21回目の留年

本庄 照

もう二度と留年なんて

 21回目の学生も、やはり泣いていた。

 表立って泣くやつはいなかった。いや、少しはいただろうか。でも大抵が教授室を出た廊下で泣き崩れるものだった。

 しかし彼は違った。自分に泣きながら電話してきて、何度も謝って、それきり連絡は途絶えた。とはいえこちらが一方的に送っているメールは見ているようだし、生きてはいるらしい。


 留年なんてするようなやつが悪いのだと私は日々思っていた。

 高校での成績はトップ、大学での成績もトップだった。修士と博士を5年で取って、数年で助教になった。自分ではそう思わないが、私と似たような他人の経歴を見ると、ああエリートだなと思う。私の努力は着実に積み上がり、当時で言うところの助手、そして講師、准教授と出世していった。結婚して子供も2人いる。人生の分かれ道はたくさんあったし全てが順調だったわけではないが、48歳にしてとうとう教授になった。


 大学教員である限り、切っても切り離せないのが学生との関係だった。自分自身も学生だった頃から、教授となった今まで。

 優秀な学生ばかりを相手にできるならいいが、そういうわけにはいかない。ピンからキリまで、そしてキリの学生はとんでもなくバカだ。


 自分が担当している科目は必修だから、それを落とせば即留年であることは知っている。しかし情けをかけるつもりはなかった。学則通りに単位は与えている。留年していくのは学生がバカだからだ。こんな学生に単位を与えていたら、自分の品格に支障が出るというものだ。

 何も知らない学生を留年させる、それの何が悪いのだろう。


 今まで留年など全く縁がなかった。大学入学から博士を取るまで、優秀優秀と言われ続けてきた。

 自分が落としている学生は、約200人中年平均で3人だ。教授になってから、それを6年繰り返してきた。教授になる前も自分が作った試験で落としたことはあったから、それを含めて合計でちょうど20人となる。


 自分が今までに食ったパンの数に等しい存在の留年者の数など数える必要はなかったが、なんとなく数えていた。それはある意味で留年にとらわれているからだと言える。


 何人落としても実感は湧かなかった。学生に警戒されているはずなのに、勉強しない学生の気持ちがわからなかったし、たとえ不合格だったとしても、チャンスを与えている。にもかかわらず勉強が足りない学生など山ほどいる。基礎の基礎もよくわかっていない癖に、過去問の難問だけやたら答えを覚えてくる。そんな学生の気持ちは一度だってわかったことがなかった。わかりたくもなかった。


 それは学問じゃないよ。学生には毎度そう言っているが、響いた様子はない。


 学生を留年させるにあたって必要な手続きというものがあり、それは意外と面倒だったりする。それでも年に平均3人分、特に罪悪感も何もなく書き続けられたのは、バカな学生の気持ちを知りたいという知的好奇心が発端なのだろうと今は思っている。


 初めて留年というものに実感が湧いたのは、21回目に留年となった学生だった。

 それは自分が留年させた学生ではなかった。30歳を少し過ぎた頃に生まれた長男が大学に入り、必修を1科目だけ落として留年したのだった。


 電話で留年を伝えられた時、長男は大泣きしていた。何度も謝ってきた。勉強していないわけではなさそうだった。それでも留年する時はある。大きくため息をつき、説教をして、学費は振り込むから勉強するんだぞと言った時、電話が切れた。


 それから電話は繋がらなくなった。妻に聞いたら、父であるところの私はあくまで留年させる側であり、学生側の人間ではないのだとあの電話を聞いて思ったのだそうだ。そりゃそうだと思う一方で、妻が語る息子の心情を聞いて、私はそうかと短く答えるしかなかった。


 私が留年させた20人の学生(一人が数回留年している場合もあるので20回の学生という方が正しいが)には、いずれも保護者がいる。父かもしれないし母かもしれないし両方かもしれない。私が留年を告げた彼らは、私の長男のように泣きながら、20人の親にそう伝えてきたのだ。


 親の立場で留年を実感するとは思いもしなかった。

 そして妻から聞いた長男の言葉、それは私が留年した学生から一度も聞いたことがない言葉だった。教員への恨み言ではなく、言い訳でもなく、ただただ率直な心情を吐露するだけの言葉なのに、妻を通さないと私は聞かせてもらえなかった。


 何を、と記すのはやめておこう。それは恐らく留年した人間にしかわからない言葉なのだろう。私も以前なら甘えていると言って切り捨てていたかもしれない。

 しかしそれは紛れもない学生の本音であり、留年の副作用が思いの外に大きいということを示す言葉だった。


 もう二度と留年なんてしない。息子は電話でそう言った。

 私も留年させないべきなのだろうか。もう二度と、留年させない方がいいのだろうか。21回目の留年生の親となった自分に、初めて情というものが芽生えた瞬間だった。


 数年後。


「今年も留年が5人出たらしいよ」

「……またかよ。1科目で5人だよな?」

「そうそう。どんなに泣きついても救ってくれなかったんだって」

「でも一度、誰も留年しなかった年があったんだろ? あの年に戻ってほしいよな」

「元々留年させてくる教授だったのに一年休憩して、その後にめちゃくちゃ留年させるサイコパスになったか。その一年に何があったんだろうな」

 

 今年も学生が囁いているのが耳に入った。だがすべて無視である。

 バカにかける情なし。大人しく留年してろ。

 つける薬などないから病院に行くなら外科にしておけ。

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