眠れる美女の寝言②




原因が特定できず100万人に一人の割合で発症すると推定されるクライン・レビン症候群というものがある。 

連続して長期の睡眠に襲われる稀な反復性過眠症であり“眠れる森の美女症候群”とも呼ばれている。 音夢は期間的な問題で言えば軽度であるが、やはりそれでも貴章からしてみれば心配だ。 


―――普段から二日や三日経っても起きないことはよくある。

―――・・・だけど一週間も眠り続けるのは初めてだ。


今まで生きていて、同様の症状の人間に会ったことがないため不安な気持ちでいっぱいだった。 音夢は寝返りを繰り返し、生きていることを証明してくれるものの少し寂しくなる。 

本当なら折角の日曜ということでどこかに出かけたいのだ。 だがそれを言うなら真にそう思っているのは音夢の方だと思う。 だから音夢の前では沈んだ気持ちは見せないようにと思っていた。


―――あぁ、駄目だ駄目だ。

―――こんな顔をしている時に起きたら、音夢に申し訳ない。

―――いつ起きてもいいように、俺が前向きでいないとな。

―――よし、気分転換に課題でもするか。


そう思い自宅から持ってきたテキストを開き勉強を始めた。 音夢の部屋で行うと音夢の目覚めに立ち会える可能性が増し、進展も捗るということで非常に都合がいい。 

音夢の家族に負担を強いてしまうが、構わないということでさせてもらっている。 それから数時間、寝息のみが聞こえる部屋で黙々と勉強を進めていると、突然眠っているはずの音夢が喋ったのだ。


「・・・ハナ・・・」

「・・・音夢? 起きたのか!?」


その声に反応し慌てて音夢に近付く。 だが彼女はまだ目を瞑っていて起きる気配はなかった。


「・・・寝言?」


しばらく様子を見ていると音夢はもう一を口を開いた。


「・・・ハナ・・・」


先程と同じ単語を口にした。 何か夢を見ているのだろう。


「花? 花がほしいのか?」

「・・・」

「分かった。 俺が今すぐに買ってくるから、ちょっと待っていてな」


花の香りが目覚めに役立つのならすぐにでも買いに行こう。 食べたいものの匂いにつられて目覚めるならすぐにでも買いに行こう。 

そう思うと居ても立っても居られなくなり、寝言からそう解釈した貴章は財布だけを持ち急いで一階へ下りた。 リビングへ顔を出すとゆっくりくつろいでいる音夢の母親と目が合う。


「あら、どうしたの?」

「用事ができたので少し出ます」

「分かったわ。 また待っているからね」

「はい。 あ、音夢が好きな花って分かりますか?」

「花? ・・・花って、咲く花のこと? うーん、ちょっと分からないなぁ・・・。 あ! そう言えば母の日には、カーネーションじゃなくて赤い薔薇をくれたわ」

「ありがとうございます!」


そう言うとすぐに家を出た。 赤い薔薇となると少し気恥ずかしい気もしたが、寧ろ丁度いい気もしていた。


―――眠れる森の美女って、確か薔薇が関係していたよな・・・?


夢の内容ももしかしたらそれなのかもしれないと思った。 貴章は眠れる森の美女の話をよく憶えておらず、薔薇がどんな役目だったのかまでは分からない。 

だが今はそれ以上に久方ぶりに聞いた音夢の声に心が弾んでいた。


―――・・・本当に起きたのかと思った。

―――ただの寝言だったのか。

―――でもちゃんと生きていると分かったから安心した。

―――それだけでも俺の心は満たされるんだ。

―――やっぱり音夢は凄いよ。

―――俺は相当音夢のことが好きなんだな。


花屋へ向かっていると偶然大学の友人たちと出会った。


「あれ、貴章じゃん」

「・・・あぁ」


正直今は音夢のことで頭がいっぱいで、他の人の相手をする余裕がない。 だが貴章は動揺して立ち止まってしまった。 今会ったグループの中に元カノの花音もいたのだ。 

気まずくて互いに視線をそらしている。


「ん? 貴章の彼女は? もしかしてまだ寝てんの?」

「・・・」

「つまらなくないか? ずっと寝てばかりの女って」

「そんなことはない」


一応彼らも音夢は過眠症であることを知っている。 ただそういう風に言われて嬉しいはずがない。


「今はどのくらい眠ってんの?」

「・・・一週間」

「一週間!? 普段よりも長くね?」

「長いかもな」


そう答えると友達は同情するように言う。


「よく耐えられるよな。 そんなに放置されて」

「別に放置じゃない。 音夢の意志で眠っているわけではないんだから」


そう言うと別の友達が近付いてきた貴章の肩に腕を置いた。


「他の女にして人生楽しんだら?」

「はぁ?」

「いや、俺は貴章を心配して言っているんだぞ?」

「大きなお世話だ。 俺には音夢しかいないんだから」


そう言って彼の腕を叩き落とす。


「もしかして顔だけで決めてんの?」

「そんなわけがないだろ」

「なぁ、花音も何か言ってやれよ」

「・・・」


その言葉にこの場にいる一同が花音に一斉に注目する。 花音は目を泳がせながら言った。


「え、あ、私は別に・・・。 もう私には新しい彼氏がいるし」


その言葉に皆一瞬固まった。


「え、マジで!? 一体誰!?」

「いつの間に彼氏ができたんだよ! できたなら報告しろって!」


彼らはその言葉で貴章を放って花音の恋バナで盛り上がり始めた。 貴章はポツンと一人取り残される。


―――・・・何なんだよ。

―――音夢のことを好き勝手に言いやがって。

―――花音に新しい彼氏ができようが、俺には関係がない。


貴章は友人たちの評価を一段階落とし、何も言わずにここから立ち去ろうとした。


「待って」


だがその時呼び止めたのは、何故か元カノの花音だった。



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