた。
なんにせよ、こいつは声がでかいし落ち着きもないし、ちょっと落ち込んでいるこういう日には、一番絡みたくない奴だ。
てきとうに買ったアイスがよりによって苦手な味であることに、店外に出てアイスの封を切ってから気が付き、俺は「うわ、これかよ」と情けない声を出した。
3
その日は両親が二人そろって出かける日で、俺まで流星の家にいっていたから、我が家にはイツカしかいなかった。いつもはなにもいわずとも、イツカが一人で留守番をすることを厭った母さんが家に残っているのに、今日に限って――いや、もしかすると、イツカは珍しい家人の不在を、事前に知っていたのかもしれない。
俺がひとり家に帰ると、外は夕焼けで、暗い玄関の窓から夕日が差し込んでいる。「ただいま」と小さく、イツカに聴こえるはずもないような声で呟いて二階に上がり、そこでイツカの部屋の扉が数センチ空いていることに気が付いた。「イツカ?」
部屋に籠るようになってから、イツカは扉を開け放しにすることなんて絶対になかった。この三年間守られ続けた彼女のルールが、あっさり破られたことに違和感を抱いた。珍しいな、となんだか悪い予感がして、イツカの部屋を覗き見た。「イツカ? いないのか?」
真暗で、カーテンも閉められた部屋のなか、光るパソコンを見つける。こんな暗い中で、とその画面に吸い寄せられるように近づいて、ついちらりと覗き込んで目を疑った。イツカのSNSのアカウントが開かれたそこに、「死にたい」「死にます」という文字の羅列を見つけたのだ。名前の横に鍵のマークが見え、イツカがほかの誰かと繋がっているような様子もない。
ただ、「死にたい」という四文字がつづられているだけのアカウント。ほかの文章もあるにはあるようだったけれど、そちらは読む気にもなれなかった。画面から目を引き離し、慌ててイツカの姿を探す。家中くまなく見て回って、イツカがいないことに俺の心臓がずきずきと痛んだ。
まさか、まさか――「どこに行ったのだろう」と必死に考えて――「駅か?」
自転車は、俺が乗っていたもののほかに、イツカが小学生だったときの小さなものしかない。だからそれに乗っていくことは、たぶんないだろう、と思う。ということは、徒歩? でも、一体いつ家を出たんだ? パソコンの画面がロックされていなかったということは、多分そこまで前のことじゃない。それなら……
俺は家を慌てて出て、自転車を飛ばした。車に何度も轢かれそうになり、クラクションだって鳴らされたけれど、そんなことに気を遣う暇がなかった。
イツカが「死にたくて」「駅に向かった」のだとしたら、そんなこと誰が許すか、と思う。流星が死んだのとおなじ方法で、イツカが……。そんな最悪の想像に、俺の手が震えた。
夏の夕方は、いまだすこし昼間の気温を引きずっていたけれど、駅に着くころにはそれはましになっていた。自転車を相当走らせたから、風を浴びていたせいでましだと感じるのかもしれない。
流星が死んだ駅は、この地域からでは最寄りではなく、一駅離れている。理由をはっきりとは知らないけれど、流星が死ぬ時、最寄りとその隣駅のどちらがより人が少ないのか、彼が比べたのだろうと俺はこっそり思っている。
一駅離れているとは言っても、この辺りは、自転車で移動できるくらいの距離に二、三駅ぎゅうぎゅうと押し詰まっている。最寄りの駅も寄ってみる価値はあると思ったけれど、「間に合わなかったら」というもしもと、イツカの精神状態なら、最寄り駅より流星が死んだのと同じ駅を選ぶだろう、という不思議な確信があって、俺は直行であの隣駅へと急いだ。
その駅はわりあいいつも閑散としているのだけれど、いまは帰宅のラッシュで少し人が多いようだ。定期券を改札にかざして構内の階段を駆け上がり、イツカの姿を探す。俺が入った一番口から、遠く離れた隅に、イツカはぼうっと立っていた。「イツカ!」
俺が走り寄りながら彼女の名を呼ぶと、彼女はぼんやりした目でこちらを見て、それから目を見開いた。彼女が慌てて背を向け、階段を降りて逃げようとするその背中を追っていく。
イツカより、俺の方が足が速い。俺はイツカの逃げる腕を取って、「おいっ」と鋭い声をあげた。まばらな人の視線が、ちらりと背中に刺さるけれど、気にしてなんていられなかった。「なに……」と、誤魔化すようにイツカは小さく呟く。しかし彼女はこちらの顔を見ようともしない。
「それはこっちの台詞だろ。こんなところでなにしてるんだ」
「わ、私が駅にきちゃいけないの?」
イツカの言葉は、当たり前の疑問だった。いけないということは、勿論、ない。でも理由が理由だ。しかし、それをどう突き付ければ良いんだろう。――いや、違う。そうじゃない、と俺は息を吸った。「こんな場所に、お前が理由もなくくるわけないだろう」
――流星が、死んだ駅なんかに。
その言葉を言えずに飲み込んだ俺に、イツカは眉を顰めている。でも、きっと、イツカだって、俺が言いたくてのみ込んだものを知っているはずだ。
この駅でなにがあったか、誰がどうなったのか、イツカが忘れるはずがない。イツカの目を見ると、怯えたように俺から逸らされている。まだ長い前髪が垂れて目に入るようで、イツカはそっと前髪を避けるような仕草をした。
ざんばらに短く切られた後ろ髪は、俺が切ったものだ。
「……帰ろう、イツカ」
俺はイツカの腕を取ったまま、そうイツカに言う。我ながら、その声は泣き出しそうに震えてきこえた。
――こんなこと、なんだか前にもあった気がする。
あのときは、真昼の太陽が照り付けていて……ああ、そうだ。流星の葬式のときだ。
あのときも、俺はこんな風に、茫然と流星の死を受け入れられずにいたイツカを、無理やり引っ張って、流星の死から目を背けた。あのときと同じことを、俺たちはずっと繰り返しているのだ。
イツカは、やはり泣かなかった。かわりに頷くこともしないまま、俺に引きずられて駅を出る。今日のところは仕方がないから、自転車はその場に乗り捨てになるけれど、俺はバスで帰ることを選んだ。
俺の愛車はまた今度、取りに戻るしかない。
4
イツカが流星の後追いをしようとしたのかどうかは分からないままでも、俺は焦燥感に駆られていた。このままでは、流星がいつの日かイツカを連れ去ってしまいそうで、その不安はきっと、俺がなにもしないまま不貞腐れていたら、現実になってしまう。
なにもかも気のせいで終われば良いけれど、指をくわえてただ見ている気にはなれなかった。それがなぜかはわからない。
次の日の昼間に、迫田家のマンション前、コンビニの中でぼうっと商品の陳列棚を眺めながら、自分に「プライドなんて捨てろ」と何度も心の中で言い聞かせる。でもどうしても気が滅入って仕方がなくて、いまから自分がすることが、あまりにも非情に思えてしまう。
「雪平くん?」
名を呼ばれ、驚いて振り向く。一瞬誰の声か分からなかったけれど、顔を見てすぐに俺の背中を冷や汗が伝っていくのがわかった。――流星のおばさんだ。
「おばさん。こんちは」と俺は愛想のない顔でぼそぼそと言う。おばさんは疲れた顔で、でもにっこりと笑ってくれた。「こんにちは。最近よく会うね」
他愛のない世間話をすこしして、おばさんが「じゃあ」と手を振り背を向ける。俺はそのやせ細った背中を追いかけた。
「おばさん、あの」と俺が声をかけると、まさか俺がついてくるなんて思っていなかったのだろう、おばさんは心底驚いた顔でこちらを振り向いた。「どうしたの?」と優しく訊ねられて、胸が詰まった。
「あの……訊きたいことがあるんです」
どくどく逸る心臓を、そっと服の上から押さえる。唾を飲み込み、「流星は、なんで死んだんですか?」
絶対に訊きたくなかった質問を、意を決しておばさんに投げる。
おばさんが、このタイミングでコンビニにやってくるなんて思っていなかったし、本当は、もう一度だけ、俺から迫田家を訪ねるつもりだったのだけど、なんだかこの一瞬が、俺には妙なチャンスに思えてしまったのだ。これこそ、「前髪だけの好機の女神」なのでは、と――
目を見開いたおばさんの表情が、少しの間のあと、ぐしゃぐしゃに歪んだ。泣きそうに掠れた声で、「それは」と呟く。俺は目を逸らしたくなったのを堪えて、おばさんをまっすぐ見つめていた。「わからない。私にも……ねえ、雪平くん」
「流星は、どうして」
どうして、のあとに続くはずだった言葉が空を切る。おばさんの唇がぶるりと震えて、それ以上は耐えられなかったのか、口元を押さえて背を丸め、俺の肩にぶつかりながら、おばさんはコンビニから出て行った。
俺は追いかけようにも足が固まってしまって、深いため息がこぼれた。
おばさんをひどく傷つけてしまったのに、なにも得ることなく――また振り出しに……、いや、振り出しどころか、スタート地点すら遠ざかっていく感覚がある。
コンビニの自動ドアが開いたのを、なんとなく目で追えば、空也が入ってくるのが見えて、俺は思い切り渋面する。空也は俺のその顔を見て、いつもなら「なんだよ、その顔?」くらい言うだろうに、無言で俺の前に立った。
「なに」と俺が空也に問うと、空也は俺の目をじっと見据えて、「流星のおばさんと、いますれ違ったんだけど」
空也の言葉に、俺はぐっと息を詰まらせる。空也は続けた。「おばさん、泣いてた」
「ゆき、もしかして、流星のことでなにかしているのか?」
「なにそれ、んなわけないだろ」
俺の声が震えていることに、空也は気が付いたらしい。
空也は目つきが悪く、こいつが睨んでくると、ついこちらは怯んでしまうのだ。
でも、空也はそもそも、馬鹿みたいに明るい奴だから、彼自身が本気でなにかに真剣になったり、怒っているようなときでしか、人を咎めたりしない。
だから俺は、この状況の悪さをひしひしと感じていた。
「誤魔化すなよ。いままでちっともここらへんに寄り付かなかった奴が最近ちょこちょこやってきているなと思ったら、しょうもないことしてるじゃん」
「しょうもないってなんだよ」
空也の言葉に、こちらもついかちんとくる。「ほら、やっぱりなにかしてたんじゃないか」と空也が言って、俺は空也の服を掴んだ。
コンビニ店員が、レジからこちらを見ている。
「しょうもないだって? お前になにが分かるんだよ。なにも知らないくせに、お前がんなこと言う権利、どこにあるんだよ!」
俺がそう声を荒げると、喧嘩をしていると思ったのだろう、先ほどからこちらを見ていた店員が近づいてきて、俺たちの間に割り込み、「ほかのお客様のご迷惑に」だとかなんとか、ぼそぼそと言った。空也のほうが先にその場から退いて、「大丈夫です、なんでもないんです」と、不機嫌な顔で店員に言う。俺はそんな空也を見ながら、
俺はその場から逃げるように店の外に出る。
空也は俺と共に出ることはせずに、すこし遅れてから出るつもりのようだったけれど、空也を見たくもない俺は、自転車に荒っぽく跨って、さっさとその場をあとにしたのだった。
5
課外のせいで嫌々ながら暑い中登校し、駐輪所に自転車を置いて、俺は太陽に向かって伸びをする。眠たいのと、ここ最近良いことがまるでないことが頭をもたげて、つい、俺は朝から苛立っていた。
昇降口のまえで、空也とすれ違っても、あいつはこちらを見もしない。
俺が悪いのかよ、という言葉を飲み込んで、俺は地面に上履きを叩きつけた。
「ゆき。ちょっといいか?」
神妙な顔をして、椎名が俺に声をかける。俺はすぐさま「よくない。お前がそういうときは良いことがない」と答えて、ばん、と教科書を音を立てて置いた。椎名はそんな俺に、静かに言う。「良いから、こいよ」
「はあ? なんだよ」と言いかけた俺の腕を、椅子から引きずり下ろすように無理やり引っ張る椎名に、踏ん張りながら立ち上がり、廊下に連れていかれる。
なんなんだ、と思っていれば、ちょっと前にイツカの話をして喧嘩した場所に到着して、しかもそこには空也がいた。「なに」と俺は思い切り不機嫌な声を出す。
「ゆき、ほんっとうにごめん!」
空也が頭の上で両手を勢いよく合わせ、そのままこうべを垂れる。俺はわけがわからなくてぽかんとしたあと、「……なに?」と再び低い声で、今度は空也ひとりに向かって言った。
空也はそんな俺をちらりと見た後、言葉を選ぶような間を挟みながら、「あのさ、この間、しょうもないことしてんなとか、俺なんにも知らなかったのに、……ごめんな。椎名にきいた。イツカちゃん、いま大変なんだな。流星のこととどうこう、っていうの、俺はよくわかんねえけど……お前がイツカちゃんの為に動いて、おばさんに流星のこときいてただけだったのに、俺、お前が興味本位でおばさんを泣かせたんだろうって、勝手に思い込んだんだ。本当に、ごめん」
「……なんで、俺がおばさんを泣かせたって決めつけるんだよ」
「おばさんが、俺とすれ違った時に、言ってたんだよな。ゆきに悪いことしたから、謝っておいてってさ」
そういうことか、と俺はやっとすべてがわかって、深い息を吐く。椎名が空也の話を補足するように、「イツカが暴れたこと、空也に話してしまって、ごめんな、ゆき。でも、こいつすげえカッカしててさ、お前がきたらぶん殴るって息巻いてたから」
「それは言わなくてもいいだろ!」と空也が真っ赤になったのを横目に、俺は「……椎名、ありがとな」と椎名に礼を言う。
「空也の話をきいて思ったんだけどさ。流星のこと、なにか調べているのか? ゆき」
椎名が俺に訊ねる。俺はちょっと椎名を見て、「そうだけど」と言おうとして、なんとなく言いづらいことに気が付き、「そ」まで言って、「……なんじゃ、ねえけど」と本音を飲み込んだ。
椎名は「ゆき」と俺の嘘を見抜いて牽制する。俺はため息をつき、「だったら、なに」
「……手伝うよ、俺もさ。流星のこと、調べるの」
「俺も手伝う、ゆき。だってさあ、なんか気持ち悪くねえ? 何の理由もなく自殺するなんて、あり得ないだろう。絶対なにかしら、理由はあるはずだと思うんだよな」
椎名と空也の言葉に、俺は耳を疑った。「は? 本気か?」とすっ飛んだ声を出して目を丸くしている俺に、椎名の様子は間違いなく本気だった。
「冗談でこんな罰当たりなこというかよ。こんな冗談、流星がまじで枕元に立つかもしれないだろ」
「笑うところか?」と空也が椎名の大真面目な言葉に呆れて訊ねる。俺も空也と同じ質問を椎名にしそうになったけれど、ぐっと耐えて正解だった。……って、そうじゃない。
「三人寄れば文殊の知恵」と呟いた椎名に、空也が「なにそれ」と首を傾げる。
そんな空也に、「もんじゃじゃないからな」と椎名が言い、それに「美味しそうだなとは思ったけどさ」と空也が返しているせいで、俺は次第に痛み始めた頭を抱えた。
「えっとさ……」と俺が断るための言葉を選んでいた隙を、椎名は逃さない。
「お前ひとりでなにができるんだよ。どうせおばさんに訊くことくらいしか思いつかないんだろう。俺も、ちょっとさ……気になっているから、流星のこと。お前に協力するっていうより、ほとんど」
中途半端に言葉を切った椎名に、俺と空也は首を傾げる。椎名は「いや。なんでもない」と首を振り、顔を上げて俺の目をまっすぐ見据えた。
「ゆきに協力するよ。空也もこんな馬鹿だけど、一人や二人より、三人のほうが良いと思う。イツカのこと、どうにかしてやんねえとな」
「……いや、イツカのことはお前には任せねえけど」と俺がつい突っ込むと、椎名は目を瞬いた後、なぜか空也を見て、椎名からの視線を感じた空也が、「そりゃあそうだよ。ゆきがイツカちゃんのことを椎名に任せるわけないだろ」とうんうん頷いていた。
椎名はそんな俺と空也の反応を見て、「突っ込むの、そこなのか?」と、小さく肩を落としていた。
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