第20話 心の垢は落とさずに・その5
その日の午前中は、なんと滝行が待っていた。
宿坊から少し山の中を歩いて、ドドドド、と流れ落ちる滝のあるところまでいく。
昨日までのハンタマであったら、その音を聞いただけで逃げ出していただろうが、今日の彼は違う。
よし、やってやろうと、修行に対して前向きな気持ちになっていた。
その横で、おかしくってしょうがないといった顔のおばあさんを、赤ずきん一行が怨むよう目付きで睨んではいたが。
白装束に着替えて、意を決して滝に入る。
残暑がまだ残っているとはいえ、山中の朝は寒い。
恐る恐る足を水に入れると、身を切られるような冷たさである。
いざ滝の真下に来ると、ドドドドドドドドと、恐ろしい力がハンタマの頭を叩きつけた。
滝の勢いに流されないよう、足を踏ん張り、胸の前で印を組む。
六根清浄、というマントラを繰り返し唱える。
大声で叫ぶように唱え続けていないと、意識が持っていかれそうである。
そのうちにジンジンと体が熱くなってきた。
冷たい滝に打たれているというのに、不思議である。
おまけに熱いと同時に清々しさも感じる。これはどういうわけか。
なんらかの変化がハンタマの体と心に起こっている。
轟音に聞こえていたドドドドという音がいつの間にかどこかにいってしまった。
ただ六根清浄と唱える自分の声だけが聞こえてくる。
怖いとか冷たいとかいう感覚は消えてしまって、無の境地に入っていった。
気持ちがいい。そのまま何時間でも滝に打たれていられそうだ。
ふと、腕を引っ張る力を感じて我に返った。
ハンタマがあまりにも長いこと滝に打たれていたため、雲水さんが心配になって連れ戻しに来たのである。
ハンタマは気持ち良さを感じていたが、実際には体は冷たい滝の下にある。
もしそのままでいたら、本当に大変なことになるところだった。
半ば放心状態で岸に上がる。
なんだか憑き物が取れたような、スッキリとした気分だ。
これからどんなに厳しい修行が待っていようと、頑張れる気がする。
体を拭いて元の服装に着替えた。
雲水さんから、先に部屋に戻って待機するように言われた。
一人、先に帰ってしまったので、ハンタマには知り得ないことだが、その頃、怪盗赤ずきんちゃんのメンバーは、お腹を抱えて笑い合っていた。
実はハンタマに続いて他の人も順に滝壺に入る予定だったのだが、取りやめになった。
ハンタマがいつまでも入っているものだから、雲水であるおばあさんが、滝壺に入って連れ戻しにいかなくてはならなかったのである。
まさか自分が入るとは思わなかったおばあさんは、そのあまりの水の冷たさに参ってしまった。
本来ならば全員が終わるまで見ていなければならないのだが、一刻も早く火に当たりたかったため、ハンタマを先に帰して途中で切り上げたのであった。
逃げるように宿坊に帰るおばあさん。
その後ろ姿を、他のメンバーが面白おかしく笑っていた。
こうして赤ずきんたちは滝行を免れたのである。
一方でハンタマである。
すっかり前向きになった彼は、午後の修行が待ち遠しくてしょうがなくなっていた。
昼食の細かい作法も、ちっとも気にならない。
昨日と同じようなメニューを、感謝していただいた。
それにしても、修行の効果というのはすごいものだ。
食べ物にしか興味がなく、何をするにもやる気のなかったハンタマが、いっそのことこのまま仏門に入ってもいいかとすら思い始めている。
他の人たちにも効果が大きいようで、滝に打たれた直後だというのに、みんなニコニコして元気そうである。
ただ一人、雲水さんが震えているように見えたのだが、気のせいか。
午後は護摩行という修行をした。
これは護摩木という、お寺に来た人が願い事を書いた小さな木の札を、赤々と燃える炎の中にくべるというものだ。
お坊さんはその前で一心不乱にお経を唱え続け、願い事の成就を祈祷する。
ハンタマたちも一枚ずつ護摩木を渡されて、それぞれに願い事を書いた。
これまでだったら、食べ物のことしか思いつかなかった彼であるが、今は違う。
すっかり心の垢を洗い落とされて、生まれ変わっている。
柄にもなく、御仏に仕えたいような気持ちになっていた。
そこで、仏様を支える手足になれますように、と書いた。
さて、赤ずきんたちは何を書いたか。
もちろん彼女たちの願いは、国宝・スリーモンキーズをいただくことである。
しかし、護摩木は火にくべる前にお坊さんによって読み上げられる。
そこでこう書いた。
みんな仲良く一致団結。
無事に護摩行も終わり、夕食の時間となった。
長い長い感謝の言葉を唱えたあと、静かに食事をする。
ハンタマはここに来たときとはすっかり別人になった。
食べ物を目の前にしても、がっつかなくなった。
ちゃんとまわりのペースに合わせて食べ終え、ご馳走さまでしたと手を合わせた。
箸の持ち方だって直した。
二泊三日の体験修行も、明日の昼で終わりである。
不思議な縁で巡り会った修行者と離れるのも、なんだか名残惜しい。
じっくり話をする機会はないが、修行の合間には簡単な言葉を交わすようになっていた。
どちらかといえば人見知りするタイプのハンタマであったが、今は廊下ですれ違っても、相手の目を見て軽く微笑みかけることができるようになっていた。
特に最初に赤ずきんに話しかけられたときには、ドギマギしてしまったハンタマであるが、今やなんとも思わなくなった。
かわいい女の子にも緊張しなくなった。
もはや百八つの煩悩も魔女の誘惑も、仏に向いた彼の心を揺るがせにはできないのである。
もしかしたらもしかするぞ、などと期待していた過去の自分が本当に小さく見えた。
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