第19話 心の垢は落とさずに・その4
まるで食べた気がしないまま、悪夢のような食事が終わった。
ハンタマにとって食事の時間はこの世で一番楽しい極楽の時間だったはずが、これでは地獄である。
これが明日の朝もあるのかと思うとげんなりした。
生まれて初めて食事をするのが怖くなった。
夜はこのまま部屋でダラダラとテレビでも見ようかと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
夜は夜で夜のお勤めがあるのである。
本堂にてひたすらお経をあげるのだ。
そんなもの詠んでみたってハンタマにはなんのこっちゃ全然わからない。
退屈極まりないとはこのことだ。
食事の後ということもあってか、知らず知らずにウトウトしてしまう。
すると、ここでもまたピシャリとやられるのである。
ビクッとして目を覚まして、お寺というのはなんと厳しい修行をするのだろうと思うハンタマであった。
もちろんこれは雲水さんに化けたおばあさんが、ワザと意地悪しているということもあるのだが、あながち間違いではない。
全国各地には、短期間の仏道修行体験のできるお寺がある。
非常に厳しいところ、そうでもないところ、いろいろだが、どこもそれ相応の厳しさがある。
この小説を読んで自分も行かれるという方は、それなりの覚悟をしていくように。
長い長いお経が終わって、ハンタマはようやく部屋に戻った。
習慣的にテレビをつけようとして、ないのに気付いた。
あるのが当たり前の生活しか知らないハンタマは、部屋にテレビがないことに今の今まで気づかなかったのだ。
ああ、お釈迦さまがあと2500年遅く生まれていたらよかったのに、と思ったが、たとえお釈迦さまが現代に生まれていたとしても、テレビは禁止にしたと思う。
とはいえ、慣れない修行にクタクタになっていたハンタマである。
やれやれと体を横たえた途端、深い眠りに落ちていた。
一方その頃、境内のとある場所では、ズルズルと麺類をすするような音とともに、こんな会話が聞こえていた。
「ああ、いててて。無理に座禅なんか組んだものだから、膝が痛えや。あの野郎、調子に乗りやがって」
膝をさすりながら、しかめっ面でカップラーメンをすすっているのは、狩人である。
「それに、なんだあの味気ない食事は。あんなもの食べたうちに入らない」
そう言いつつも、オオカミが食べているのは、サラダチキンである。
修行のためなのか筋肉のためなのか、目的は違えどストイックであることには変わりない。
「情けないわね、しっかりしなさい」
と、赤ずきん。彼女が食べているのは、カップに入ったインスタントのスパゲッティミートソースだ。
いつもと同じようにズルズルとすすって、口の周りが真っ赤である。
「それよか、おまえはなんで叩かれないんだよ。依怙贔屓じゃねえか」
と、不満そうな狩人。
おばあさんは、ハンタマをはじめとする男性陣には容赦なくピシャリピシャリとやったが、赤ずきんには一度もなかった。
「あらあ、私がかわいい女の子だからじゃないかしら?依怙贔屓するのは当然でしょ?」
と、パチリとウインク。思わずドキッとしてしまった狩人には、言い返す言葉がない。
一緒に仕事をして慣れているはずなのに、時々こういうことがある。口の周りにミートソースがついているのに、である。本物の美人というのはとことん美人なのである。
「もう夜のうちにお宝を奪ったらどうかね?今なら誰にも見られないぞ」
お宝を欲しいと言い出したのはオオカミだが、修行はこれ以上勘弁願いたい。
「あら、仏様が見ているわよ。泥棒なんて出来っこないじゃない」
世界を股にかける大泥棒にも、仏心が芽生えたかと思ってしまうが、はたしてどうだろうか。
「うふふ。盗むんじゃないわ。いただくのよ。ありがたくね」
不敵に笑う赤ずきんなのであった。
翌朝、激しい空腹感と全身の痛みでハンタマは目が覚めた。
時刻はまだ5時である。
外はやっと明るくなり始めた頃で、部屋の中はまだ暗い。
寝坊助のハンタマがこんな時間に起きるのは珍しい。
いつもなら目覚まし時計がどんなに頑張っても起きてこない。
ハンタマの部屋には目覚ましが五つあり、五分おきに一つずつ鳴るようにしてある。
最初の目覚ましが鳴り始めてから20分後、五体の目覚ましが合体して巨大化した音を立てて初めて、ハンタマの睡魔という強敵を倒すことができる。
しかし、昨晩、知らず知らずのうちに寝落ちしてしまったせいか、今朝は目覚ましがなくても自然と起きることができた。
また今日も厳しい修行が待っているのかと思って、はああ、と大きなため息をついた。
「いつまで寝ているのですか。とっくに修行の時間です。早く本堂に行きなさい」
障子がガラッと開いて、雲水さんが起こしにきた。
ひえええっと、慌てて部屋を出ていくハンタマである。
昨日寝落ちしたおかげでパジャマに着替えていなかったのは不幸中の幸いか。
お寺には朝のお勤めというものがある。
お寺のお坊さんがみんな集まって、本尊の前でお経を詠むのだ。
遅れて本堂に行くと、大勢のお坊さんたちが儀式の真っ最中であった。
もうすでに怪盗赤ずきんちゃんのメンバーは揃っている。
赤ずきんが目配せをして、ニッコリと微笑みかけた。
色気より食い気のハンタマだが、アイドルにハマる人の気持ちがわかる気がした。
住職に当たる人が本尊の前に座り、中心となってお経をあげる。
その左右には、巨大なおりんや木魚を鳴らすお坊さんがいて、チンチンポクポクやっている。
おりんも木魚も、ハンタマの体ぐらい大きかった。
ハンタマにもお経の本が手渡されて、僧侶に合わせて大きな声で読経する。
漢字にはふりがながふってあったので、意味はわからないながらも詠むことはできた。
不思議なもので、こうしてお坊さんと一緒にお経をあげていると、信仰心のないハンタマにも、なんだかありがたいもののように思えてくる。
それが読経の持つ力なのか、それとも日本人が連綿と受け継いできた精神性なのか。
保存料と化学調味料にまみれた現代っ子のハンタマにも、こういうものは守っていかなくてはいけないものなのだ、ということがなんとなくわかるような気がした。
クタクタに疲れているはずのハンタマであったが、一心不乱にお経を唱えていると、気分が高揚してくるのを感じた。
お経なんてカビ臭いイメージしかなかったが、こうして聞いてみると、まるで美しいハーモニーのようにも聞こえてくる。
不思議と疲れが取れるような気がして、気持ちよくなってきた。
朝のお勤めが終わると、朝食である。
お粥と漬物だけの質素なものだが、不満は起きなかった。
それどころか、食物をいただけることに、自然と感謝の念が湧いてきた。
つい早く食べてしまうのは相変わらずで、雲水さんに叱られたが、それほど気にはならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます