第5話 約束のホームラン・その5

 ところ変わって、ここは日本のどこかの病院である。

 ベッドに寝ているのは、小学生くらいの男の子。

 誰かが病室に入ってきた音で、その子は目を覚ました。

「お姉ちゃん」

 赤い頭巾を被った若い娘が、男の子に近づいてなにかを渡した。

「うわぁ、お姉ちゃん。本当に持ってきてくれたんだ。本当に本当だよね。馬之助のホームラン」

「ええ、本当よ。このお姉さんが、自分でキャッチしたんですから」

「嬉しいな。馬之助は本当に僕との約束を覚えていてくれたんだ」

 喜ぶその子のベッドの脇には、いつ頃のものだろう?まだプロに入団したばかりの、あどけなさの残る顔の赤井馬之助と一緒に撮った写真が飾られていた。


 病室を出た赤ずきんに、深々とお辞儀をした男の人がいた。

 イタリアブランドの高そうなスーツを着て、髪をピチッと撫で付けている。

「ありがとうございます。息子のためにここまでしていただいて」

「いいのよ。どこにだって、301人目の子供はいるものですもの」

 赤ずきんは、それがどうしたの、といった涼しい顔である。

「それで、本当にお礼はあれで良かったのでしょうか?」

 と、男の人は心配そうな顔で尋ねた。

 赤ずきんはそれには答えず、ただ、ニヤリとだけ笑った。


 ここは世界のどこかにある、怪盗赤ずきんちゃんの本部である。

 さっきから狩人がスポーツ新聞を広げて、苦々しい顔をしている。

 そこには大きな見出しで、『怪盗赤ずきんちゃん敗れたり』と書かれてあった。

「ちぇ、いい気なもんだぜ、このハンタマって記者。なにも知らないくせして」

「ふん、あんな作戦だったら、僕が風船を飛ばすライフルロボットを作ってやったというのに」

 マッドサイエンティストのオオカミは、別の不満があるようだ。

「おまえさんの機械よりも俺の腕前の方が信用できるってことよ」

「なにおう!?聞き捨てならん。野球盤で勝負したまえ」

 そんな二人の口元は、赤いミートソースでベタベタである。

「なーにが『鳩サブレパワー』だよ。なーにが『300人の子供たちの夢を守った』だよ。自分は野球見ながら飯食ってただけだってのに、いい加減なこと書きやがって。全部こちとらの計画通りだっての」

 まったく、憤懣やるかたなしといった風に赤ずきんを見た。

 狩人にしてみれば、今回は自分が活躍したという自負がある。

 バックネット裏からレフトフェンス手前のボールをジェット風船で狙い打つというのは、世界広しといえどもこの男にしか出来ない芸当だろう。

 赤ずきんは、オオカミのロボットでは外すだろうということを計算に入れて、狩人にこの仕事を依頼したのだ。

 当の赤ずきんは、素知らぬ顔でスパゲッティをすすっていた。

「なあ赤ずきんよ。ハンタマの野郎、この記事を書いたことで有名になりやがったぜ。今じゃ日本一の敏腕記者だなんて言われて調子に乗ってやがる」

「うふふ。まぁ今回のことに関しては、ハンタマさんじゃなきゃ、出来ないことだったもの。少しくらい調子に乗らせてあげたって、いいんじゃないかしら?いくらなんでも、レフトまでボールが飛ばなきゃ、話にならないものね。それにハンタマさんにも、お灸は据えておいたわ」

 と言って、口の周りについたミートソースをペロリと舐めた。

「それより赤ずきんよ。あの子の親父からは、たんまりとお礼を貰ったんだろうな」

 と狩人が確認する。

「ええ、それはもう、たんまりよ」

 赤ずきんは金庫を開けてみせた。

「な、なんだぁ?こりゃあ」

「な、なんと!」

 狩人とオオカミは、二人して目を丸くした。

 金庫の中に入っていたのは、大量のミートソースの缶詰であった。

「あら、知らなかったの?あの子のお父さん、ミートソース会社の社長さんなのよ」


 一方でその頃、我らがハンタマである。

 知られざる赤井馬之助の苦悩と努力を書いた記事が、大変評判になった。

 警察からは、怪盗赤ずきんちゃんの計画を阻止したとして、表彰までされた。

 そうであるから、簡単に舞い上がるタチのハンタマである。

 これは国民栄誉賞も夢ではないと、意気揚々と街を歩いていた。

 お昼ごはんにお寿司でも食べようと、普段なら絶対に入ることのない、高いお寿司屋さんに入っていった。

「へい、いらっしゃい」

 手ぬぐいを頭にねじり鉢巻にした大将の、威勢のいい声が出迎えた。

 カウンターに座り、一番高い大トロを頼むと、ちょちょいとお醤油を付けて、得意げに口に放り込んだ。

 そのときである。

 鼻にツーンとくる、強烈な刺激。

 ものすごい量のわさびが、お寿司の中に入れられていた。

 たまらずハンタマは、お寿司屋さんの床をゴロゴロと転げ回った。

 初めてこの店に来たハンタマには知られないことであったが、カウンターの向こうでは、いつもと違う板前さんがお寿司を握っていた…。

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