第10話 また、亜里沙をリア充にしてくださいね

 「お待たせ!」


 十分後。 


 近所のコンビニから急いで図書室に戻ってきた。水瀬さんは本棚の前に立ち、開いたノートを見つめながら何かを呟いている。


 「矢崎くんに恩返ししないと。亜里沙ができることは…」


 「どうしたの水瀬さん」


 「あわっ!?な、なんでもありません。失礼しました…これは、お菓子?」


 「よくぞ聞いてくれた。これはリア充だけに許されたとある遊びに必要なもの」


 「むむむ…キスと関係があるんですか?」


 首をかしげ、水瀬さんは不思議そうな表情を浮かべる。漫画なら頭上に『?』マークが付けられているだろう。


 今の彼女に浮かんでるのは数値が『8』を示した『リア充タイマー』ではあるが。

 

 「大ありさ!」


 俺は買ってきたもののパッケージを開け、中のものを見せる。そこには、先端をチョコで包んだ棒状のスナックが10本ほど入っていた。


 そう、俺が買ってきたのはポッキーである。


 「キスがダメだと言うなら…」


 その一本を取り出し、水瀬さんに見せた。




 「これでポッキーゲームをしよう!!!」


 ポッキーゲームとは、ポッキーの両端を男女でくわえ、少しずつ距離を縮めていくという単純なルール。最終的には唇が触れるか触れないかまで接近する、まさにリア充にのみ許された神聖なるゲームだ。


 どこまで水瀬さんと距離を詰められるか、彼女の望みを阻む神様と勝負してやる。


 「…ポッキーゲームってなんですか?」


 「いやそこからかい!」


 リア充を目指してる割に、知識に偏りがある水瀬さんだった。



 ****

 


 「あわわわ…まさかポッキーでそんな刺激的なことをしゅる…するなんて」


 「思いつきだけどやってみる価値はあると思う。水瀬さんだって、いつかは誰かに恋をする。その時キスが絶対にできないなんて悲しいじゃないか。少しずつでも、可能性を探っていこう」


 頬から耳にかけて再びピンク色に染まった水瀬さんだったが、俺の言葉を聞いて決意を固めたようだ。


 「そう、ですね。亜里沙も、リベンジしたいです」


 ポッキーの袋から1本取り出して、それをじっと見つめる。深く深呼吸をして、口に近づけていった。


 「でも、1つお願いがあります」


 「何でも言ってくれ」


 「亜里沙は慣れてないので、ちゃんとエスコートひてくれますか?」


 「分かった。約束する」


 「ありがとうございます」


 意を決して、ポッキーをくわえようとするが、少しジト目を浮かべ、口を尖らせる。


 「こ、こんなことするのは矢崎くんだけですからね。ほ、本当ですよ?」


 まさかのツンデレ!

 あわあわしてる彼女も可愛いが、こんな一面もあるなんて。


 おっと、今は集中。

 

 「じゃあ、行きますね」


 水瀬さんの唇が少し震えながら開く。そのまま、ポッキーを口にくわえた。


 「あむ…」


 『リア充タイマー』の数値に変化はない。そりゃそうだ。ただポッキーを食べただけだし。


 問題はここからだ。


 「よろひく、おねがいひます」


 「よ、よろしくお願いします」


 「ふふふ、やざきくん、ありさよりきんちょうしてる…」

  

 「…」


 「だいじょうぶですよ、ありさは、ずっとやざきぬんをまってますから」


 呪いをかけた神様にどこまで立ち向かえるのか、俺と水瀬さんで力を合わせての勝負。


 (行くぞ!)


 彼女の肩にゆっくり両手を載せ、ポッキーをくわえた。



 ****



 (ひゃ…本当に、くわえてる。ややや矢崎くんが近づいてくる!?)


 内心の動揺は、矢崎くんには伝えられませんでした。口にすれば、ポッキーが口からこぼれ落ちてしまうでしょう。


 (でも、離したくない)


 そうすればまたゼロからやり直し。 

 亜里沙は、もうやり直したくありません。


 どんな結果でもいいから、前に進みたい。


 「…」


 矢崎くんはポッキーをくわえましたが、顔が真っ赤になっていました。おそらく、亜里沙と一緒で恥ずかしいのでしょう。


 ここは、亜里沙が矢崎くんを助ける番。


 「あむ…」


 意を決して、ポッキーを食べ進めました。ちょっと驚きの表情を浮かべる矢崎くんは新鮮です。


 (可愛い…)


 その表情がもっと見たくて、もっと食べ進めました。すると、矢崎くんもポッキーを食べ始めます。


 ポッキーが短くなるのと同時に、お互いの距離が少しずつ近くなっていきました。どきどきと心臓が痛いほどに鼓動し始めますが、やめたくありません。


 (ずっと、こうしていたいな。矢崎くんと)


 口にできない切ない願いが、心のなかで溢れていきます。


 でも、楽しい時間は長くは続きません。


 『リア充タイマー』の数値が急速に増えていくのを感じます。互いの唇が触れ合うまで数センチもない距離だからでしょう。


 ただ、ほんの少しですが前に進むことができました。今はそれで満足です。


 「…はは」


 矢崎くんが微笑むのが見えました。亜里沙も、それに合わせて笑みを浮かべます。


 「…ふふ」


 久々に浮かべる心からの笑み。


 


 ほんの数ミリ残したポッキーをくわえたまま、矢崎くんと亜里沙は光に包まれていくのでした。


 

 ****


  

 「はー。惜しかったね」


 「はい。でも、矢崎くんに今までで一番近づくことができました」


 再び時間が巻き戻った後の図書室で、俺と水瀬さんは夕陽を眺めている。


 時間は17時30分。

 もう、今日は帰る頃合いだろう。


 「…あのままがっといけばキスできたかもしれない」


 「ふふふ、おでこがぶつかったら痛いですよ」


 「それもそうだね、また、挑戦しよう」


 「はい」


 ふと水瀬さんの視線が夕日から離れ、こちらを見えめてきた。

 あわあわしているわけでも、冷たい態度をとっているわけでも、笑顔を浮かべているわけでもない。


 ただ、すごくリラックスした、安らかな表情だった。


 「また、亜里沙をリア充にしてくださいね」


 「俺でよかったら、いつでも呼んでよ」


 神様以外は誰も見ていない図書室で、俺と水瀬さんはまた一歩前進するのだった。

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