第4話 約束のホームラン・その4

 さて、いよいよ運命のプレイボールである。

 ハンタマはバックネット裏の一番上の席から、夕焼けに赤く染まる横須賀の街を見ていた。

 今頃この景色を怪盗赤ずきんちゃんも見ているのかと思うと、無性に腹が減ってくる。

 さっき球場の売店で買った名物のシュウマイを、みかんの乗ったかき氷で胃袋に流し込んだ。

 試合前、ハンタマはロッカールームに行き、大量の鳩サブレを差し入れたのだが、馬之助は食べてくれただろうか。

 ハンタマにとってみたら、調子の悪いときというのは、お腹が満たされていないときに他ならない。

 腹いっぱい鳩サブレでも食べれば、あっという間に元気になるのにな、などとぼんやり考えた。

 さて試合は1回裏のレッドリボンズの攻撃である。

 一番バッターの赤木豊あかぎゆたかがヒットで塁に出た。

 それを二番の赤屋敷要あかやしきかなめがバントで送って、ワンアウト二塁。

 次の三番の助っ人外国人、レッドローズは空振り三振でツーアウト二塁になった。

 ここで四番の赤井馬之助の登場だ。

 相手ピッチャーは、東北ゴールドタイタンズのエース、金田正二かねだしょうじである。

 いつもなら球場が一番盛り上がる場面だ。ところがこのときは、地鳴りのようなブーイングが起こった。

「裏切り者〜!」

「赤ずきんの手先〜!」

 なんとレッドリボンズのファンからも、馬之助に対して心ない野次が飛んだ。

 結果はあえなく三振。スリーアウトでチェンジである。

 地鳴りのようなブーイング拍手に変わる。

「ざまあみろ」だの、「やめちまえ」だのといった声が、ハンタマの周りからも聞こえた。

 なんだ、なんだ、なんだ。

 この人たちは、レッドリボンズを応援しに来たんじゃないのか?

 今日は馬之助ナイトではないのか?ここには馬之助の味方はいないのか?

 そしてきっとこの球場のどこかで、怪盗赤ずきんちゃんがほくそ笑みながら、この光景を見ているのだ。

 そう思うとハンタマはいてもたってもいられなくなって、がっくりと肩を落としてサードの守備につく馬之助に向かって、大声を張り上げた。

「馬之助ーっ!」

 なんだなんだと、まわりの観客が一斉にハンタマの方を見た。

「馬之助ーっ!鳩サブレだ、鳩サブレを思い出せーっ!!」

 ワハハハ、と笑いが起きた。

「なんだこいつは」

「鳩サブレだって」

「そんな野球の応援があるか」

 と、ハンタマを指差して笑う人までいる。

 ところが、これが意外な効果をもたらした。

 それまでブーイングしていた観客が面白がって、みんなで鳩サブレの大合唱を始めたのである。

「鳩サブレ」

「鳩サブレ」

 そのコールは、ハンタマのいるバックネット裏から始まって、内野スタンドを回って外野スタンドにまで達した。

 もはや球場全体が声を合わせて鳩サブレである。

 そんな声が馬之助に届いたのか、彼は徐々に調子を取り戻していった。

 第二打席はショートフライだったが、七回裏、赤いジェット風船が飛ばされた直後の第三打席ではレフトフライと、だんだんと打球が遠くに飛ぶようになってきた。

 守備でもファインプレーを連発し、チームを助けた。

 そしてゲームは両チームの先発ピッチャーが好投し、0対0のまま、最終回の裏を迎えた。

 ここでバッターボックスは、レッドリボンズの四番・赤井馬之助である。

 ホームランを打てばサヨナラゲームでレッドリボンズの勝ち。子供たちとの約束も守れて、言うことなしである。

 スタンドからは、大馬之助コール。

 もはや彼にブーイングを浴びせる人はいなくなった。

 代わりに聞こえるのは、ホームランを期待する声である。

「馬之助ーっ」

「ホームランを打ってくれーっ」

「子供たちが待ってるぞーっ」

「赤ずきんなんかに負けるなーっ」

 今や球場全体が馬之助の味方だ。

 しかしその中にあって、ひとりハンタマだけはそわそわしていた。

 何度も売店に行かなくてもいいようにと、大量に買い込んだお菓子やジュースがもうすぐなくなりそうだったからではない。

 この中に必ず怪盗赤ずきんちゃんの一味が潜んでいる。

 そして、馬之助のホームランをあの手この手を使って阻止しようとしているのだ。

 しかしそんなハンタマの心配をよそに、ゲームは進んでしまう。

 右打席で構える馬之助に向かって、東北ゴールドタイタンズのエース・金田正二が第一球を投げた。

 さっきまで豪速球を投げ込んでいたのと同じ投手とは思えないほどの、ハエが止まるようなスローボール。

 金田も相当疲れている。

 これは絶好球とばかりに、馬之助はバットを振り抜いた。

 カキーン!

 オオーッと沸き起こる歓声。

 だが、高々と上がった白球は、三塁側ファールスタンドに入った。

 あまりに球が遅すぎても、逆に打ちにくいのかもしれない。

 二球目。金田のボールは、半速球といった感じのストレート。

 カキンとバットに当たった球は、先程よりは外野スタンドに近くなったが、またしても三塁側のファールスタンドに入った。

「いけるぞ」

 と、誰かが言った。

「もうちょい、もうちょい」

 という声も聞こえた。

 迎えた運命の第三球目。

 ハンタマも固唾を飲んで見守った。

 ど真ん中に投じられた金田のストレートを、思い切りスイングされた馬之助のバットが捉えた。

 ジャストミート。

 打球はグングン伸びて、綺麗な放物線を描きながら、レフトスタンドに向かっていく。

 ところが少しばかり上がり過ぎたのだろう。

 失速して、フェンス手前で待ち構えている左翼手のもとへと、フラフラと落ち始めた。

 そのときである。

 ハンタマの耳に、バシュン、という音が聞こえて、どこからともなく白球めがけて、もうスピードでなにかが飛んでいった。

 それは今まさに左翼手のグラブに収まろうとしていたボールの下っつらを捉え、球に後ろ向きの回転を与えた。

 そのことでボールはフワッと浮き上がり、レフトスタンドに飛び込んだ。

 ホームランだ。

 ワアア、と沸き上がるスタンド。

 この瞬間、レッドリボンズの勝利が決まった。

 赤井馬之助は、300人の子供たちとの約束を守ったのだ。

 ハンタマは見た。

 確かにボールがスタンドに飛び込み、赤い帽子を被ったレッドリボンズのファンが差し出したグラブに収まったのを。

 しかし悲しいかな。

 ハンタマの座からは、遠過ぎて見えなかった。

 それは本当は赤い帽子ではなくて、赤い頭巾だったということを。

 そして、レフトフェンスの手前には、赤いジェット風船の残骸が落ちていた。


 さて親愛なる読者のみんなのために、このとき実際に何が起きていたのかを、作者から説明しよう。

 もうお分かりのように、この日の横須賀スカジアムには、怪盗赤ずきんちゃんのメンバー四人が潜入していた。

 一人はレフトスタンドでホームランボールをキャッチした、リーダーの赤ずきんである。

 名古屋の赤田神宮でハンタマにヒントを与えたのも、この女である。

 では、他の三人は何をしていたのか。

 狩人とオオカミの二人は、ハンタマの近くのスタンドにいた。

 最後の打席、馬之助の打った打球が失速しかけたそのとき、オオカミの作った超強力空気入れでジェット風船を膨らまし、それを凄腕のスナイパーである狩人が、狙いをつけて発射したのである。

 そのジェット風船がボールに当たり、浮き上がらせ、レフトフライをホームランにしたのであった。

 では残りの一人、変装の達人・おばあさんは何をしていたのか。

 実は試合に負けて、ロッカールームに引き上げた東北ゴールドタイタンズの選手たちは、そこにとんでもないものを見た。

 脱ぎ捨てられた金田正二のユニフォームと、ロープで縛られ、猿ぐつわをかまされた本物の金田正二の姿である。

 9回裏のマウンドに上がっていたのは、金田正二に変装したおばあさんであった。

 優しいボールを投げて、馬之助にホームランを打たせるためである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る