関西偏見
著;雨龍
ピンポンパンポーン♙↖
【注意事項】
本作は、静岡県出身の作者が関西の地元ヒエラルキーを、独断と偏見で書き上げたものです。実際の地域には一切の関りがございませんので、ご理解よろしくお願い致します。
ピンポンパンポーン♙↘
忘年会も中盤に差し掛かった頃、事件は起きた。
「小北くんて家、奈良なんやろ。終電大丈夫なん?」
時計の針はまだ八時を過ぎたばかりだ。終電などまだまだ先の話である。電車を気にする必要など微塵もなかった。手元のジョッキは二杯目も飲み終えておらず、机に届いていないメニューだってたくさんある。ここで一人早上がりをする奴など、よっぽど人付き合いが苦手な人間か、かなりの田舎者だけであろう。
そう、田舎者である。
これは、明らかな挑発。明らかな奈良県に対する挑戦状であった。
居酒屋で頬を赤くする六名に今、負けられない戦いのゴングが響き渡るー。
「僕は大丈夫だよ。八尾さんこそ大丈夫?」
八尾の唐突なストレートに微小な苛つきを滲ませる小北は、挑発の返しなのか、はたまた無垢な疑問か、判断のしかねる無難なジャブを返す。
「え? 私、大阪出身やで」
八尾は苦笑いを繕うしかなかった。無論、自身の出身を知らない小北への苦笑ではない。奈良県民という下等民が、大阪出身者に対し、「大丈夫?」と、恐れ多くも声をかける滑稽さに、一種の哀れみを覚えた結果、苦笑いという慈悲に満ちた表情を作り出したのである。
しかし、長らく天上人(大阪府民)に虐げられてきた小北にとって、この苦笑は日常茶飯事であった。この苦笑に対する反撃は、もはや考慮が住んでいる。
高を括れるのも今の内だ。とでも言わんばかりに、小北は微小なにやつきを浮かべた。
「でも、八尾さんの家、
座敷に、激震が走る。
交野市は、大阪府であれ、大阪にあらず。総括的に都会とされる大阪府北部において、奈良県との県境に位置する交野市は、住宅と畑のみが景色を支配する、まさしく田舎(離島)であった。
その様子は、関西の盟主たる大阪市とは一線を欠いており、まさに別世界。大阪のGalápagosである。
「何が言いたいん?」
にこやかな笑みの奥に、噴煙の如く沸き立つ怒りがあることは、誰の目にも明白であった。
「いや、別に……」
優越感に浸る顔で、小北の口がジョッキへ向かう。
その時
「え、八尾さんて交野市なんや。滋賀出身のわいとそう変わらんやん」
追い打ちをかけるように、赤く染まった頬の男が身を乗り出す。
「交野市いうても一応、大阪やで。滋賀と同じにしないで欲しいわ、六角くん」
苦し紛れの八尾の言葉に、六角は笑みを零す。己が生を受けた土地を最大限に生かすには、今しかなかった。
「何やと? 琵琶湖の水止めるで?」
決まり文句を繰り出し、周囲から「おお」という感嘆の声が漏れる。己の(滋賀県の)最大の武器を繰り出した六角は、どこか誇らしげである。
が、奈良、滋賀にまさかのしっぺ返しを喰らう八尾は、胸の噴気を抑えられないでいた。
己から仕掛けたいざこざで劣勢に立つ様は、もはや滑稽としか言いようがない。
この六人で最も都会と思われた八尾がまさかの劣等生ということが明らかとなり、座敷は琵琶湖のざわめきの後、一時の静寂を生む。これは、四県に希望の光を照らし、二府に暗雲を垂らすという、前代未聞の事態を意味していた。この混沌の中、関西のもう一つの雄が立ち上がる。
「まぁまぁ、出身地でからかうのはよそうよ」
「神戸くん……」
この男、流通、経済、観光、全てにおいて大阪に追随する兵庫県の中心地、神戸の出身である。
出身地と同じ苗字に誇りを持つ彼は、言葉とは裏腹に、「神戸くん」という発音に快楽を覚えていた。
「大体、大阪の中で田舎でも、二人は馬鹿にできないでしょ」
先の発言とは裏腹に、冷徹な視線で、冷徹な言葉を、奈良の小北と滋賀の六角に送る。この男、弱き者にはめっぽう強いようであった。
「何でや。交野市、マジで田舎やで?」
「そうだ。奈良ともそう変わんないよ」
二人が怪訝な顔を浮かべる中、八尾、神戸は目配せをして笑みを垂らす。
「海なし県がねぇ「がなぁ」……」
二人の顔は凍えたように固まり、目の奥に絶望が溢れた。
〝海なし県〟
島国日本において、この欠点は致命的にも値しない決定的損失であった。魚、貝、海苔、塩、若芽……。日本は古来より海の幸に恩恵を受け、海と共に生きてきた。食物だけではない。海は商船の行き来もしやすく、中・近世において物流の主力を担ってきた。海は偉大であり、日本の誇り、牽いては武器であった。
その海を持たない県が、ここに二つある。
奈良県と滋賀県である。
海の偉大さを誰よりも理解するこの国では、「海なし県」と書き、「負け組」と読んだ。
「…………」
海なし県(負け組)の二人は、生気を失い、チビチビとアルコールを己の胃に入れるのがせめてもの行動であった。
「小北くん、終電大丈夫?」
もはや小北(敗者)に返す言葉はない。自分の地元は所詮、古臭い神社仏閣と、葉っぱにくるまれた寿司しか取り柄のないことを改めて思い知らされる。
「六角くんも大丈夫かい?」
自分の地元は、やたら大きい癖に比較したら総面積の6分の1と、意外と大したことのない湖しかないことを改めて思い知らされる。
もはや、勝敗は明白であった。やはり海なし県(負け組)が他県に歯向かうなどおこがましい……。
醜い階級ヒエラルキーが居酒屋の明るい雰囲気を腐敗し始めた時、
「弱い者いじめは、日本の首都である京都が許しまへんなぁ」
神仏の光を纏い、関西において孤高の存在感を放つ古都レジェンドが舞い降りた。
それはまるで、平安の都が降臨したかのようであり、近寄りがたい神々しさの中に、どこか、己の根幹がそこにあるかの様な親近感さえも生み出している。
「二条大路さん……。弱い者いじめ何てしてないよ」
この1100年の歴史に圧倒されつつ、神戸は苦し紛れに上辺の言葉を並べた。
「神戸やて、日本の首都と比べたら大したことあらへんよ?」
「そもそも、日本の首都てなんなん?」
「首都どすえ」
二条大路の得意顔に、神戸、大阪の二人の盟主は血の気が引く。
「あ……」
首都であった。確かに、首都であった。
恐らく、「日本の首都はどこですか?」と聞かれ、誰もが口にするのは「東京」であろう。しかし、日本の首都は一つにあらず。
時は、明治元年に遡るー。
「おおい三ちゃん、まじ面倒パリピなんだけど」
「どしたどした。大ちゃん」
「京都がさ、首都を東京に移すなとか言ってくるわけよ」
「うわっ。マジ卍じゃん」
「そう、卍。どしよ」
「どっちも首都でよくね? カッケーじゃん」
「え? まじ? グッドアイデアなんすけど。さすが関白なんすけど」
「ウェェェイ」
「でもさ、首都ってパソコンと似てるな」
「何がだよ」
「色々あるけど、結局使うの一部だけ」
「御後がシュイgo‼」
というやり取りがあったかは定かではないが、今現在においても日本は東京と京都の連立首都制が成り立っている。
今、十二単衣を身に纏い、扇を振りかざす二条大路(あくまで比喩表現)は、まさしく首都民なのである。
この事実に、座敷はおののくしか術がない。
「ま、色々ありんすが、それぞれ魅力的な府県どすな」
二条大路が、この戦いの終焉を匂わせる言葉を発する。この神々しさに、次第に八尾と神戸は冷静さを取り戻していった。
「ま、そうだね。地元を馬鹿にするようなことを言って悪かったよ」
「私も」
神戸と八尾が、海なしの二人に頭を下げる。
「いや、僕らも同じように言ってたし」
「ごめんな……」
お互いに頭を下げ合い、また楽しく料理を摘まもうとした時、
「羨ましいなぁ」
戦いの外側で一人孤独に料理を食べていた男が、五人に目を向けた。
「太田くんは確か、和歌山だったけ……」
神戸がにこやかな笑みで聞くと、
「今はそうだけど、僕はおばあちゃんの家に下宿で来てるから、まだまだ和歌山県に愛着がないんだ。だから、こういう関西の話に熱中できるみんなが羨ましい」
悲しそうな表情で、ぽつりぽつりと呟くように言葉を並べる。
「別に卑下する必要なんてないんどすえ」
「え?」
「地元が関西じゃなくてもええやん。自分が生まれたところに愛着があれば」
八尾と二条大路が、太田の肩を持つ。
「そうだよ、太田君の地元はどこなの?」
小北が優しい表情で解く。
そこには、先刻までの醜い諍いなど微塵も感じられなかった。
そう、彼らは、なにがどうあれ関西という一つの仲間なのだ。互いが互いを罵り合い、蔑み合ったとしても、近くの土地に生まれたことには変わりない。
皆、わかっているのだ。どれだけ出身地に優越をつけようと、根本は変らない。全ての土地、全ての街、全ての人が、尊い日本の一部なのだ。なくてはならない関西の、日本の全てなのだ。
「どこなの? 太田君」
優しい、慈愛に満ちた表情に、太田も安堵した。これなら、安心して自分の地元に誇りを持つことが出来る。これなら、卑下することなく、打ち明けられる。
太田は、朗らかな表情となった。
「東京の、赤坂という所」
「…………」
おわり
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