跳べないハードル
増田朋美
跳べないハードル
跳べないハードル
その日は、雨が降って、電車が止まるというほどではなかったが、とにかく懲りないほど雨が降っていた。杉ちゃんと、ジョチさんは、静岡駅近くの百貨店に買い物に出かけた。とりあえず、目的のモノは購入して、さて、電車で家に帰るかと、静岡駅で二人で電車をまっていると、
「あの、失礼ですが、一寸お伺いしてもよろしいでしょうか?」
と、きちんとスーツを着た女性が、杉ちゃんたちに声をかけてきた。
「はあ、何ですか?」
と、杉ちゃんが言うと、
「はい。お尋ねしたいんですが、次の電車は富士駅には停車いたしますでしょうか?」
と、彼女は聞いてきた。
「ええ、この電車は熱海行きですから、当然止まりますよ。まあ確かに、いろんな行き先がありますし、興津までしか行かない電車もありますから、一寸紛らわしいですよね。」
ジョチさんがそう答えると、
「ありがとうございました。先日千葉からこちらに引っ越してきたばかりで、何もわからないんですよ。教えてくださってありがとうございます。」
と、彼女は二人に頭を下げた。
「いやあ、大したことないよ。其れより、千葉からこっちへ越してきたんじゃ、もうこんなところ、田舎の田舎で、つまんないでしょ?」
杉ちゃんは面白そうにそういうことを言った。
「いえ、そんなことありません。私が住んでいたところは、いすみ市ですから、富士市に比べると田舎町ですよ。」
「はあ、そうか。田舎だったのか。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「で、その田舎のお嬢さんが、今日はなんで富士に用があるの?」
「ええ。富士駅で、東京からくる、姉夫婦と待ち合わせしているんです。」
女性は杉ちゃんにいった。その女性をジョチさんは、見覚えのある顔だという顔で眺めていた。
「どうしたんだよ。何か、面識でもあるの?」
杉ちゃんがまた言うと、
「いえ、人違いだったら申し訳ありませんが、あなた、中村さんではありませんか?中村千恵子さん。」
と、ジョチさんは彼女に確認するように言った。
「ええ、その通りですが、どうして名前を前もって知っているんです?」
「いえ、大したことではありません。ただ、テレビのインタビューにあなたが答えていたのを見ていましたから。確かお医者さんでいらっしゃいましたよね?」
「まあ、もう私の名前はかなり知れ渡っているんですね。まさしくその通り中村千恵子です。」
彼女は恥ずかしそうに自分の名前を言った。
「僕も拝見しましたよ。健康番組でゲストとして出演されていましたよね。確か、心が風邪をひかないようにするにはとか、そういうタイトルの番組だったはず。」
「ありがとうございます。女優さんとか、俳優さんみたいに、テレビに出慣れているわけではないので、つたないインタビューになってしまいましたが、見ていただいてありがとうございました。」
彼女はにこやかに笑って頭を下げた。
「そうか、そうなると、中村先生と呼ばなければいけないな。」
杉ちゃんがからかい半分でいうと、
「いいえ、病院にいるとき以外は、なんでもない、ただの人間なんですから、中村先生とは呼ばないでください。」
と千恵子さんは、一寸照れくさそうに言った。ちょうどその時、熱海行きの電車がやってきた。杉ちゃんたちは、駅員に手伝ってもらいながら、それに乗り込む。
「中村先生も乗らないのか?さっき富士へ行きたいって言ってたじゃないか。」
ホームに立っている千恵子さんに、杉ちゃんが言った。千恵子さんは、あ、そうだったわねと言って、急いで電車に乗り込んだ。杉ちゃんたちは、車いす席にいったが、ちょうど電車がすいていたため、ジョチさんは、じゃあこちらへどうぞと近くの開いている席に彼女を座らせた。
「しかし、中村先生は、テレビに出ているような有名人なのに、なんでこっちに来たの?テレビに出ている有名人は、大体東京に住んでるでしょ?」
杉ちゃんがそう聞くと、
「いいえ、そうとは限りませんよ。姉夫婦が、静岡県富士市で開業したいと言っているものですから、私も一緒に来させてもらっているんですよ。」
と千恵子さんは答えた。
「へえ。お姉さんもお医者さんなの?開業っていうことは、そういう事だよなあ?」
「いえ、姉は違います。正確に言えば開業するのは、義理の兄である倉田信太で、姉はあくまでもそこで助手として働いているようなもので。」
「倉田、、、それも聞き覚えがありますよ。もしかしたらですけど、お姉さんの名前は、倉田祥子さんではありませんでしょうか?彼女も教育番組とか、そういう番組でよく出ていましたね。」
ジョチさんが、千恵子さんに確認するように言った。
「ええ、まさしく、倉田祥子です。姉の事を、テレビで見てくださったんですね。ありがとうございます。嬉しいです。」
千恵子さんはにこやかに笑った。
「そうなんだね。姉妹そろって有名人か。そりゃ、面白い姉妹だな。まあ、喧嘩しないで仲良くやれや。それにしても、こんな田舎で病院を開業しようなんて、珍しいやっちゃな。」
杉ちゃんがそういうと、
「まあ、いなかなんてそんなこと言ってはいけませんわ。富士の人たちは、みんな明るくていい人たちですよ。そんないい街なのに、馬鹿にするような言い方はしないようにしてもらいたいですね。」
と、千恵子さんは言った。
「まあ、外部の人から見ると、そういう風に見えるのかな。僕たちには何のとりえもない田舎町に見えるけど。」
杉ちゃんがそういうと、
「まもなく富士、富士です。身延線をご利用のお客様はお乗り換えです。」
という車内アナウンスがなって、電車は富士駅に停車した。杉ちゃんたちは、駅員に手伝ってもらって電車を降りた。千恵子さんも、駅員に手を貸して、杉ちゃんが電車を出るのを手伝ってくれた。
「ああ、どうもすまんねえ。お前さんにまで電車から出るのを手伝ってもらっちゃって。」
と、杉ちゃんが言うと、
「いいえ、良いんですよ。こういうひとたちがいてくれないと、世の中どんどんおかしくなりますから。其れより、エレベーターまでお連れすればいいのかしら?」
と、彼女は杉ちゃんの車いすを押しながら、そういうことを言った。
「ああ、出来れば北口まで押して行ってもらうと助かる。」
「わかりました。」
三人は、エレベーターまで行って、改札階に行った。改札口で切符を切ってもらって、約束通り北口まで車いすを押してもらった。
「本当にありがとうな。助かったぜ。」
杉ちゃんがお礼にお金を渡そうとすると、彼女はそんなものいりませんといった。と、同時に、北口の駐車場のほうから、身なりの立派な男性と女性が、千恵子さんに声をかける。
「千恵子さん、時間通りだったね。」
つまりこの二人が、倉田信太さんと、祥子さんなんだということが分かった。
「この二人はどなた?」
優しそうな女性だった。
「ええ、電車の中で、知り合った、」
「影山杉三です。杉ちゃんっていってね。其れからこいつは僕の親友で、曾我正輝さんです。」
千恵子さんが言いかけると、杉ちゃんは即答した。
「そうですか。妹がお世話になりました。お礼をしますので、お時間ありましたら、お茶でも飲んでいってくれませんか?」
と、祥子さんが言う。そんなことまでしなくても、と杉ちゃんは言ったが、二人とも、有名人であることは間違いないので、それに応じることにした。
一行は駅近くにあるカフェに入った。もうお昼時だったので、かなりの客がいたが、杉ちゃんたちは奥の席に案内してもらった。
「どうぞ好きなだけ、食べたいものを召し上がってください。」
信太さんがそういうので、杉ちゃんたちは、じゃあそうするかということにして、とりあえずパスタセットを注文した。こういうときに、食べすぎもいけないが、何も食べないのも失礼になってしまうので。
「パスタセットでよろしかったんですね。何だか、もっといいものを食べてくださってもよろしいはずでしたのに。」
と、祥子さんが言うのだが、
「どうも照れくさくてやだよ。」
とそれを断った。
「まあ、そうなんですか?せっかくお知り合いになれたんですから、御礼はしたいのですが。」
祥子さんはそういうが、杉ちゃんたちは、もういいよ、といった。その数分後、パスタセットが杉ちゃんたちの前に置かれる。パスタセットは結構な大盛で、サラダをつけなくても十分満足できる量だった。
「しかし、こんなふうに何か食べさせてくれるなんて、珍しいですね。何か理由でもあるんですか?」
とジョチさんが聞くと、
「いえいえ、何でもありません、ただ、妹と仲良くしてくださったから、そのお礼をしたいだけです。」
と、信太さんが答える。
「どうもそれはおかしいな。なんかわけがあるんじゃないの?もしかしたら、人には言えない理由でもあって、それを言わないでほしくて僕たちにご飯をたべさせているんじゃないだろうな?」
と、杉ちゃんが言った。杉ちゃんという人は、なんでも思ったことを口にしてしまう癖がある。其れが、公の場では言ってはいけないことであってもだ。
「それに、あなたの事は、何度かテレビで拝見しましたよ。中村祥子さん。あなた、結構広い分野で活躍していらした方ですよね。其れなのに、なんでいきなり芸能界を引退したんですか?単に、結婚したからというだけではなさそうですね?」
ジョチさんがそう聞くと、彼女は一寸恥ずかしそうにうつむいた。
「え、ええ、そうなんですけどね。今は、何もしていないただの主婦です。数年前に、精神関係の資格を取得して、それで色んな人のお話を聞かせてもらったりしているんですが、私が、一番癒してもらいたいんだということに気が付きました。後は、夫が開業するクリニックで、一緒にやらせてもらえればそれでいいかなと。」
「はあ、そうなのか。でも、タレントだったころの知名度を利用すれば、すぐにお客さんはきてしまいそうな気がする。」
と、杉ちゃんが言った。
「でも、今は中村祥子ではなく、倉田祥子ですし、もう中村祥子という名前はどこにもないんですし。」
祥子さんはそういうことを言っているが、
「いやあ、テレビの力というのは、それはすごいものだと思うよ。いくらここが千葉とは全然違う田舎であっても、テレビに出ていたということであれば、ちゃんと知っているやつが多いと思う。いくら、名字が変わったと言っても、顔を変えることはできないわけだから、すぐにばれちまうよ。お前さんが、中村祥子だったこと。」
と、杉ちゃんに言われて、一寸うつむいた。
「そうですね。姉さんには、何をやってもかなわないわね。」
不意に、中村千恵子さんが、思わずそんなことを言った。
「あ、ああ、ごめんなさい。実の姉に対し、そういうことを言ってはいけないわね。何か、姉さんが容姿だけを売りにして、タレント活動を始めたのは、私のせいでもあったのに。私が医者になって、安定した生活が得られるようになると、結婚を期に、芸能界をやめて。なんか、私、姉さんに、すごい悪いことをしたみたい。こんな事考えちゃいけないのに、なんで、こう思ってしまうんだろう。」
ある意味自然な感情なのかもしれなかった。
「いやあ、それで当たり前だ位に思っとけよ。そういう感情は、姉妹だからこそ、生じちゃうんだと思うよ。」
と、杉ちゃんが千恵子さんに言った。千恵子さんは、そうねとだけ言った。いや、いうことができなかったのかもしれない。
「一体どういうことなんだ?何か事情でもあるんだな?もしよかったら、僕にも聞かせてよ。精神的な援助をするやつってのは、自分の事が解決していないと、なれないっていうもんな。ちなみに僕は、だれにも言わないから、話して楽になっちまえ。」
杉ちゃんが二人の姉妹に言った。確かにこの姉妹、何か確執のようなものがあるのではないか、と、杉ちゃんもジョチさんも思った。もしかして、二人の仲を取り持つために、倉田信太さんがいるのかもしれない。
「ええ、なかなか人には言えないことではあるんですが、、、。」
そういう千恵子さんに、
「でも、僕たちにパスタセットを奢ってくれたのは、そういうことでもあるよなあ。お前さんたちの秘密をばらさないでくれと、懇願するために、僕たちにパスタセットをたべさせたんだろう。そういうことなら、ここで話しちまえよ。仲のよさそうで、実は喧嘩の火花がびりびりしているやつは、どこの世界にもいっぱいいる。どっちか片っぽが、死んでから解決じゃ遅すぎるんだ。そうじゃなくて、生きているうちに解決しなきゃな。」
「ええ、二人に言わせるのもかわいそうですから、僕が話しますよ。祥子さんと千恵子さんのご両親は、千恵子さんが高校生の時に亡くなりましてね。千恵子さんは医大への進学が決まっていたものですから、その時短大にいた祥子さんが、大学をやめてタレントになったんです。それで、千恵子さんは、医者になることができました。そこまででよかったんですけど、祥子さんがタレントとして、ここまで大ブレイクしたというのは、予想できなかったことでね。それで千恵子さんは一人の医者にしかなれなかったことに、嫉妬心を燃やしてしまうことが度々あるんですよ。」
信太さんが、二人を代弁するように言った。
「千恵子さんは医者になれたと言っても、ただの静岡県内での勤務医に過ぎない。ところが、祥子さんのほうは、テレビ番組で引っ張りだこの大タレントになってしまった。祥子さんは千恵子さんに言っていたそうです。自分はタレントになったけど、千恵子を超えるようなことはしないからと。でも、結果として、千恵子さんのほうが、祥子さんを越えることはできなくなってしまいましたけどね。」
「そうですか。確かに、僕もあなたを良くテレビで見ましたからね。料理番組とか、旅番組で、本当に中村祥子さんはよく出ていましたし。それに、写真集とか、グッズも発売されていました。それくらい、中村祥子さんは大ブレイクしましたよ。」
ジョチさんは、信太さんの話に口を合わせた。
「僕もテレビは見たことはないが、祥子さんの写真集は見たことが在るな。それくらい、売れた顔だったね。」
杉ちゃんもそういった。
「ええ、祥子さんは、何回も千恵子さんに言い聞かせたそうです。タレントよりも医者の方が、何人もの人を救えるんじゃないかと。でも、千恵子さんは医者と言っても単なる外科医ですし、人の生死にかかわるようなケースはほとんどありません。だから、だんだん祥子さんの事をねたむようになったんだと思います。」
信太さんは、そういうことを言った。
「そうですか。初めは良かったけど、結果がおかしくなっちまったということか。まあでも、人生なんて、思った通りにはならないのが当たり前だからね。結果は違ってもいいんじゃないのかということで、それでいいと思うだけじゃないの?」
と、杉ちゃんがいうと、信太さんもそれはそうなんですけどね、とため息をついた。
「僕は、千恵子さんにそういわれた時、何回も同じことを言いました。千恵子さんは、結局、祥子さんの力で無事に医者になることができたんじゃないか。それは、感謝するべきじゃないかって。でも、千恵子さんは納得してくれませんでね。お姉さんがあんなに大ブレイクしたのに、私は一人の医者に過ぎないというんです。最近は、千恵子さんもたまにテレビに出るようになりましたが、それはお姉さんが、テレビ局に自分の知名度を使って、無理やり出演させたんだということが、背景にあります。そういうところからも、千恵子さんは、お姉さんに対して複雑な感情を持っているようでして。」
「そうか。仲介するお前さんも大変だな。ある意味、当事者よりも大変かもしれないよ。まあ、そうだな、僕からの助言のようなものは、時間がたつのを待つしかないしか言えないな。彼女たちの確執というものは、そう簡単には解決できないと思うしね。仲介役もつらいと思うけど、まあゆっくりのんびりやれや。」
杉ちゃんは、そういう信太さんを慰めるように言った。
「お二人さんとしてはそうだなあ。まあ、実の姉妹だからこそ、喧嘩してしまうこともあると思うんだけどね、喧嘩しているよりも、彼の事を一寸考えてやって頂戴な。それを読み取って、まえむきに生きることも、必要なんじゃないの?」
「杉ちゃんすごいこと言いますね。確かに、姉妹で仲良くというものは、難しいと思いますが、お姉さんと妹さんで、早く確執が解消する、糸口が見つかるといいですね。」
ジョチさんは、パスタをがつがつと食べている杉ちゃんと一緒に、そういうことを言った。
「でも、本当は、お姉さんと妹さんがそれぞれの分野で活躍して、お互いに一生懸命やってくれることが、一番幸せなんだと思います。幸せであれば、片方が片方をねたんだり、喧嘩したりすることは、ないと思います。ただ、それを実現するきっかけをつくるのが本当に難しいですけど。まあ、それを待っていなければならない時期もあるとは、思いますが、、、。」
ジョチさんは、彼女たちを眺めながらそういうことを言った。
「まあね、そのうち、解決の糸口も見つかるよ。それより、お姉さんは、もうタレントをやめて、いまから、開業医の奥さんとして、活動を始めるわけだから。この先、どうなるかなんて誰もわからないじゃないか。そして、妹さんは、外科医として、又違う地柄に直面する事もあるだろう。そうすれば、お姉さんに対する気持ちも変わってくるかもしれないしね。今はつらいかもしれないけどさ。人生なんて、変わらないことなんてないんだから、それに乗ってしまうのも、一つの手段なのかもね。」
杉ちゃんはそういってジュースをがぶ飲みした。
「そうかもしれないわね。」
と、お姉さんの祥子さんは、そういう事を言う。
「そうそう。まだまだ人生はこれからだ。其れを忘れないでくれよ。」
杉ちゃんがそういうと、妹の、千恵子さんも、
「ええ。変化が訪れるのを待つのも又楽しかもね。」
と納得してくれたようだ。ジョチさんと、信太さんは、できるだけ早くそれが実現してくれるように、頑張りましょうとため息をついた。
跳べないハードル 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます