事務所NG

「椅子でぶん殴ればいいわけね?」

 小学生用の椅子を片手に物騒なことを言う加藤伊織さん。「ノラ」ビッグスリーの一人。『暴走型エディター』の支配下にあるとはいえ、ビッグスリー。『寄生型エディター』に支配されていたすずめさんが滅茶苦茶に強かったのと同じで、きっと加藤さんも『エディター』の影響下にあっても強いのだろう。


「どうぞ。伊織姉様」

 飯田さんが恭しく加藤さんに立ち位置を譲る。左手はM.A.P.L.E.のパワードグローブのままだ。

 椅子を片手に仁王立ちする加藤さん。横に小さく飯田さん。あの人出しゃばった割にすぐ引っ込むな。何がしたかったんだ。

 加藤さんが凛々しく告げる。

「ま、あの狐女の方は私と太朗くんで……」

「僕は働きたくない」

「働きなさい。……私と太朗くんでどうにかするとして、脇の二人は?」

「『King Arthur』の人間だろ。どう考えても」

 飯田さんの声に、中村天人さんが応じる。

「兎蛍さんと佐倉さんだね」

 ミドル丈のドレスから伸びた脚が綺麗だ、なんて思っていたら、僕のアカウント名と同じ苗字が言われたから驚いた。砂漠さんが被せるように続ける。

「あの尻尾、(ピー)から生えてるのかな……」

 ……またモザイク音か。平気で下ネタかますなこの人。


「経験則的に、あの尻尾をとれば支配から解放される!」

 結月さんが白狼レティリエの姿で叫ぶ。

 僕たちの視線の先で、ゆらりと立ち尽くす二体のアカウント。


 一人は……少女のような、少年? 分かりにくい。背が低いということしか情報がなかった。結月さんとそんなに変わらない。ミディアム丈の茶髪。目は虚ろだが、瞳の色も髪の色と同じだ。甚兵衛のような浴衣のような……不思議な和風の服を着ている。何だかメロウ+さんが宝石から出す童児のようだ。こちらがおそらく、兎蛍さん。


 もう一人は……少年のような、少女? こちらも分かりにくい。アカウントだからこれくらい中性的な方がいいとは思うが。同じくミディアム丈のこちらは黒髪。虚ろな瞳の色も黒。身長は和服の子供よりは高い。そこから年齢的な判断をするとすれば、多分僕と同じくらい。ドレスのようにも、燕尾服のようにも見える不思議な西洋風の衣装を着ている。こちらがおそらく、佐倉さん。


 二人とも背後に真っ白な毛に包まれた尻尾を一本、生やしていた。結月さんが推測するにあの尻尾をどうにかすればいいらしい。

「さすがに反撃しないとね。やられっぱなしはよくない」

 ミドルドレスの可動域内で準備体操を始める中村さん。大丈夫かな。見えないかな。……何でこっちがドギマギするんだ? 

「やっぱあの尻尾(ピー)から……」

 お前もうそのことしか頭にないだろ。

「二人はこっちが受け持つよ」

 静かに響く、中村天人さんの声。さっきまでのお茶らけた雰囲気が、一切ない。胸の奥で、心臓が冷えた気がした。

「『円卓の騎士』として、ギルド員を救ってあげないとね」

 ようやくまともなことを口にした砂漠さん。中村さんがこちらを振り向く。

「花ちゃんたちはバックアップで。基本的に、戦いに巻き込まれないようにしてればいいから。ふぃん様やMACKちゃんたちも、回復に努めてね」


「じゃ、そういう役割分担だな」

 飯田さん。いつの間にか加藤さんの後ろに構えている。

「こっちが早く片付けば、『円卓の騎士』とやらの二人の仕事も軽くなるかもしれないぞ、伊織姉様」

「それは急いでやっつけてあげないと」

 椅子を片手で持つ加藤さん。眼鏡をぐいと持ち上げ、口元をきゅっと結ぶと、涼やかな声で唱え始める。


「ベネ・ディシティ・アッティンブート・イナ……」

「長い」

「ベネ・ディシティ……」

「長い」

「ベネ……」

「長い」

「長くねーだろ。何回やるんだよこのやりとり」

 もはや定型となりつつあるこの受け答えを温かく見守る僕たち。今日も世界は平和だ。

「もういい! テットゥーコ!」

 飯田さんがあまりに「長い」というから呪文の肝心なところだけを口にすることにしたのだろう。彼女は今「テットゥーコ!」と言った。


 ここで加藤さんの呪文について、分かったこと。

 一、モザイク音が入らなかったのでとりあえず下ネタではない。

 二、モザイク音が入らなかったので利権がらみの名称ではない。

 三、しかし「カクヨム」で直接名前を言いにくい名称らしい。

 四、例えばタレント名とか。

 五、誰のことか僕には分かる。


「あの、加藤さんの『殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺』って、どんな話なんですか?」

 僕の問いに、すずめさんがくすくす笑う。

「(ピー)に召喚された高校生が空間魔法を得て異世界に転生して、ドラゴンを殴り殺せる女の子と冒険する話」

 ……すずめさんが下ネタを言うとは思えない。おそらくこの「ピー」は利権がらみの名称だろう。例えば番組名とか。


「加藤さんって、ふざけてるんですか? 真面目なんですか?」

 この城の外壁バリアに突っ込んでいた時に持っていた椅子といい、「ピー」の「ピー」といい、身近なものを創作に活かしすぎではないだろうか。

「真面目にふざけてるんだよ」

 すずめさんのにっこりとした笑顔で、全て納得できるような気がした。


「あ、そうだ。純白レディ」

 飯田さんが思い出したように、狐女に告げる。

「君の旦那さん……〈暴食グーラ〉くんだっけか? すず姉口説いてたぞ」

「何……?」狐の顔が醜く歪む。「そのすず姉、ってのはどいつだい」

「残念。その情報については事務所NGだ。だが君の旦那さんがどういう言葉をすず姉にかけていたかは教えてあげよう。『べっぴんさん』だそうだ」

 狐女の尻尾がゆらゆらと陽炎のように揺れる。針のような毛先が総毛立つ。口が耳元まで裂けた。白く鋭い歯が覗く。あれに噛まれたら……痛そうだ。

「そのすず姉ってのをとって食らってやるよ……」

「あー、ほら。女ってのはすぐこれだ」

 飯田さんが呆れたように肩をすくめる。

「僕なら浮気した夫の方を怒るけどね。ま、亡き者になった今は怒りの矛先が愛人に向かうのか」


 なんて、飯田さんがへらへら冗談を言っている時だった。

 まず反応したのはM.A.P.L.E.だった。

〈警告! 敵の急接近!〉

 飯田さんのすぐ隣に狐女が姿を現した。白装束に包まれた腕を大きく振りかぶっている……袖の向こうには、鋭い爪。

 しかしそれに反応したのは飯田さんじゃなかった。

「テットゥーコ!」

 おそらく下ネタではない、そして利権がらみギリギリ、さらに誰のことを言っているのかもほぼ明確に分かる呪文で加藤さんが狐女を殴り倒した……手にしていた、小学生用の椅子で。

 だが叩き付けられた椅子は、白装束の体を薙いだだけで大きく空振りした。振りかぶられた鋭い爪が、飯田さんを襲う。


「おっと」

 飯田さん。左手を構え音響兵器ソニックを狐女に向かって発射する。途端に両手で耳を押さえる狐女。加藤さんも嫌そうな顔をする。

「それさ、近くでぶっ放すのやめてくれる?」

「使用者の僕に影響がない音なんだから、伊織姉様になんてほとんど聞こえてすらいないだろう」

「空気の揺れは感じるのよね。私敏感だから」

 ……確かに利権がらみには敏感なようだ。

「こんのぉ、よくも……」

 狐女がよろけながら後退りする。飯田さんがM.A.P.L.E.に訊ねる。

「伊織姉様の(ピー)が効かなかったぞ。さっきの握力攻撃が効かなかったことといい、あいつ物理攻撃無効か?」

〈分析中……〉

 飯田さんが左手を構える。閃光発射フラッシュの光源と思しき掌のポイントからレーザーが照射され、狐女をスキャンしたことが分かった。やがてM.A.P.L.E.が、穏やかな女性の声で告げる。


〈当該『エディター』の本体は尻尾の付け根に九つあります。そこ以外への攻撃は無効化されるようです〉

「ってことはお尻ぺんぺんだ! 伊織姉様!」

「太朗くん。女の子にお尻ぺんぺんはセクハラです」

「じゃあ何か? 椅子でぶん殴るのは何とかバイオレンスにならないのか?」

「バイオレンスにいかないとウィルス討伐なんて無理でしょ!」


 飯田さんと加藤さんが構える。……飯田さんは、逃げ腰だったが。


「やっつけてやるか……二人で」


 こんな時でも人を頼るのが飯田さんらしい、と僕は思った。

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