第18話 心の垢は落とさずに・その3
そのあと一行は別の部屋に移動した。
庭に面した、板張りの広い部屋である。
適当な感覚を開けて、小さな座布団が四つ並べられている。
「それでは案内も済みましたので、これより修行に入るとしましょう。まずは座禅を組んでもらいます」
座布団をお尻の下に当てて、背筋を伸ばしてあぐらをかく。
それから両足をそれぞれ反対のももの上に乗せて、結跏趺坐という形をとる。
そして両手で印を組むのだが、これがとにかくきつい。
普段、消化に関係のある筋肉しか動かすことのないハンタマには、座っているだけで拷問だ。
「当山の修行はそれはそれは厳しいものですので、覚悟なされますよう。決して途中で脱落することは許されませぬぞ。くっくっく」
まるで地獄の底でも覗いてきたかのような声で、雲水さんが言った。
背後に鬼がいるんじゃなかろうかと、ハンタマは思った。
細マッチョや、瘦せぎすの男からも、ううう、と唸り声が漏れた。
まさにそれは地獄であった。
短くて太いハンタマの足は、5秒として正しい姿勢を保っていられずに、すぐ崩れた。
その度に、雲水さんが警策という平ぺったい木の棒で、肩をピシャリとやる。
それがまた痛いのなんの。
うぎゃー、とか、ひえー、なんて声を出そうものなら、またピシャリとやられる。
だから必死に我慢する。
そのおかげで、ぶしゅっ、とか、ぶぎぃや、とかいう、カエルの潰れるような音がハンタマの口から漏れた。
その度に雲水さんの、クックック、という含み笑いが聞こえる。
痛いのは他の男も同様である。
瘦せぎすの男も、細マッチョも、警策でピシャリピシャリとやられるたびに、罠にかかったネズミのような、情け無い悲鳴を上げていた。
ただ一人、女だけは、涼しい顔で座っている。
いや、どう見ても、おかしくてしょうがないといった顔で笑いを堪えている。
さて、これまで女とか、瘦せぎすの男とか、細マッチョとか書いてきた。
読者のみんなならもうお分かりのように、ハンタマ以外のここにいる四人は怪盗赤ずきんちゃんのメンバーである。
ハンタマにはまだ内緒だが、ここからは本来の呼び名で書くことにしよう。
ちなみに雲水さんは、もちろん変装したおばあさんである。
四人は面識がないことになっており、ハンタマもそう信じ込んでいる。
足も肩も背中も、痛いところだらけで部屋に戻った。
足がじんじんと痺れている。
ピシャリピシャリとやられた肩は、もう感覚がない。
座禅修行は、ハンタマの想像をはるかに超える厳しさであった。
とてもではないが、都会っ子のハンタマには耐えられそうにない。
逃げ出そう、と思った。
まったく、我慢が足らないが、ハンタマらしい。
しかしそうは言っても、クタクタに疲れてしまって、逃げ出す気力も体力もない。
赤ずきんに昼食を少し分けてもらったとはいっても、生まれてこのかた食べ盛り真っ最中のハンタマである。
お腹もペコペコで、少し動くのにもやっとなのだ。
そうこうしているうちに夕方の鐘が鳴り、夕食の時間になる。
這うようにして重い体を運び、食事をする部屋に行く。
他の三人は既に揃っていた。
狩人もオオカミもげっそりしているように見える。
一人、赤ずきんだけがニコニコしている。
今回もまた食べ残しをもらえないかと期待したハンタマであったが、その目論見は泡と消えた。
夕食はさっきとは全く違っていたのだ。
厳しい修行の中で唯一の楽しみであるはずの食事が、またとない苦痛となった。
「仏教では食事も修行のうちです。みなさんには、きちんとした作法に則って召し上がっていただきます」
と雲水さんは、暗い出来事を暗示するようなセリフをニッコリと言ったのだ。
しかもそれだけではない。
「皆さま、ちゃんと食事の前に手を合わせていただいておりますでしょうか。食べ物を育てていただいた方に感謝の意を伝え、それを運んでくださった方、人の口に入るように料理をしてくださった方にはもちろんのこと、太陽の光で作物を照らし、雨を降らせて育んでくれた大自然。花粉を運ぶ小さな虫たち、土の中の微生物。皆さまの目の前に料理が並ぶまでに、およそ生きとし生けるものの全てが関わっているのです。そして今、皆さまが肉体を持って存在し、食べ物を口にできるということは、自分を産んでくれた母親のおかげ、育ててくれた家族のおかげ、命を途絶えさせることなく、一生懸命に生きてくださったご先祖さまのおかげであります。このような方々に感謝をして……」
という、いつ終わるかもわからない長々とした話が延々と続いたのである。
さっきからハンタマの腹の虫が消防車が来たかというくらい、けたたましい音を立てているが、雲水さんはちっとも気にしない。
そして、ようやくこの長い長い話が終わったかと思ったら、雲水さんに続いて感謝の祈りというものを言わなくてはいけなかった。
それもやたらと長い。
やっと全て終わった頃には、すっかり食事は冷めていた。
おまけに食事中にも作法がある。
まず、音を立ててはいけない。
まあ普通の礼儀作法を守って食べれば、大したことはないのだが、がっついてしまいがちなハンタマにとっては厄介なものだ。
漬物を噛むときのカリッという音でさえ駄目だという。
自然、ゆっくり食べることになる。
食べ物と飲み物の境界線が曖昧なハンタマにとっては、食べたような気がしない。
姿勢もまっすぐにしなくてはいけない。
背筋を伸ばして、器は手で口の近くまで持ち上げる。
食べ物は全て箸を使って口に運ぶこと。
器に口をつけるなどもってのほかだ。
当たり前のことなのだが、さっきの座禅で背中はバキバキである。
まっすぐ姿勢を正していることだけでも辛くてしょうがない。
普段、食器に口をつけて傾ければ、自然と食べ物が口に入ってくるものだと思っているハンタマは、ついつい口をつけてしまう。
その度に雲水さんに厳しく叱られる。
「なんという食べ方をしているのですか!ちゃんと箸を使いなさい!」
これではまるで子供である。
おまけに箸の持ち方まで直された。
今の今まで気付かないまま、おかしな持ち方をしていたようだ。
ハンタマにとって一番辛かったのは、食べるペースを合わせないといけないことだった。
全員で食べ始めて全員で終わる。それが修行だという。
食べるのが早いハンタマは、いつもブレーキをかけられているようになる。
おまけに、赤ずきんの食べるのが遅いのだ。
ワザとゆっくりやっているのではないかという気すらしてくる。
オオカミと狩人からも、イライラしている様子が伝わってきた。
それでも赤ずきんは、必要以上によく噛んでゆっくりと食べている。
実際、ワザとやっていたのだ。
男どもが困るのを見て面白がっていたのである。
流石に世界を股にかける大泥棒だ。
この女、顔は綺麗だが、腹が黒い。
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