第11話 時代遅れの闘牛・その1

 トロトロがくせになる。

 ここ最近、何度通ったかわからないオムライス専門店で、クリームソースのかかったオムライスを食べながら、ハンタマは思った。

 自他共に認める、東赤スポーツきっての食いしん坊であるハンタマであるが、それほどグルメかと言われれば、そうでもない。

 何を食べても人の5倍以上は食べるハンタマであるが、普段外食するときは、ラーメンや牛丼、ファーストフードなど、独り身の男性が行きやすい店に限られている。

 しかし、先日の怪盗赤ずきんちゃんとの一件から、甘いものに目覚めた彼は、それまで行ったことのないジャンルの店にもいくようになった。

 そしてはまってしまったのが、オムライスである。

 元々、会社の女子社員たちに人気があることは知っていたのだが、女の子と食事をすることなど生まれてこの方一切ないハンタマである。

 加えて今は夏の真っ盛り。

 ハンタマに夏の到来を教えてくれる『冷やし中華はじめました』の文字を見れば、たとえ眠っていたとしても中華料理屋に入ってしまう。

 だが食べることに関しては、野生動物も真っ青の集中力を発揮するハンタマである。

 男性一人客には、もっとハードルの高い甘味処でさえクリアしたのだから、オムライスぐらいわけはなかろうと、勇気を出して入ってみたら、これがとんでもない底なし沼であった。

 とりあえずメニューの中でも、もっともシンプルなオムライスを注文した。

 ラグビーボールの形をしたオムレツの上に、トマトケチャップがかかっている、オーソドックスなものだ。

 こんなオムライスであれば、ハンタマも食べたことがある。

 ところがこれが記憶の中にあるものとは、まるで違っていた。

 ハンタマが知っていたのは、チキンライスに薄っぺらい卵焼きが乗っているものである。

 そう思ってスプーンを入れたところ、卵とライスの間に、彼が今まで想像だにしなかった何ものかが挟まっていることに気づいた。

 トロットロの半熟卵の地層を掘り当てたのである。

 まさに世紀の大発見であった。

 まさか自分が立っている下に、これほどまでに優美で繊細な世界があったとは、思いもよらなかった。

 そのたおやかさとしなやかさは、まさに大和なでしこ七変化、日本女性の美しさの象徴である。

 一見、派手な主張はないが、その魅力に気づいたものは、どこまでも引きずりこまれていく。

 気づけばハンタマは、黄色いさざなみに絡め取られたチキンライスのごとく、黄身と白身がおりなすハーモニーの底なし沼に絡め取られていたのだ。


 夕方、自宅に戻ったハンタマは、夕食の用意をしていた。

 一人暮らしの彼は、基本的には自分でご飯を作らねばならない。

 だが独り身の男性の常として、外食やコンビニエンスストアのお弁当のときが多い。

 しかしここ最近は、料理に精を出している。

 つい先日も、新しいフライパンを買ったばかりだ。

 それもプロの料理人が使うような、ドイツ製の高級フライパンである。

 一度興味を持ったらとことんやる性質なのか、最高のものを作ってやろうと、来る日も来る日も同じものを作っている。

 オムライスである。

 あのトロトロのオムライスを自分でも作れないものだろうか。

 お昼にお店で食べたというのに、夜には自分で作って食べる。

 ここのところ毎日である。

 卵にもとことんこだわる。

 スーパーでも、なるべく高級そうな、色の赤いものを選んで買う。

 それどころか、この間などは、わざわざ埼玉の卵農家まで足を運んで、産みたての卵を買ってきた。

 横須賀スカジアムまでもなかなか行きたがらない、あのハンタマがである。

 それでも、なかなかお店で食べるような、トロトロのフワッフワのオムレツにはならない。

 あの味を再現しようと、作っては食べ、作っては食べを繰り返しているのだが、ハンタマの料理の腕では、お店の味には到底及ばない。

 求めても求めても、最高の味にはまだ辿り着かないが、体重の方は求められてもいないのに、過去最高を更新した。

 そしてとうとう、この日は最高級の卵を、わざわざ山形の養鶏場から取り寄せたのである。

 ほんのりと赤みがかかった、大振りの卵が1ダース。お行儀よく桐の箱に入っている。

 卵のくせして、まるで宝石か何かのような扱いだ。

 値段も相当なものである。

 いつもハンタマが着ている、昔、近所の激安スーパーで買ったヨレヨレのスーツであれば、2着買える。

 桐の箱にちんまりと並べられた卵を見て、思わずため息をついた。

 自分もブランドもののスーツでも着てみたら、この卵に見劣りしない人になれるだろうかと、知らず知らず万物の霊長の座を駆け下りていた。

 ガスコンロに火をつけて、フライパンにサラダ油を引く。

 大事そうにその最高級卵を手に取ると、品定めをするように見つめた。

 普通の卵よりも艶がある。

 こんなに綺麗なものなら、あの怪盗赤ずきんちゃんが狙っても不思議ではない。

 そんなことを考えながら、フライパンの縁でコツンとやって、殻にヒビを入れた。

 さすがは高級フライパン。ヒビが綺麗に入る。なんてことはないだろうが、やけにまっすぐなヒビが入った。

 片手で器用に割って、中身を落とす。

 へえ、最高級品の卵ともなると、中身も普通のものとは違うな。

 白身も黄身もないや。

 そのかわりに、小さく折り畳まれた便箋のような紙が入っている。

 それはサラダ油が染み込むのを拒否するかのように、しばらくフライパンの上で存在感を発揮した。

 ああ、そうだ。僕はうっかりしていた。

 フライパンと卵を高級なものにしたんだから、サラダ油だっていいものに変えないと。

 こんな安物の油が最高級品の紙にうまく馴染むわけはないよな。

 いくら鈍いハンタマであってもそろそろ気付いていいものである。

 ん?紙?

 慌てて火を止め、菜箸でつまんでその紙を取り出した。

 なんだって卵の中から紙なんかが出てくるんだ?

 破けないように丁寧に紙を広げてみる。

 中にはこんなことが書かれてあった。


********************


 親愛なる日本の皆様へ

 うちらは怪盗赤ずきんちゃんなのよ

 だから、新たなお宝をいただいちゃう

 そのお宝は、闘牛のたまご

 ニワトリもいいけど闘牛もね、だわよ


********************


 怪盗赤ずきんちゃんの犯行予告は、翌日の東赤スポーツの一面にデカデカと掲載された。

 その編集部では、社内で最も仕事から距離を置いている記者が、今朝は鼻息が荒い。

「どうですか編集長!大スクープですよ。またしても怪盗赤ずきんちゃんからの犯行予告を一面にしてやりました!」

 我らがハンタマは、卵に入っていた紙を、これ見よがしにヒラヒラと振ってみせた。

「あれ?」

 てっきり、でかした!という返事が返ってくるかと思いきや、編集長の反応は白けたものだった。

「やっぱり、僕が仕事に真面目になると、おかしいですかねぇ。いやあ、僕は僕らしく、仕事をサボっていた方が皆さんのためですね」

「バカモン!どうしてこういつもいつも、お前のところに怪盗赤ずきんちゃんからの犯行予告が届くのだ!おかげで我が社は奴らの手先ではないかと、世間からあらぬ疑いをかけられておるのだ!」

「は、そうでしたか」

「は、そうでしたか、ではないわ!お前は新聞を読んどらんのか!」

 ハンタマがそんなもの読むわけがない。

 それはともかく、そんなことになっているのなら、事態は一刻を争う。

「編集長、この名探偵ハンタマにお任せください。なあに簡単ですよ。この闘牛のたまごとやらを、僕が先に食べてしまえばいいんです。こう見えて最近の僕はオムライスにハマっているんです。それでは早速行ってきます」

 と、そそくさと会社を後にした。

 編集長の顔色が優れないようだったからであるが、それも無理もない。

「あいつ、牛は卵を産まないってこと、わかっているのか?」

 このまま卵に嵌って、ニワトリとして生まれ変わったらあいつも賢くなるだろうかと、思わざるを得ない編集長であった。



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