第6話 思い出のスイーツ・その1
梅雨である。
今日も朝からシトシトと、雨が降り続いている。
これで3日連続で雨だ。
プロ野球のゲームも中止になることが多く、担当記者は翌日の朝刊の紙面を埋めるネタを探すのに苦労する。
神奈川県は横須賀市に本拠地を置くプロ野球チーム、横須賀レッドリボンズ担当の彼は、予定されていた3連戦が中止になってしまったために、暇を持て余していた。
こんなとき他の記者だったら、横須賀スカジアムに行って、選手や監督に取材をしてくるのだが、ハンタマにとって休みの日とは休みの日である。
選手が休みなのに記者が働くことはなかろうと、お昼に近くのラーメン屋に行くつもりで、ふらりと会社を出た。
バラバラとビニール傘に落ちる雨の音を聞いていると、ああ、この雨が飴だったらいいな、などというくだらない妄想が止まらなくなり、ふと甘いものが食べたくなった。
そういえばこの辺りに甘味処があったなと思い出し、見渡してみればすぐ目の前である。
吸い寄せられるようにハンタマはそこの暖簾をくぐった。
中は女性客でいっぱいである。
普通の男性だったら、店に入ることすら躊躇してしまいそうだが、食べ物を前にしたときのハンタマの集中力は、餌を前にしたときのブルドッグよりも上である。
女性たちの楽園に突如として現れた小さな丸い巨人は、天然水のかき氷よりも冷ややかな視線を浴びながらも、何食わぬ顔でテーブル席についた。
メニューを見ると、すぐにイメージが固まった。
ハンタマの頭脳は、世の中のありとあらゆることに対してボンヤリ働くようにできているが、こと食事に関してはカワセミよりも鋭敏である。
店の人を呼んで早速注文した。
しばらくして運ばれてきたのは、甘味処始まって以来の重厚なメニューである。
前菜のかりんとうに始まり、スープにはお汁粉、続いて甘い蜜をたっぷりとかけた葛切り、みたらし団子と食べて、メインディッシュは白玉クリームあんみつの大盛りである。
デザートに宇治抹茶金時のかき氷を食べて、フルーツ代わりにストロベリーアイス、最後にクリームソーダでお口の中をさっぱりさせて、終わりにしようと思った。
これがハンタマ流、甘味のフルコースである。
いやはや、実に美味しい。今までこういったものはあまり食べなかったのだが、たまにはいいものである。
結局、メインに食べた白玉クリームあんみつがあまりにもおいしかったため、もう一杯お代わりして、まるでどんぶり飯でも食べるかのように、夢中で白玉をかきこんだ。
だから向かいの席に、どこかのアイドルかと思うようなかわいらしい女の子が、赤いパーカーのフードを目深に被って、みつ豆の上に乗った、真っ赤なさくらんぼを愛おしそうに見つめていたのに、気付くことはなかったのである。
甘味のフルコースを堪能して、大満足で店を出たハンタマは、東赤スポーツの編集部に戻った。
その手には、大きなどら焼きの箱を下げている。
他の記者たちへのお土産ではなく、もちろんハンタマ自身のものである。
忙しい彼は昼食後の後もじっとしていられない。すぐに食後のおやつの時間が始まるのだ。
さて席につき、横須賀レッドリボンズの記事でも書くかと、どら焼きの包み紙を開けたとき、ハンタマは異変に気付いた。
紙に何か書いてある。
それはこういうものだった。
********************
親愛なる日本の皆さま
うちらは怪盗赤ずきんちゃんなのよ
だから新たなお宝をいただいちゃう
そのお宝は、神さまのお菓子
いいこと?一度しか言わないんだから
神さまのお菓子をいただいちゃうわよ
********************
一度しか言わないと言っておきながら、二度言っているように見えるが、これは間違いなく怪盗赤ずきんちゃんからの犯行予告である。
「へ、編集長!どえらいことが起きました!」
「どえらいことだと!?おまえが真面目に仕事するようにでもなったのか!?」
とんだ薮蛇であったが、兎にも角にも、それは翌日の東赤スポーツの一面を飾った。
「なあ赤ずきんよ。新しいお宝はいいとして、ちょっと食べすぎじゃないのか?」
ここは世界のどこか。怪盗赤ずきんちゃんの本部である。
自慢のライフルを磨きながら、狩人が心配そうな目をリーダーの赤ずきんに投げかける。
ズルズルとミートソースのスパゲッティをすすっていた、赤ずきんが顔を上げた。
この女、会議のときには必ずミートソースのスパゲッティを食べる。
それもフォークで巻いて食べるのではなく、すするのだ。
そのおかげで口の周りが真っ赤だが、それでもどこかのアイドルかと見紛うような綺麗な顔である。
いつも一緒に仕事をしてきた狩人でさえ、思わずドキッとしてしまう。
「あら、食べ物は人間の元気の源だわ。こう見えて私は食べ物がないと死んじゃうタイプの人間なのよ」
他にどんなタイプの人間がいるのか教えてほしいものだが、さすがは世界を股にかけて暗躍する怪盗赤ずきんちゃんのリーダーである。
普通の人間の常識では、計り知れない考え方の持ち主だ。
「それより、今回のターゲットはお菓子か?あんまりやる気がしねえな」
「脳みその栄養は糖分だけだぞ。君も甘いものでも食べて、少しは頭を働かせるといい」
自作の野球ゲームで遊びながら狩人のぼやきに答えたのは、マッドサイエンティストのオオカミである。
「へえ、へえ。俺はてっきり脳みそってのは、味噌で働くんだと思っていたよ」
と、狩人はあまり乗り気でない。
「もう東赤スポーツの一面に載っちゃったわよ。それに今度の仕事は、世間に怪盗赤ずきんちゃんの恐ろしさを知らしめる目的もあるんだから」
前回の仕事で、赤井馬之助のホームランを盗むという大仕事を、見事やってのけた怪盗赤ずきんちゃんであるが、世間的には失敗したことになっていた。
そのときに大手柄を立てたのが、ハンタマ記者だということになっている。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。赤ずきん君よ。あのハンタマという記者にも、一泡吹かせてやろうという魂胆じゃな。ほっほっほ」
長いあご髭をさすりながら、まるで中国の仙人を思わせる出で立ちの老人が、さも愉快そうに笑った。
今はこんな格好をしているが、これがこの人物の本当の姿かどうかはわからない。
年齢も性別も不明、怪盗赤ずきんちゃんメンバーでさえ正体を知らない謎の人物、おばあさんと呼ばれる変装の達人である。
「うふふ。今頃右往左往しているハンタマさんの姿が目に浮かぶわね」
と、赤ずきんは口の周りについたミートソースを、ペロリと舐めた。
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