カボチャ畑で捕まえて
〈尻尾の付け根にコアを確認。物理攻撃有効です〉
「前から思ってたんだけどさぁ!」
狐女の体に椅子を叩き付けながら加藤さんが訊ねる。
「太朗くんの人工知能ちゃんたちって、どうやってその……分析とかしてるの?」
「メタ的な発言になってあれなんだが……」
飯田さんは
「『カクヨム』のシステムを参照している。『カクヨム』上でどう振舞うようにプログラミングされているかを判定することで対象物の分析を行っている」
「じゃあ、H.O.L.M.E.S.くんもM.A.P.L.E.ちゃんもその気になれば『カクヨム』界改変できちゃうってこと?」
飯田さんは首を横に振る。
「そんなことができるのはシステム設計権限のある人間だけだ。『カクヨム』運営でも限られた人間なんじゃないか? 当然、セキュリティもバッチリだ。いち作家が作品の能力ぐらいで関与できる領域じゃない」
ま、登録アカウント全員にメッセージを送るくらいのことはできるがな、と飯田さんは左手を構える。
「ほうら、純白レディ。もう一曲どうだ?」
動きが止まったところをすかさず加藤さんが椅子で殴りかかる。背もたれの部分を両手で持ち、四つの脚を叩き付けるかのように。何というか……こたつの中で猫と一緒に温まっていそうな加藤さんがこんなにアグレッシブに動いているのがすごい。
しかし、さすがに九個も核があると壊すのに苦労する。
加えて狐女は身軽だった。足が速い上に上下左右にまるで軽業師のように移動ができる。壁や天井を這うように動いたり、異常な跳躍力で一瞬で間合いをとったり詰めたりできる。
こちらの攻撃は加藤さんの椅子による接近戦と飯田さんの嫌がらせ攻撃だけ。確実に尻尾の付け根を捉えるのにすごく苦労しているようだった。
「ベネ・ディシティ・アッティンブート・イナ……」
戦闘中。ぶつぶつと加藤さんが呪文を詠唱する。飯田さんが「長い」というかと思ったが、さすがにもうあのやりとりは飽きたのだろう。M.A.P.L.E.で狐女を妨害しながら黙って加藤さんの様子を見守っていた。
「オミーネ・ディアム・ロン・ネリ・テットゥーコ!」
やっぱあの「テットゥーコ」って「ピー」だよな……。
「あー! 『椅子』! 『椅子』が正しく使えたら!」
何度目か、椅子が空振りした後。加藤さんが叫ぶ。
「あんなの秒殺なのに!」
「『殴りプリースト』もお化け設定なんだけどな、僕からしたら」
と、狐女が尻尾の毛を逆立てる。
風を切る微かな音。しかしほとんど無音だ。飯田さんの
尖った毛だ。針と言ってもいいかもしれない。鋭く尖った真っ白な毛、ほとんど目に見えないくらい細い針が、一斉に二人めがけて飛んでくるのである。
その度に飯田さんは加藤さんの背後に隠れる。大量の針の雨を浴びる加藤さん。でも涼しい顔。
僕は驚く。どれひとつとして刺さっていない。何なら本物の雨粒が顔に当たった程の反応さえ見せていない。
「加藤さんって体が鉄でできてるとか……?」
僕の問いにすずめさんがくすくす笑う。
「『殴りプリースト』の設定なの。能力加護の魔法を味方にかけられない代わりに自分に全部ふりかかる。今日のパーティは、『King Arthur』も含めると……」と、この場にいるメンツを数え始めるすずめさん。
「十二人? 十二倍だね!」
「ど、どういう……」首を傾げる僕にすずめさんが答える。
「すごく平たく言うと他のメンバーにかける補助魔法が全部自分に跳ね返る」
ははあ。パーティ全員魔法カウンター系が付いた状態で補助魔法かけたから全部自分に来て強くなっちゃいましたみたいな、そういう話か。
「筋力、魔力、すばやさ……多分防御力というか、フィジカル的な性能も大分上がっているはずだね」
おかしそうに笑うすずめさん。しかし急に、目つきを尖らせる。
「でも十二倍、能力を高めても捕まえられない、ってことは……」
メロウ+さんが隣に来る。
「それだけの性能を持っているってことだね。あの『エディター』」
敏、捷。
確かにすばしっこい。だが視覚認識ソフトで追えないほどの素早さ、というわけではない。何というか、そういう物理的な速さ、というより、先読み的速さなのだ。「次にここに来るだろうな」だとか、「相手はこういう行動を取るに違いない」だとかいう予測に基づいた動き。速度自体は大したことなくても、接近戦しか仕掛けられない二人にはなかなか捕えにくい。トリッキーなのだ。
「ま、伊織姉様だから『疲れた』なんてことはないと思う」
針の雨を加藤さんで防ぎながら……あの人、加藤さんのことを盾みたいに使いやがって……飯田さんがつぶやく。
「だが僕が飽きてきた。そろそろ終わらせるぞ」
「終わらせられるなら最初からそうしなさい」
加藤さんに怒られ飯田さんが首をすくめる。
「体動かした方がダイエットにいいかな、って」
「セクハラ」
「反省します」
「終わらせられるならさっさとやってよ。何回も空振りさせられるとムカつくんだから」
「承知しました伊織姉様。M.A.P.L.E.!」
パワードグローブに話しかける飯田さん。左掌を狐女に向かって構える。
「行動パターンを分析しろ。あいつこっちを先読みしてるな?」
〈アカウント加藤伊織の椅子の振りかぶり、どっちの足で地を蹴ったか、目はどこを見ているか、などの情報を元に移動先を判断しているものと思われます〉
「じゃ、それらの情報をマスキングすれば困るわけだ」
すかさず加藤さんの傍に寄る飯田さん。
「伊織姉様。連携プレイだ。僕があいつを邪魔する。姉様はぶん殴ってくれ」
「おーけー!」
二人して狐女を睨む。加藤さんは凛々しく。飯田さんは……意地悪そうに。
まず、加藤さんが駆け出した。
それに応じるように狐女が身構える。
その瞬間。
飯田さんの手から同時に放たれた妨害攻撃が狐女の身動きを封じる。
想像してみてほしい。眩しくて目が開かない。鼓膜も痺れている。おそらくだが、平衡感覚などもやられているだろう。簡単に言って、どっちが床でどっちが天井かも分からなくなっている。そんな状況で、能力全般が極端に上がっている人間に狙われたら。
「はい、四個!」
加藤さんが椅子の脚を狐女の臀部、尻尾の根元に突き立てる。途端に上がる悲鳴。女性の、苦し気な絶叫。
〈コアの破壊を確認。残すは五個です〉
M.A.P.L.E.の穏やかな声。飯田さんが満足げに頷く。
「その調子だ、伊織姉様」
「もう捕まえた。離さないよ……」
加藤さんが狐女の襟ぐりをつかむ。すぐさま狐女が棘の生えた尻尾で反撃しようとするが……。
飯田さんの
両耳を手で覆う狐女。その隙を加藤さんは見逃さない。
「はい、また四個!」椅子の脚を突き立てる。
M.A.P.L.E.が告げる。
〈コアの破壊を確認。残すは一個です〉
と、ここで狐女が反撃に出た。
加藤さんのつかんでいた白装束が萎む。コアが壊されたからだろう。九本あった尻尾の内八本は既に消えていた。しかしふっと、残す一本が姿を消す。と、次の瞬間。
風のように何かが駆け抜けたと思ったら、飯田さんが床に倒れていた。踏みつけるようにして、立ち尽くす何か。すぐに分かった。狐女が、服を脱いだ。
加藤さんの手の中で白装束が萎んでいた。そこから飛び出した狐女の裸体。それはまるで霧のようだった。水蒸気の粒……なのだろうか。とにかく白くて細かい砂のような粒。それが集まって形を作り、女性の裸体のような線を描いていた。しなやかな脚。突き出たヒップ、すぼまったくびれ、たわわに実った乳房、細い首、小さい顔……おそらく世の女性が憧れるようなプロポーションの「形だけ」がそこにはあった。その「形」が飯田さんを踏みつけていた。
M.A.P.L.E.の危険察知が間に合っていない。それだけ速かったのだ。いや、あるいは実体そのものがない? けど飯田さんを踏みつけてはいるし……。
「ま、こういうのも悪くないな」
軽口を叩いてはいるものの苦し気な飯田さん。すぐさま左掌を……M.A.P.L.E.を狐女の方に向ける。しかし。
「そんな手を食うわけないでしょぉ!」
すかさずもう一方の脚で飯田さんの左手を踏みつける。攻撃の手段を封じられた。まずい。
手の中の白装束に意味がないことを察した加藤さんが、椅子を片手に飯田さんの方に向かって駆け出す。しかし狐女は残された一本の尻尾から針の雨を放って加藤さんを足止めする。効きはしなくても物理的に抵抗を与えられれば動きは鈍る。尻尾の針が空を切る小さな音の間に、聞こえてきたのは。
「お前だけは、どうしても……」
狐女の、怨嗟の声だった。戦闘中に散々妨害行為をしてきた飯田さんのことを憎んでいたらしい。天井に掲げられた細い腕が、一瞬で鋭い針に変形した。
「目玉から抉って……」
と、言いかけた狐女が。
ぐらりと揺れる。上体が、仰け反るようにして倒れた。
何が起きたか分からない。僕は咄嗟に加藤さんを見た。
彼女は針の雨を片手で防ぎながら立ち尽くしている最中だった。加藤さんが何かをした気配はない。と、いうことは。
「よくやった……P.O.I.R.O.T.」
〈お褒めに預かり光栄です〉
テノールらしき、男性にしては高い声。だが上品だ。どこから聞こえてきているのか分からない。しかし、飯田さんの右手を見ると。
太いペンが……いや、ペンにしてはいやに太い短い棒が……握られていた。さっきのテノールはあのペンから聞こえてきたようだ。そしてそのペンが……狐女の尻に、突き立てられている。
僕はすずめさんの方を見る。彼女は僕の視線を柔らかく受け止めて、告げる。
「P.O.I.R.O.T.くん。クボタン、っていうペン型護身用具に組み込まれた人工知能だね」
「よ、用途は……」
と訊ねる僕に、すずめさんが答える。
「点穴って分かる? 平たい話が、『この場所を突くと効果的にダメージを与えられますよ』っていう体のポイントのことなんだけど、P.O.I.R.O.T.くんはそれを探知しユーザーの置かれた戦闘状況を加味して、『一番攻撃しやすいポイント』を教えてくれるの」
そんな、飯田さんの手にあったP.O.I.R.O.T.が突き抜いていたのは。
狐女の残された尻尾の根元だった。コアのある場所だ。狐女は飯田さんの左手を踏むことで逆に自らの臀部を飯田さんの右手側に寄せてしまったのだ。彼はそこを突いた。鋭いペンの先で、尻尾の根元を、抉るように。
残された尻尾が消える。白い粒の塊のような狐女の姿が、ボロボロと崩れていく。
「いいか。物書きボーイ」
苦し気に立ち上がる飯田さん。
「いい男ってのはな、切り札をとっておくもんなんだ」
一瞬の、そして意外な決着だった。僕は加藤さんがこの狐女を討伐するものだとばかり思っていた。しかし実際には……一番無力な、飯田さんがやっつけた。
「わ、私は……」
崩れ行く、狐女。飯田さんは胸元を押さえていた。消えゆく狐女が続ける。
「私は……あんたたち作家が嫌いだった……どいつもこいつも夢ばかり見て……『カボチャ畑でつかまえる』ようなことを言って……」
ペン型護身用人工知能、P.O.I.R.O.T.を胸ポケットにしまった飯田さんが、にっこり笑う。儚げに散っていく狐女の手を取って、その甲に口づけでもするように顔を近づけ、一言。
「ライ麦畑、だ。純白レディ」
崩れ落ちる女は何も答えない。飯田さんは続ける。
「『カボチャ畑でつかまえて』じゃなくて、『ライ麦畑でつかまえて』だ。ま、確かに僕たち作家は、あまり現実主義とは言えないかもな。純粋で、無垢だ」
でもな、と飯田さんは続ける。
「それは〈
だから君は、こんなに白いだろう? 飯田さんの手の中で消えていく狐女。
すると彼女が、ふっと、笑ったような声を上げた。
「私……人間じゃないし……」
飯田さんも笑う。
「そうだったな」
女が崩れ落ちていった。塵となり、消えていく。
飯田さんの足下に、一枚のカード。
〈
カードにはそう、書かれていた。
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