眠れる美女の寝言⑪
「待ってよ、貴章!」
「・・・何だよ」
止められれば振り切る程でもなく、何とも言えない虚無感と共にゆっくりと振り返った。
「行かないで」
少し驚いたのが、花音が本当に涙目になっていることだ。 今後ろ向いた時に目薬でも差したというわけでもないだろう。
「家に帰ればいいじゃんか。 憂一はいないんだろ? DVを受けていたというのも嘘なんだろ? ならもう安全だな」
「貴章は今からどこへ行くの?」
「それ、言う必要がある?」
「逆にどうして答えてくれないの?」
花音が何を言いたいのかよく分からなかった。 音夢への腹いせとバレてしまった今、貴章を呼び止める必要はないはずだからだ。
「・・・分かってんだろ。 音夢の家に行くんだよ。 もうすぐ目覚めるかもしれないからな」
「音夢が目覚める時には近くにいたいって?」
「あぁ、そうだ」
「・・・」
そう言っても一切解放する素振りを見せない花音に嫌気が差し、彼女の腕を振り払おうとした。
「だから離してくれ」
「好きなの!」
「・・・は?」
「好きなの! 貴章のことが!!」
貴章は再び溜め息をついた。
「何だよ。 またそれも嘘か?」
「違う!」
「一体どれだけ嘘を積み重ねたら気が済むんだよ」
「だから違う! 嘘じゃないの、これは本当!」
「さっきの話で誰がそれを信じるとでも?」
嘘とか本当とかそういう次元では最早なく、最初から何もなかったはずなのだ。 今好きだというのは音夢から奪いたいから、それしかないはずなのだ。
だが何故か、花音から先程までの余裕は感じられなくなっていた。
「さっき言った通り、確かに貴章とは腹いせに付き合っていた。 だけど付き合っているうちに、貴章に自然と惹かれていったの!」
「・・・」
「これは本当だよ? お願い、信じて」
「俺のことが好きなのに、この二年間半何も行動を起こさなかったのか?」
「貴章と別れた後に気付いたの。 仕方ないじゃん!」
花音はポロポロと涙を流し始めた。 流石にそれを見ては心が揺れたのを感じた。
「貴章が私の目の前からいなくなって、凄く寂しかった。 いつの間にか貴章のことを、本気で好きになっていたんだもん」
花音が本気で言っているのか、最後に掻き回そうとしているのか分からない。 ただどちらにせよあまりに都合が良過ぎる。
「でもあんな酷い振り方をしたから、もうよりは戻せないと思った。 だから何も言わなかったの。 貴章もあんな振り方をされて、私とよりを戻したくないでしょ?」
そう言われたら考えてしまう。 別れた後も花音のことは好きで忘れることはできなかった。 いくら酷い振り方をされても、目を瞑ってしまう可能性は高かった。
「ねぇ、私の本当の気持ちは信じてくれる?」
縋るように花音に袖を掴まれた。 貴章は花音との思い出を思い出しながら目を瞑って答えた。
「あぁ、信じるよ」
「本当に!?」
「でも信じても信じなくても、結果は同じだ」
「え・・・?」
だがもう全てが遅いのだ。 よりを戻したかもしれないのは、あくまであの時だったならの話。 今、これだけ嘘をつかれて、音夢を貶められて、よりを戻すなんて気はこれっぽっちもなかった。
「俺は今の彼女の音夢が好きで、それはこれからも変わらない。 もう切れてしまった糸はくっつけることはできないんだよ。 結び直すことはできたとしても、もうそれはただの二本の糸でしかない。
だから花音とは付き合えない」
「ッ・・・」
力を失った花音の腕を静かに引き剥がし下ろした。 花音を置いて背を向けたが、もう引き止めてくることはなかった。
―――俺たちの両想いの時間はすれ違っていた。
―――それだけのことだ。
「貴章!」
後ろから花音の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。 だが貴章はもう立ち止まろうともしなかった。 花音には騙され裏切られた。 それでも一時は大切に思っていたことは真実だ。
だから、ここで中途半端なことをするよりも、自分のことは忘れどこかで幸せになってほしかった。 叫ぶ花音を置いて音夢の家へと向かう。 先程とは違い足取りが軽い。
出迎えてくれた音夢の母親にも笑顔で挨拶をすることができた。
「貴章くん、おかえりなさい」
「ただいまです。 もうこのような挨拶が自然になってきましたね」
「ふふ、そうね」
「とても安心します」
「そう言ってくれて嬉しい。 私もよ」
靴を脱ぎ二階へ上がろうとすると音夢の母に呼び止められた。
「今日は忙しいみたいだったけど、用事は全て終わったの?」
「どうしてですか?」
「顔がさっきよりもスッキリしているから」
その言葉に時間を置いて貴章は微笑んだ。
「そうですね。 落ち着いたので、これからは音夢の目覚めをずっと待っていようと思います」
会釈して音夢の部屋へと向かった。 ドアを開けると未だに音夢は眠っていた。 だが安らかな寝顔が今はただ愛おしかった。
――――・・・相変わらず、お寝坊さんだな。
ベッドの近くの椅子に座り音夢の頭を撫でる。 目覚めたらどうしようとか目覚めないでほしいとかそういう負の感情は今は全くない。
―――音夢、ごめん。
―――一瞬でも疑って、目覚めないでほしいだなんて思って。
―――もう俺は迷わないから。
―――これからもずっと一緒にいような?
―――数日間目覚めなくても、もう不安な気持ちにはならない。
―――すぐに目覚めるのを信じて、ずっと待っているからさ。
―――だから、気の済むまでたっぷりおやすみ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます