第2話 約束のホームラン・その2

 一方、こちらはハンタマである。大阪出張を楽しみにしていたのに、正確に言うと大阪のきつねうどんを楽しみにしていたのに、急に横須賀に行かされて不平タラタラである。

 当然その鉾先は食べ物に向かう。さっきからバリバリと、神奈川銘菓・鳩サブレをかじる音が止まらない。

 ボロボロと細かいクズが足元に溢れるものだから、おこぼれに預かろうと本物の鳩が寄って来ている。

「ええ!それは困るなあ。僕はどうしても、その日の試合にホームランを打たなくてはいけないんです」

 と、不安そうなのは、横須賀レッドリボンズの4番バッター、赤井馬之助である。

 その名前から、赤ら顔をした大男を想像していたハンタマであったが、意外にもジャニーズ系の優男であったため拍子抜けした。

 背は高いが、小ちゃい顔が首の上についている。

 最近はこんなにカッコいい人がプロ野球選手をやっているのかと、ハンタマは驚いた。

 もっともそれは、スポーツ新聞の記者のくせして、ロクに選手を知らないハンタマが悪いのであるが。

 しかし赤井馬之助の顔は、心なしかげっそりとやつれているように見える。

 目の下にもクマができて、よく眠れてないのではないかという印象を受けた。

 ハンタマが話を聞くと、こういうことだった。

 きっかけは昨シーズンのオフのことである。

 侍ジャパンという、野球の日本代表に選ばれ、国際大会に出場した馬之助は、決勝戦で見事にホームランを打ち、日本代表を優勝へと導いた。

 しかもそのホームランというのが、とある病気の野球少年と約束したものだったのだ。

 そのことをヒーローインタビューで語る姿がテレビの全国放送で流れ、大いに話題になった。

 おまけに、そのホームランをきっかけにして、少年は勇気付けられ、なんと不治の病と宣告されていたのが、奇跡的に治ってしまったのである。

 そのこともテレビで報道されたから、巷はもう大騒ぎである。

 それからだ。馬之助の元に、全国各地の病気の子供たちから、ホームランのお願いが届くようになってしまったのは。

 人のいい馬之助は断ることができず、次から次へと引き受けた。

 途中で怖くなって締め切ったそうだが、それまでに子供たちと約束は、300人にも達していた。

 一人につき一本の約束をしていたのでは、とてもではないが打ち切れないので、本拠地横須賀スカジアムにて、あるイベントが開かれる日にホームランを打つと言ってしまった。

 その日というのが、5月の最終日曜日なのだ。

「その日は『横須賀馬之助ナイト』というイベントが開かれる日なんです。チケットはもう全部売れてしまっているし、今更変更するわけにはいかない。でも、ああ!」

 と、馬之助は両手で顔を覆った。

「あんな約束なんてしなければよかったと思っているんです。侍ジャパンでホームランを打って、調子に乗って子供たちと約束したはいいけれど、そのおかげでプレッシャーになってしまって、今年はまだ一本もホームランを打ててないんです。去年まではレフトスタンドに入っていた球が、今年は全部ショートフライにしかならないんですよ。それでご飯もロクに喉を通らなくて、夜も眠れないんです。監督にも、『馬之助ナイト』の日までは4番で使うけど、その日も打てなかったら二軍に落とすと言われているんです。何より僕のホームランを期待してくれていた子供たちに申し訳が立たない」

 やれやれ、大風呂敷を広げたものだな、とハンタマは思った。一人の子供につき鳩サブレ一枚で勘弁してもらえないだろうか。

「ハンタマさん、お願いです。なんとかしてください。ホームランの方は頑張ってその日までに打てるようにしますから、怪盗赤ずきんちゃんの方をお願いします。ホームランが盗まれてしまったら、300人の子供たちはさぞかしがっかりすることでしょう」

 と、思わぬことを頼まれてしまった。

 その日までに怪盗赤ずきんちゃんを捕まえてしまえば問題ないこととはいえ、世界中の警察が探しても、その行方はようとして知れない大泥棒である。

 ハンタマが知っているのは、せいぜいがおいしい小籠包のお店ぐらいだ。

 しかしハンタマ、よくも悪くも後先のことは考えないたちである。

「任せてください、馬之助さん。怪盗赤ずきんちゃんの行方は僕が突き止めてみせます」

 と、太鼓腹を叩いて口走ってしまったのである。


 会社に帰ると、早速編集長に報告である。

「ですから、怪盗赤ずきんちゃんのアジトを探せばいいと思われます」

 と、ハンタマは胸を張った。ところがお腹の方が前に出てしまって、ワイシャツのボタンが二つ弾け飛んだ。

「バカモン!それができるなら、とっくにしておるわ!ただでさえ怪盗赤ずきんちゃんからのファックスが我が社に届いたことで、世間からは我が社と彼奴らとの関係が疑われておるのだ。捕まえられるものなら、今すぐ捕まえに行くわい!」

「はあ、そんな状況だったんですか」

「お前は新聞を読んどらんのか!」

 自慢じゃないが、ハンタマにとって新聞紙とは、読むものではなく、お弁当を包むためのものである。しかしハンタマの知らないうちに、世間は大騒ぎになっていたらしい。

「しかし、怪盗赤ずきんちゃんめ。子供たちの夢を盗もうとするとは、とんでもない悪党だ。ああ、なんとかして奴らの居場所がわからないものか」

 編集長は薄くなった頭を抱えた。と、横に流れる筋のような髪の毛を見て、ハンタマにある考えがひらめいた。

「編集長、僕は怪盗赤ずきんちゃんの居場所がわかるような気がします」

「なに、それは本当か?」

「はい。早速僕を名古屋に行かせてください」

「それはどうしてだ?」

「今、急にきしめんが食べたくなりました」

「バカモン!きしめんが食べたきゃ、うどんをすりこぎで平ぺったくして食べろ!」

「それだけではありません。伊勢の赤福も食べたくなりました」

「お前は本当にバカモンか!」

「い、いえ、それだけではありません。横須賀レッドリボンズは、明日から名古屋で名古屋ブルーダガヤーズと対戦します。赤井馬之助に目を付けているのなら、怪盗赤ずきんちゃんもきっと名古屋にいるはずです」

 ハンタマの言うことは決して口から出まかせではない。

 本当に横須賀レッドリボンズは、明日から名古屋でブルーダガヤーズとの三連戦である。

 そのあと横須賀に戻って、金土日と東北ゴールドタイタンズ戦が待っている。その最終日が、問題の5月の最終日曜日なのだ。

 というわけで、この事件を担当するハンタマが、馬之助を追って名古屋に行かないわけにはいかず、まんまと出張費用をせしめたのである。

 きしめん、味噌煮込みうどん、ひつまぶし。

 ハンタマの頭の中は、大阪のきつねうどんを食べ損ねた埋め合わせをしてやろうという考えでいっぱいであった。

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