翡翠の記憶は彼方へ消えて

「戦況は?」

 サイクロプスを討伐した面々の内、國さんと他の援護に回ったAi_neさんを除いたメンバーで、飯田さんたちの元へ駆けつけた。兎蛍さんが答えた。


「負傷者二名。こちらのアカウントは損傷が激しく……」

 飯田さん。またボロボロなのか。

「こちらのアカウントは損傷程度は軽度なものの戦闘不能です」

 結月さん。肩を負傷している。


「視線を遮ることはできるの。M.A.P.L.E.がいるから」

 息も絶え絶えに、結月さん。飯田さんの左手を見る。おそらくM.A.P.L.E.がやられると他のアカウントに影響が出ると思ったのだろう。体を使ってしっかりと守っている。防犯用の人工知能を身を挺して守ったら意味がないだろうに。


「でも接近するとやられる。あの『エディター』肉弾戦が異常に強い。黒狼グレイルで歯が立たない。飯田さんよく片目潰せたと思うよ」

 ボロボロになった飯田さんの右手を見る。しっかりとP.O.I.R.O.T.が握られていた。


 すずめさん、栗栖さん、無頼チャイさんの方を見る。


 盲目になった三面の内の一面。それが大暴れしている。

 やったらめったらに腕を振り回しているのだが、その勢い、威力、どれにも押されているようである。すずめさんだけが唯一その猛攻に耐えられるようで、場面ごとに切り取れば優勢をとっていることもあるが……こちらの援護は望めそうにない。


「我々であの三面狼人間の一面を潰すことになりそうだが……」

 幕画ふぃんさんがつぶやく。

「兎蛍と佐倉で事足りるな?」


 幕画ふぃんさんの言葉に佐倉さんが頭を撫でながら応じる。

「多分、大丈夫かと」

「皆さんにお願いしたいのは、バックアップです」

 小柄な兎蛍さんがつぶやく。

「我々がもし、駄目だった場合、あの一面を潰すために動いてもらえれば」


「それがいい。こちらも先の戦いで疲弊している」

 MACKさんが倒れ込んだ二人の方を見る。

「回復しよう。治癒魔法が使える面々でこの『ノラ』のお二人を蘇生する」


「では、参ります。ひとまず私が。私一人で事足りるならそれで済みますし」


 兎蛍さんが一歩前に出た。冷たい風が、そっと吹いた気がした。


 兎蛍さんが床を蹴った。そこまでは認識できた。


 一瞬の移動だった。ものすごい勢い。人間業とは思えない速度だった。さっきまで〈強欲アウァーリティア〉の影響下にあって衰弱状態だったアカウントだが、既に大方回復したらしい。


 兎蛍さんが突進する。片目になった三面のうちの一面が、ぎろりと兎蛍さんを睨む。


 まずい。目が合う。本能的に僕は危険を察知した。あの阿修羅狼人間と目を合わせると発狂状態になる。


 砂漠さんか、もしくは僕のテキストファイルで立ち直らせなきゃ……そう思って「ペン」を構えた。しかし兎蛍さんは真っ直ぐに三面狼男に突進していった。


 敵が異変に気が付いた。睨んでも目を合わせても発狂状態にならない。兎蛍さんは真っ直ぐ阿修羅狼人間に突撃していく。そして。


 強烈な蹴り。


 片手で床に手をつき、鯱のように体を逸らせる。その勢いで飛び上がって、頭上を蹴り上げる。直後、手から着陸すると後転し、今度はアクセルジャンプのように回転しながら飛び上がった。独楽のように回転し、しなる旋風脚を狼人間の横っ面に叩き込む。発狂状態ではない。


 何が起きているのか分からなかった。しかし僕がそんな混乱状態にある内に。


 横っ面に叩き込まれた兎蛍さんの脚を狼人間がつかんだ。そのまま胴体にも手が伸びる。なすすべもなく兎蛍さんが捕まった。その肩に、がぶりと。


 狼人間が噛みつく。巨大な口、この世の裂け目のような口だった。小柄な兎蛍さんの体のほとんどが持っていかれた。哀れな肉塊と化した兎蛍さんの体を叩き付けるように捨てる。やられた。そう思ったが。


「蛍」


 兎蛍さんの声が聞こえてきた。澄み切った水のような、耳に心地いい声。遠くからなのにしっかりと聞こえる。次の瞬間、奇跡を目にする。


 狼人間の口から兎蛍さんの体の一部が巻き戻しのように吐き出され、そのまま兎蛍さんの残骸と……体とくっついたのである。

 後にはケロッとした兎蛍さんだけが残った。


 僕の隣にいた佐倉さんが解説を入れてくれる。


「兎蛍さんの『翡翠の屋敷で変人と』っていう作品に出てくる『蛍』という登場人物でね。五百年生きていて、どんな傷もすぐさま回復しちゃう能力の持ち主なんだ」


 と、そんな言葉を待たず。


 兎蛍さんが再び駆け出す。襲い掛かってくる三面狼人間の腕をかわし、巨大な顎の下に潜り込むと一気に飛び上がる。アッパー。狼人間の顎が鈍い音を立てる。


 攻撃は止まらない。着地した兎蛍さんはそのまま駆け出す。今度は伸びてくる敵の腕の上に飛び乗り、小柄な体を活かして肩まで一気に駆け上がった。そのまま三面狼人間の右頬に三連続の蹴り。小さな蹴りでも三連だとそれなりの効果を発揮するのだろう。阿修羅狼人間がよろめいた。その隙を逃さず、兎蛍さんが頭に飛び掛かる。


 目を潰そうとしているんだ。それは分かった。だが。


 敵もやられっぱなしじゃない。頭上に乗った兎蛍さんを引きずり下ろすように捕まえると、今度は嚙みつかず、その顔を抑えじっと見入った。そうすることで対象が狂乱状態になることを知っているのだ。


 今度もバッチリ兎蛍さんと狼人間の目が合った。そのはずなのに。


 蹴り上げ。再び狼人間の口が鈍い音を立てる。逆上がりのような動きで阿修羅狼人間の手から逃れた兎蛍さんは蜘蛛のように四肢で着地する。そのまま低い体勢を保って円を描くようにして敵に接近する。背後をとるつもりのようだ。


「な、何で……」

 僕は訊ねる。

「何で、兎蛍さんはさっきからあの三面狼人間と目を合わせているのに発狂しないんですか……?」

 佐倉さんが頭を撫でながら答えた。

「よく聞いていれば分かる。さっきから二度どころじゃない。何度も目が合ってる」


 耳を澄ませる。戦場の中で兎蛍さんの声だけを拾うのは、それなりに神経を使った。


「夜拆御影……夜拆御影……夜拆御影……」


 よひらみかげ? 何だろう。お経? 佐倉さんの言う通り、どうやら三面狼人間と目が合う度にその言葉を口にしているようである。何かの……能力? 


 すると僕の疑問を感じ取ってくれたのだろう。佐倉さんが微笑みながら告げた。


「『夜拆御影』。『翡翠の屋敷で変人と』に出てくる記憶喪失の医者なんだ」

「記憶喪失の医者? そんな登場人物が何の役に……」

 と、言いかけて理解が及んだ。

「もしかして『目が合った』そばから忘れてる?」

「そうだよ」

 事も無げに、佐倉さん。

「兎蛍は状態異常系の攻撃を大方『記憶喪失』で対処している。状態異常になったそばから『ド忘れ』する。自分の状態がおかしいことって、『自分がおかしいこと』を認知するところから始まるんだ。そのステップがないから、必然的に……」

「異常行動に至らない?」

「そんな感じ」


 兎蛍さんの猛攻は続く。


 バク転からの蹴り落とし。腕をかいくぐり、腹部に接近してからの連続パンチ。急所への蹴り。かと思えば突き出された拳をいなして柔術のような技をかける。時折頭部に接近しては、何とか残りの片目を潰そうと試みる。しかし。


 敵も手強い。元よりすずめさんたちでも苦戦するような相手なのだ。視線による攻撃を無効化できる程度では優勢に立てない。


 兎蛍さんもじり貧だった。同じ攻撃はすぐに見切られるようになるので、次第に打つ手が少なくなってくる。兎蛍さんは体格ではどうしても敵に劣る。連続攻撃を仕掛ける以外ないのだが、その手数も封じられつつある。


「佐倉ぁ」


 ついに兎蛍さんが声を上げた。


「ぼーっと見てないで手伝って! こいつなかなか攻略できない!」

 すると佐倉さんがぺたりと頭を撫でつけ、僕の方を見た。

「さっきまで威勢が良かったのにね」

 いたずらっぽく、笑っている。


「手を貸すよ」


 佐倉さんがすっと一歩、前に出る。


「『ガーナ・ヴァーケルは聖女になりたくない』……」

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