第3話 約束のホームラン・その3

 翌日の朝早く、ハンタマは新幹線に乗って名古屋へと向かった。

 朝ごはんをしっかりと食べてきたにもかかわらず、サンドウィッチとシュウマイ弁当を一緒にかきこんだ。

 パンとごはんを同時に食べてはいけないなどというルールはハンタマには存在しない。

 おいしいものはどうやって食べてもおいしいのだ、というのがハンタマの持論である。

 名古屋に着いて、試合が始まるまでまだ時間があったハンタマは、赤田神宮という有名なお宮さんに行くことにした。

 ここにはお茶屋さんがあり、ハンタマはいつかそこのきしめんを食べたいと常々思っていた、ということももちろんなのだが、ひょんなことから大事件を引き受けてしまったハンタマである。

 これはもう神頼みするしかあるまいと、最初から諦めていたのである。

 さすがに有名なお宮さんだけあって、平日の昼間だというのに、大勢の人が参拝に訪れている。

 この人たちも、きっと後でお茶屋できしめんを食べるのだろうと、自分を基準にした想像をしながら、ハンタマは本殿の前に立った。

 神さまに一礼をしてからお財布の中の小銭を取り出し、お賽銭箱にチャリンと放り込む。

 パンパンと柏手を打ち、心の中でお願いごとをした。

 ああ、神さま。怪盗赤ずきんちゃんが警察に捕まって、赤井馬之助がホームランを打てますように。

 それと、おいしいきしめんに味噌煮込みうどん、味噌カツ、ひつまぶし、きよめ餅。名古屋名物をお腹いっぱい食べれますように。

 ああ、それから、大阪のきつねうどんにたこ焼き、広島のお好み焼きに、福岡の博多明太子。それから、それから、北海道の焼きとうもろこし…。

 こういうところに来ると、ついつい欲張りなお願い事をしてしまうハンタマなのであった。

 目を閉じてお願い事をしていると、隣から声が聞こえてきた。

 最初、神さまが自分に答えてくれているのかと思ったが、そういうわけではなさそうである。

「ああ神さま。お願いです。私は名古屋ブルーダガヤーズの大ファンの女の子です。どうか横須賀レッドリボンズの赤井馬之助がホームランを打ちませんように。馬之助は今、子供たちと約束したことがプレッシャーになって、ごはんもロクに喉を通らず、夜もよく眠れずにいます。ああ、どうかどこかの太ったスポーツ新聞の記者が、馬之助においしいきしめんや味噌カツ、ひつまぶしや味噌煮込みうどんを食べさせて、彼が元気になってまたホームランを打てるようになりませんように」

 おや、と思ったが、何事にもゆっくりとした性分のハンタマである。女の子の声を聞きながらも、そのまま自分のお願いを継続していた。

 チャーハン、餃子、回鍋肉に、はてはさっき新幹線の車内で食べたばかりのシュウマイまで食べられるようお願いして、ようやく長い長いお願い事が終わった後でやっと顔を上げた。

 後ろを振り返ると、赤い帽子の子が去っていくのが見えた。

 あれ?ブルーダガヤーズのファンなら、青い帽子を被っているんじゃないのかな。

 と、疑問に思ったが、ハンタマの足は既にお茶屋さんの方に向かっていた。

 念願のきしめんをすすっていると、ハンタマの脳裏にある考えが浮かんだ。

 そうだ、こんなおいしいものを一人で食べるのはもったいない。赤井馬之助にも食べさせてやろう。

 早速携帯電話で馬之助を呼び出す。

 幸いにして編集長から出張費用はたんまりと貰っている。

 一度プロ野球選手にごはんを奢ってみたかったんだ。さあ馬之助君、今日は僕の奢りだ。好きなものを何でも食べなさい。

 こういうことを言ってみたかった。うん、我ながらいいアイデアだ。ところで、どこからこんなことを思いついたんだろう?

 そうか、神さまのおかげだな、うん。


 それから数日後。

「いやあハンタマさん、この間はご馳走さまでした。おかげで元気になって、ホームランを打つことができました」

 ここは横須賀レッドリボンズの本拠地・横須賀スカジアムである。

 嬉しそうに話をしているのは、レッドリボンズの4番バッター、赤井馬之助である。

 あの後馬之助を呼び出したハンタマは、三日間の名古屋出張の間に、味噌カツ、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、はてはあんかけスパゲッティに小倉トーストまで、しこたま名古屋名物を食べさせたのであった。

 馬之助はお腹がいっぱいになったおかげで、夜もぐっすり眠れた。

 その結果、今シーズン始まって以来の栄養不足と睡眠不足が解消して、元気いっぱいでホームランを打ちまくったのであった。

「それは良かった。今日の試合も期待していますよ。今回の東北ゴールドタイタンズとの三連戦、最終日は馬之助ナイトですからね」

 などと、ハンタマがポロッと大事なことを言ってしまったものだから、馬之助は大わらわである。

「ああ、忘れていた!」

 と、馬之助は両手で頭を抱えてしまった。

「ハンタマさん、なんでそんなことを僕に思い出させてしまうのですか!?ああ、どうしよう。ホームランが打てるようになったとはいえ、その日に打てるかどうかなんてわからないじゃないですか!ああ、また不安になってきたぞ」

 いやはや、元の木阿弥である。


 帰ってから、ハンタマは編集長に思いっきりどやされた。

 しかしだからといって、それで馬之助がまたホームランを打てるようになるわけではない。

 時は無情にも過ぎて、当日の夜になった。

 初戦、二戦目と、馬之助は散々な結果に終わっていた。

 ホームラン狙いでバットを振り回すあげく、ボールにかすりさえしない。

 スポーツ新聞各紙は、一斉に馬之助二軍落ちかと書き立てた。

 中には、子供たちとの約束をフイにするものだとして、馬之助を裏切り者扱いしたり、挙げ句の果てには、怪盗赤ずきんちゃんと内通しているとまで書くようなところもあった。

 さっきからデスクに向かって怒りを堪えているのは、何を隠そう我らがハンタマである。

 生まれつきのんびりした性格の彼が、こんなに怒っているのは、コンビニエンスストアで買った肉まんを公園のベンチで食べようとして、トンビに取られたとき以来である。

 スポーツ新聞の記者にもかかわらず、生まれて初めて新聞というものを読んだハンタマは、みんな馬之助のことを悪く書いているのに、怒り心頭となったのであった。

「編集長!」

 机をバンッと叩き、彼らしくもない素早い動作で立ち上がる。

 その顔は真っ赤で、まるで間違って唐辛子を食べてしまった人みたいである。

「僕は許せません!みんな馬之助に酷いことを書くばかりじゃないですか。彼だって苦しんでいるんです。子供たちとの約束を守ろうと、必死に努力しているんです。どうしてどこのスポーツ新聞もそのことを書かないんだ!僕はこれから横須賀スカジアムに行ってきます。みんなになんと言われたっていい。僕だけは、世界中で僕だけは、馬之助を応援するんだ!」

 なんとカッコいいのだろう。

 こんなに男らしいハンタマが、分厚い脂肪の下に隠れていたとは、作者でも知らなかった。

 だが編集長の反応は違っていた。

 難しい顔で腕を組み、ハンタマに負けず劣らず真っ赤っか。額には青筋まで立てている。

「どうしてどこも書かないのか、だと?どうしてなのか。それは、馬之助を担当している、お前が記事を書かないからだ!」

 編集長に一喝されて、ようやくハンタマは自分が記者であることを思い出した。

「早く横須賀スカジアムに行ってこい!元々お前の仕事はそういうものだ!」

「は、そうでありましたか。いやはや、この間鳩サブレを食べすぎましたもので。しばらく横須賀へは行かなくてもいいかなと思っていたところでした」

 編集長の顔がこれ以上赤くなる前に、そそくさと会社を後にした。

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