正義のみかた

著;うしお



「やっとここまで来た」

「そうね。長かった」


 大広間へと続くであろう扉の前でアランはそう零した。独り言のつもりだったが、左後ろに控えるテレサが答える。ローグもマーリンも同様にこれまでの道のりを振り返り深く頷いていた。


「俺たちの目標まであと少しだ。行くぞ皆!」

「ええ」

「ああ」

「おう!」


 アランが扉を開く。彼らの身長の何倍もある両開きの扉はアラン一人の力で簡単に開いた。彼が精霊に定められた勇者だからではない。誰でも簡単に開く事が出来るものだったが、彼らは知る由もない。他の三人は彼の後ろに控えるだけで、重要な役目はすべて彼が負ってきた。

 開かれた先に待っていたのは、大理石の美しい床、その上に惹かれた入り口から奥へずっと続く赤色の絨毯、輝く壁と半分埋め込まれた石柱、それに取り付けられた蝋燭台に灯、そして玉座。そこに使われた一つ一つの素材が四人には想像も出来ない程に高価なものだ。

 ひと際目立つ巨大でおぞましい装飾の施された玉座に黒い影が座っている。


「お前が魔王だな!」


 聖剣の剣先を魔王に向けたアランの叫び声は広間に木霊する。


「……いかにも。私が魔王だ!」

「「「「っ!?」」」」


 低く体の芯を揺らすような声が聞こえたかと思えば、次に届いたのは高く可愛らしい子供の声だった。魔王が名乗りを上げ終えると玉座に座っていた霧が晴れ、漆黒のローブに身を包んだ幼女が姿を現した。

 静寂が平間を支配する。魔王もアランも誰も声を出せなかった。


「……ま、まおう?」

「そうだ。私が魔王なのだ。よくここまで来たな勇者よ」

「本当に魔王なのか?」

「む? 信じていないな。正真正銘私が魔王!」


 えっへんと胸を張るどこからどう見ても幼女に四人は困惑の表情を浮かべる。自分たちが倒そうとしてきた相手が想像も出来ない姿をしており、どうしていいのか分からなかった。

 そんな中で真っ先に動いたのはマーリンだ。彼は杖を振るい魔法を発動させる。四人をも飲み込める程の火球が生み出され魔王に向かっていく。傍から見れば四人が幼女をいじめる光景に見えてしまうが、魔王は手を軽く振るうだけで火球を消し飛ばした。


「……間違いない。魔王の様だ」

「いきなり攻撃とは酷いぞ! 私まだ何もしてない!」


 駄々をこねる様な彼女に対し、アラン達の表情はすぐれない。マーリンの放った魔法は規模こそ大きくないものの威力は最も高い魔法だった。それに加え杖まで使った一撃であり、これまで相手にしてきた四天王でさえ容易く屠れるものをいとも簡単に消されてしまった。それも腕を振るっただけで魔法も何も使っていない攻撃ですらないもので。

 それだけで、彼らの目の前にいるモノは紛れもない『魔王』だと思い知らされた。


「マーリン補助を! テレサは回復を! ローグは俺と……「少し落ち着いてください」」


 アランは仲間たちへ声だけで支持を出すも、途中で遮られてしまう。それは仲間でも魔王でもない第三者によるものだった。その人物は彼ら四人の間に表れ、アランの肩に手を置きながら言い放った。

 そこで動くことが出来たのはこれまでの旅のおかげか、アランは聖剣をすかさず抜き、その勢いのまま回転し一刀を放つ。しかし、肉を断つ感触はなく虚しく空を切るだけだった。

 件の人物は魔王の横に移動していた。


「おおエンマ。どこに行っていたのだ? 私一人では寂しいから傍にいてと言ったのに」

「すいません魔王様。恐れ多きも申告させていただきますと、客人を招く準備をしておりましたので。ただ話すだけでは口寂しいと思い紅茶と菓子を用意しておりました」

「そうかそうか! それはいいな。お菓子ってなんだ?」

「魔王様のお好きなクッキーでございます。今日のお客様は特別ですからね、高級品を用意させていただきましたよ」

「ほんとか? やったーいつもエンマはお菓子を取り上げるから嫌なのだ。早く食べたい!」

「今お持ちいたしますので少々お待ちください。……そちらの者たちも席に座ると良い」


 置いてけぼりだったアラン達へ振り向き促す。彼らはどこに?と考えるが気づけば目の前にテーブルと椅子が六脚あった。


「はは、転移魔法か……」


 僅かにとらえる事の出来た魔法の残滓からマーリンは推測した。先程突然現れた事、アランの斬撃をよけ一瞬にして魔王の傍に移動した事を踏まえそう結論付けた。

 彼の乾いた笑いにテレサは目を見開く。


「転移ですって? 失われたはずの古代魔法のはずです。いくら魔王に近しいものとはいえありえません!」

「なら君にはアレが何に見えるんだ? いや何も言えてはいないか。僕でさえその可能性があるとしか言えないものだ」

「古代魔法は神の御意思によって失われた禁忌です。もしその存在が残されているならば尚の事私たちは彼女たちを討たなければなりません」

「それも神の意思と?」

「ええ。私が生まれ聖女となり、この旅に導かれたのも全て神が定めた事なのです」

「敬虔な事だ」


 口喧嘩を始める二人をアランは止める。


「二人とも、今は仲間同士で喧嘩をしている場合じゃない。彼女たちは俺たちに座れと言った。それに従うかどうかを話合うべきじゃないのか?」

「そんなものは決まっています。お客様? 紅茶? お菓子? ふざけないで下さい。彼らは滅ぼすべき悪であり、私たちはそれを成す善です」

「と、彼女は言っているが。君はどうするつもりなんだ?」


 テレサは即座に切り捨て、マーリンはアランに問い返す。彼の中で答えは出ているが、パーティーとして決定権を持つのは勇者たるアランだけだ。


「……俺は」


 そこで初めてアランは言いよどむ。これまで幾重にも及ぶ選択を重ねてきた彼だが、決断はすべて淀みなかった。倒すべき者がいて救うべき者がいた。それは今回も変わらない。倒すべき魔王がいて、救うべき世界がある。けれど彼は思い止まってしまう。今も玉座に座りながらお菓子を楽しそうに待つ少女が、世界を手にかける存在には見えないのだ。


「悩むのなら席についてからでも出来ます。魔王様が早く菓子を食べたそうにしておりますので、皆様席にお座りください」


 エンマはそう言いながら準備を進める。人数分のカップに菓子を並べ、魔王が座る席を引く。満足そうに魔王はその席に座り、エンマはその隣に座り自らの淹れた紅茶を飲み始めた。

 かたやティータイムを楽しむ者たち、かたや武器を持ち防具に身を包んだ戦いを始めんとする者たちという異様な光景が大広間には広がっていた。

 魔王が用意されたお菓子を食べ終える頃、アランはやっと口を開いた。


「……君たちの話は聞けない。俺は勇者だ。倒すべき奥がいる。それをここで辞めるわけにはいかない」


 彼の決意を皮切りに他の三人は気を引き締め、戦闘態勢を取る。彼らの魔力が高まり聖剣に輝きが灯っても、魔王とエンマは変わらずいた。


「……いくぞ」


 アランとローグが駆け出し、テレサが祈り、マーリンが魔法を放つ。変わらず崩れる事のなかった布陣。たとえ驚異的な魔王とエンマだろうと神と精霊に加護を祝福を受けた彼らの攻撃が通らない筈がない。

 聖剣の輝きが一層増し、魔王に切りかかろうとした時。


「もういい」


 魔王が吐き捨てる様に言うと、彼らはその場から消え去る。


「今回もダメでしたね」

「私何もしてないのに何で倒されなきゃいけないの?」


 本当に何も知らない少女の様に魔王はエンマに問う。


「魔王様が悪いわけではありません。初代様と先代様が最も愚かであったのが悪いのです。魔物を造り出し人を攻めたのは愚かな選択としか言いようがありません。魔王様はまだお若い。この先様々な事を見て知り学びます。そこで誤らない様にするのが私の、先々代様からの任務です。貴方は貴方のままで良いのです」


 我が子の様に説き魔王の頭を撫でるエンマは聖者の様な笑みを浮かべた。ここにテレサがいれば悪魔の笑いと一蹴しただろう。


「エンマに撫でられるの好き」

「それは嬉しい事を言って下さいます。なにせ魔王様が小さい頃より撫でさせて貰って来ましたからね」

「お父様もお母様も知らない。知ってるのはお城の皆とエンマ、いなくなる前のおじい様だけ。エンマは私の大切な家族」

「ありがとうございます」


 今代の魔王はまだ若く、今は魔王軍をまとめるのも一苦労だ。側近の者たちがいなければすぐにでもこの城はなくなり国が落ちるだろう。


「そう言えば、勇者たちはどうやってここまで来たのだ? ここまでは多くの者がいる。私を悪者扱いしてくる奴らだぞ。城や外の者たちは大丈夫なのか?」

「道は普通だと思われます。国の者彼らと遭遇しない様に避難もさせておりました。中には魔王様の身を案じ警護につきたいといった者たちもおりましたので、そうした者はこちらの方で配置しておきました」

「それならいい。まだ魔王になったばかりだが、皆は私のものだ。勇者に倒されたりしては悲しいからな」

「彼らなら大丈夫だと思いますよ」

「うむ。それでエンマ……残ったお菓子は食べてもいいのか?」

「勇者たちに用意したものですか?」

「そうだ。あのままにしておくのはもったいないだろ? 私が食べてあげればお菓子たちも嬉しいはず」

「今日は大変な日でしたからね、特別ですよ」

「ほんとか!? やったのだ」


 魔王は指を軽く振るい、自分の皿に余ったお菓子を集める。エンマの様な転移魔法ではなく浮かして移動させる誰でも出来る魔法だ。

 そうして集めた甘味を魔法で器用に口に運んでいく。口いっぱいに頬張る可愛らしい姿を、エンマは紅茶片手に楽しんでいた。このうら若き魔王がこの先どうなっていくのかは彼にも分かりはしない。けれど、この笑顔だけは守りたいと改めて心に誓う。先の勇者は惜しいところまで行っていた。いってはいたが結局あちら側に立ってしまった。これまでの多くの者がそうであったため落胆は少なかった。


「ん。紅茶のおかわり欲しい」

「かしこまりました」


 お菓子を紅茶で流し込んだ魔王は、カップを突き出しながら言った。いつもはその令嬢にそぐわない仕草を注意するが今日はそれもない。

 先程のものよりも甘味を抑えた紅茶を彼女のカップに注ぎ、自分のものにも淹れる。


「……ぷはー。美味しいな!」

「喜んでいただけて何よりです」

「エンマエンマ」

「なんですか?」

「この後は何するのだ?」


 特に考えていなかった彼はしばし考える。今日の様に勇者が来る日は大抵一日のほとんどを使う事が多い。そのためか、あまり他の予定を入れる事は少なく、今はそれがあだとなり何もする事がなかった。

 どうしようかと悩む彼に魔王が珍しく提案する。


「私は勉強がしたい」

「……勉強でございますか?」

「うん」


 いつもは勉強を渋る彼女からの提案にエンマは思はず目を見開いて驚く。


「私はまだ小さくてエンマや皆にいろんな事してもらってる。皆それでいいって言ってくれるけど、私は魔王。いつまでも小さいままの私じゃ何も出来ないから。さっきの人たちは私よりも色んなものを知ってると思うから。私が色んな事を知れば今以上に良い事があると思う」

「そうですか。では今日は歴史の勉強でも致しましょう。この国の事だけでなく人族の国や歴史についてもやっていきましょう」

「分かった。宜しくね」

「承りました」


 予定が決まり、二人は残った紅茶がなくなるまで雑談に花を咲かせた。

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