第14話 時代遅れの闘牛・その4
ハンタマはいい話相手だった。
普通、人は誰でも自分のことを話したがるものだ。
特に相手が有名なお相撲さんだと分かると、ここぞとばかりに自分をアピールしてくる。
やれ会社を経営しているだの、テレビに出たことがあるだの、売り込みに必死だ。
しかし、この人付き合いが苦手な大関には、それが鬱陶しかった。
さして興味もない相手の話を聞かされるのは、苦痛以外の何物でもない。
加えて口下手ときている。
おのずと相手ばかりが喋って、自分は聞き役にまわっていることが多い。
相手は余計に気持ちよく喋る。
でも、本当は自分だって誰かに話を聞いてほしいのだ。
その点、ハンタマは自分の話をせずに相槌ばかり打っている。
おかげで普段は言えないようなことをすべて言えるものだから、ストレスもたまらない。
相撲も調子いいし、これはいい話し相手を見つけたと思っていた。
ところでハンタマはそんなに優秀な聞き役だったのだろうか。
それなら引く手数多なカウンセラーにでもなれそうなものだが、実はそうではない。
読者のみんななら知っているように、食べ物を前にしたときのハンタマの集中力は野生のウォンバットをもしのぐ。
おいしい焼肉を腹一杯食べられるとあって、上の空で生返事をしていただけである。
それが大関には、自分の話を聞いてくれているように見えていただけなのだ。
本来なら、怪盗赤ずきんちゃんが狙っているという、闘牛のたまごについて何か知っていることはないかと、聞かなくてはいけないのだが、そんなものは焼肉を目の前にしたハンタマにとっては、シラスの頭ほどの重要性も持たないのであった。
そして14日目の夜。
赤闘牛は横綱との大一番に勝って、気分良くハンタマとの夕食に臨んだ。
この日に飲む予定は14合。
これまでの最高は先場所13勝したときの13合だ。
昨日も13連勝した後で13合ものお酒を飲んだが、この酒豪の大関はへっちゃらだった。
一日に14合ものお酒なんて飲んだことはないが、まあ大丈夫だろう。
会話も弾み、実に愉快な夕食会であった。
普段だったら口が裂けてもそんなことは言わない大関だが、この日は、もう俺の優勝は決まった、とか、横綱になったら50回優勝してやる、などと、似合わぬことを口にして賑やかに過ごした。
お酒もグイグイ進み、いつのまにか一升以上飲んでいる。
ちょっとペースが早すぎるかなと思ったが、目の前の新聞記者は平気な顔してついてくる。
力士が一般人に負けるわけにはいかぬと、どんどん杯をあおった。
そのうちにこいつを飲み負かしてやろうという気になってきた。
生意気な奴め、自分は赤闘牛だ。
この俺についてくるなど不届き千万。
目にものを見せてやると、普段は真面目な堅物が、あらぬことを考え始めた。
今、何時になっただろう。
ふと気づくと、すでに閉店時刻が迫っている。
二人の間には、空になったお銚子が何本も転がっていた。
今日は14合の予定だったが、なんだかもっと多いようにも見える。
いや、ハンタマも同じだけ飲んだから、合わせて28合か。
多く見えるのはそのせいか。
払いはもちろん大関である。
たった二人で、何十人分もの焼肉とお酒。
実際の勘定はもっと多かったのだが、金額などを見ては力士の名折れである。
ごつい財布からカードを出して、ちゃっちゃと支払いを済ませた。
実はいつのまにか飲み過ぎてしまっていたのだ。
そのツケが翌日の土俵に回ってくることになるのだが、このときの赤闘牛は、そうとも知らずに気分良く部屋に帰った。
迎えた千秋楽。
ハンタマは記者席から、楽日の相撲を見ていた。
スポーツ新聞の記者をやっているにもかかわらず、相撲などこれまで見たことはなかったが、こうして見ると面白いものである。
大きな力士がぶつかり合うその迫力といったら、まるで恐竜同士の戦いだ。
それが、コロッと土俵に転がされたりもする。
土が体にべっとりとついて、ああしまったと、悔しがる力士の表情を見るのも面白い。
なるほど、お相撲さんとは、何をやっても絵になる人たちである。
そうこうしているうちにも取組は進んでいき、気付けばあと二番を残すのみとなった。
大関・赤闘牛対関脇・
大きな歓声に包まれて、東から赤闘牛が土俵に上がる。
国技館を埋め尽くした満員のファンは、新横綱が誕生する歴史的な歴史的な瞬間をこの目で見ようと、期待と興奮に包まれながら赤闘牛に声援を送った。
ところが、どうも赤闘牛の様子がおかしい。
いつもなら、相手を切り裂くような鋭い目付きなのに、今日はどこか虚ろである。
筋肉質の浅黒い体に、漲るような気迫がちっとも感じられない。
あれれ、おかしいなと思って見ているうちに、時間いっぱいになった。
フワッと立った大関は、なんと電車道で寄り切られてしまう。
これには館内に地響きのようなどよめきが走った。
首を傾げて土俵を降りる大関。
結び前の一番を戦った力士は負け残りである。
普通なら、とっとと支度部屋に戻りたいところだが、そうは問屋がおろさない。
結びの一番が終わるまで土俵下で待っていなくてはならないのだ。
はたしてこのときの大関の心境はいかばかりか。
落胆して土俵上を見つめるなか、ライバルの敗戦にがぜんやる気を出した横綱・鷹乃赤は、熱戦の末に横綱同士の一番を制して一敗を守った。
これで優勝決定戦である。
一旦、支度部屋に戻る両者。
一人は動揺して、一人は意気揚々と。
その最中、初日から大関を見つめていたハンタマは何を思ったのか。
毎晩一緒に酒を飲み、二人だけの時間を過ごしてきた彼の中には、赤闘牛に対して、まるで家族であるかのような親愛の情が芽生えていた。
まだチャンスは残っているとはいえ、当然、大関の敗戦にショックを受けているかと思いきや、そうでもなかった。
忘れてはならない。
ハンタマはスポーツ新聞の記者でありながら、ロクにスポーツのことを知らない。
だから状況がよく飲み込めずに、ぼんやりとこんなことを考えていた。
ふうん。お相撲さんの四股名って、いろんなのがあるんだなあ。
改めて場内の電光掲示板を端から眺めてみる。
なになに。
みんな赤がつくんだな。
赤といえば、怪盗赤ずきんちゃんだな。
そういえば、あれ、どうしたんだっけ?
なんか犯行予告がどうとかこうとか。
ふうん、横綱は鷹乃赤というのか。
牛とか鷹とか、動物の名前をつけるのが流行っているのかな。
牛はお相撲さんっぽいけど、鷹は鳥だよなぁ。
流石にお相撲さんは空を飛べないよな。
鳥といえば、そういやしばらく鳥を食べてないぞ。
ここのところいつも焼肉だったもんな。
久しぶりトロトロ卵のオムライスが食べたいなあ。うん?卵?
ハンタマは何かに気づいた。何か重要なことがあったように思ったけど、なんだったかな?
しばし物思いにふけっていると、大きな歓声が沸き起こり、今日の主役の両者が再び入場してきた。
ハンタマも考えるのを止めにして、土俵の上に注意を戻した。
そもそも、口と胃袋を使うのは得意でも、頭を使うのには慣れていないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます