異界駅にて待つ

著;ソルティ



 

 ふと、ある日のことを思い出していた。あれは確かちょうど去年の今頃、雪の降る二月の夜のこと、だった気がする。


『もしもし綾人? なぁなぁ聞いてくれよ!さっきさ──』

「おい、今何時だと思ってるんだよ!」


 深夜2時をまわる頃、突然電話をかけてきたのは友達の京だった。


『あ、わりぃ。寝てた?』

「いや、まぁ、起きてはいたけど……」


 なんだ、と安心した様子で話を続けようとする京を僕は止めることができなかった。というよりかは、呆れてその気力も出なかったと言った方が正しいかもしれない。


『──それでさ、やっと停まったと思って外見たら全く見覚えのない駅だったんだよ!』

「……ああはいはい、それは大変でしたねー」

『絶対信じてないな!?』

「もう眠いから寝るよ、おやすみ」

『あ、ちょっと! この話にはまだまだ続きが──』


 そう京が言い終える前に電話を切り、マナーモードに設定した。昔から京はオカルト的な話が好きで、そういう話のネタを見つけてはこちらの事情など気にせず嬉々として僕に語ってくる友達なのだ。さっきの電話もきっとその類のものだろう。

 なんだか急に寒くなってきた。布団に潜ると、心身を蝕むような寒さが錯覚だったのではないかと感じるほどの暖かさが僕を包む。目を閉じて鼓動の音を一つ、二つ、三つ……。そうして意識は闇の中へと消えた。




 現在、僕を乗せた電車は最後に停止した駅からおよそ20分、一度も停止せずに走り続けている。本来なら2,3分で次の駅に到着するはずのところを、だ。僕が今しがた去年の記憶を思い出していた理由は紛れもなくこの聞き覚えのある異常な状況にある。


「もしかしてこれ、あの時京が言ってたやつ……?」


 だとすればこの電車が今向かっているのは京が迷い込んだ駅と同じ場所だ。ああ、まさか京の嘘臭いオカルト話の相手をしなかったことに後悔する日が来るなんて……。


「い、いや、まだそうとも限らないし……」


 恐る恐る、あえて見ていなかった窓の外を見る。そこにはただ真っ暗な闇があるだけで、窓に反射した自分の表情が余計に不安を煽った。


『間もなく 終点 ○×▼※□ ○×▼※□駅』

「ヒィッ!?」


 突如として流れ出した車内アナウンスに虚を衝かれ、腰を抜かしてしまいそうになった。アナウンスで読み上げられた駅の名前は聞いたことがないどころか、逆再生したような意味不明な発音で聞き取ることすらできなかった。しかもそれが終点ときた。もう避けられない。確定怪異遭遇コースだ。

 それとほぼ同時に窓の外が気持ち少し明るくなり、景色が見えるようになった。しかし見渡す限りに目立った物はなく、一面に黒を混ぜた紫色の夜空とただ草木が生い茂る草原が広がっているだけだった。もっと恐ろしい景色を想像していたために、拍子抜けして少し安心した。

 電車は走行速度を徐々に落とし、停車の準備にかかる。前方に駅のホームが見えてくるとブレーキが掛かり、進行方向に体が傾く。


『○×▼※□ ○×▼※□駅です』


 相変わらず聞き取れない駅の名前を読み上げるアナウンスの声と共に扉が開く。外からはヒヤリとした風が肌を刺すように吹いてきた。


「…………よし」


 覚悟を決めるしかない。このまま乗り過ごすことも一瞬考えたが、僕の直感がそれを拒否して選択肢から消えた。僕は勇気を振り絞り、駅のホームに一歩、足を踏み入れた。別にそれで何か起こったわけではない。しかし、今この瞬間に間違いなく僕は世界の境界線を越えた。そういう感覚がしたのだ。

 降り立ったホームにはしっかりとした塀や屋根が、また自販機や待合室などもあり、周辺の何も無い感じには似つかわしくない小綺麗な雰囲気で、まるで適当に用意された空間にこのホームが後付けされたようだった。


「とにかく、帰る手段を見つけないと……」


 電車は僕が降りるとすぐ扉を閉めてまた走り出して行ってしまった。僕はまずポケットからスマホを取り出し、試しに現在地を調べようとしてみた。


「うわ、圏外じゃん……」


 何となくそんな気はしていたが、やっぱりこうなると絶望感がすごい。用済みになったスマホをポケットにしまい、改めて周囲を見渡す。


「……?」


 今、誰かがいたような気がした。肩に力が入り、足がすくんでその場で凍り付いたように動けなくなる。


「気のせい、だよな……?」


 その時だった。背後から風の音と一緒に何かが僕の首筋に触れた。


「うわぁっ!!なに!?」


 勢いでつい後ろを振り返ってしまった。が、そこには誰の姿もなく、触れた感覚の正体は一枚の葉だったというベタな勘違いだった。


「な、なんだ……。はぁ……」


 安堵と共に深いため息をついて向き戻ると、目の前に白いワンピースを着た女が立っていた。

 女のように見える者、が立っていた。


「あ……」

「…………──」


 何かを呟いているような気がする。僕を呪うための言葉だろうか。視界が黒く染まっていく中で、僕は終わりを確信した。




「──あの~、大丈夫ですか? 起きてくださ~い!」

「……もしかして、お亡くなりになってます? だとしたらこれ、わたくしが殺しちゃったことに……。どうしましょう!どうしましょうどうしましょうどうしましょう!」


 意識をうっすらと取り戻したときに聞こえてきたのは横になった僕の周りをぐるぐると歩く足音と、困った様子で同じ言葉をひたすら繰り返す声だった。


「うーん……」

「! 今何か声がしました! ということはまだ生きていらっしゃるはず!」


 繰り返す声がぴたりと止んだと思えば、今度はそれが歓喜、あるいは安堵のような声に変わり、その声の主が僕をがさがさと揺さぶりだした。それによって半ば強引に僕の目は覚め……。


「ここは……ってうわっ!」


 そこにいたのは先ほど僕が気絶した原因となった正体不明の女だった。体が反射的に距離を取る。


「あの、どうして距離を……?」

「どうしてって、こんな訳のわからん場所で遭う奴に近づこうとする方がおかしいと思うけどな!?」


 そう言って僕はまだ目覚めたばかりでふらつく体に鞭打って立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。


「あ、ちょっと待ってください! ……あの、わたくし、会いたい人がいるんです!」


 が、その言葉を聞いて自分でも不思議なくらいに自然と足を止めていた。それくらい女の声は覚悟の色に満ちていて、正体はどうあれ他人とは思えなかった。


「あの、あなたはきっとここではない世界の方なのですよね。実はわたくし、前にもそのような方とここでお会いしたことがあるんです」


 女が言うには、僕と同じように別の世界からここへ飛ばされてきた人が過去にも一人居て、その人と別れてからここで待ち続けるも会える気がしないため、どうにかしてもう一度会いたいと思っていたところに僕が現れた、ということだった。


「まず、何よりも先に聞きたいんだけど……」

「何でしょう?」

「何者?」


 僕がそう言うと女は目を丸くして、


「え? わたくしですか?」

「もちろん。他に誰がいるんだよ」

「えーと……。あの、自分が何者かって説明するの、難しくないですか?」

「あー。じゃあ質問を変える。……まぁ、これは大体聞かなくても分かるんだけど、怖いし一応確認のため。あんたは僕に危害を加える存在?」

「いえ? 今会ったばかりですから、あなたに恨みもないですし……」


 最初こそどんな危険な存在かと疑ったが、彼女の言動、特に目の前で気絶した僕をどうにもしなかったことを顧みるにどうやらそういうものではないらしい。僕の中の警戒心は解けつつあった。


「分かった、ありがとう。で、待ち人の件だけど」

「僕が元の世界に帰るのを手伝ってくれるなら協力するよ」

「! 本当ですか!?」


 彼女は目を輝かせた。


「いや、まぁ協力するっつっても具体的な考えがあるわけではないんだけど……それでも良いなら」

「全然、構いません! あの、わたくしからも一つ質問、いいですか?」

「いいけど、何?」

「お名前、お聞きしたくて……」

「綾人。八坂綾人だよ。そっちは?」


 すると彼女は一瞬の間の後に名乗った。


「はすみって言います、これからよろしくお願いします!」


 こうしてここに異世界人間の協力関係が結ばれた。脱出と人探しという二つの旗を掲げて。夜空ではいつの間にか星たちが大きく十字になって輝きだしていた。

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