第7話 あそこに隠れよう!
「壁ドン!?」
「はい。テレビで見てずっと憧れてたんです。いつか、亜里沙も誰かにやってもらいたいなって。だから…」
「?」
「その…えーい、見せちゃえ!」
そう言うと、水瀬さんは両手で『リア充ノート』を広げ、俺にとあるページを見せた。
「これ、水瀬さんが描いたの?」
「や、やっぱり下手ですか?」
題名に『亜里沙理想の壁ドン!』と銘打たれ、男女の壁ドンが可愛いタッチで描かれている。
青い髪をした少女が壁を背にして立っており、背の高い男子が手を壁に当てて顔を近づけていた。互いの顔はぎりぎりまで近づいており、唇同士が触れ合いそうだ。
ー俺のものになれよ、マイスイートハニー…
ーぽっ…この人、素敵…
吹き出しのセリフに少々時代を感じる以外は完璧なイラストだ。漫画家も目指せるかも?
「いや、すごく素敵なイラストだよ。俺は絵心とかないから羨ましい」
「あわわ…恥ずかしい。このページは初めて見られちゃいました」
目を閉じ、顔を真っ赤にしながらも、水瀬さんはページをずっと開いている。
「でも、やって欲しいんです。亜里沙も、一歩前に進みたいから」
やがてゆっくりと目を開け、サフィアのような瞳でこちらを覗き込んだ。今度はこっちがドギマギしてしまう。
「もし矢崎くんが嫌なら、亜里沙も我慢しましゅ…します」
『リア充タイマー』の数値が『32』に増えたが、彼女は怯まない。
少女の一歩を踏み出す勇気を受け入れないなんて、男が廃る。
リア中になれなかった俺でも、それぐらいはできるはずだ。
「分かった。やってみるよ」
「本当ですか!?」
「ああ。水瀬さんこそ、俺でいいの?」
「はい!ぜひよろしくお願いしましゅ…します!」
ノートを手に持ちながら、水瀬さんは幸せそうに笑った。
****
「じゃあ。や、やるからね」
「は、はい」
図書館の隅にある掃除道具入れ。
水瀬さんはその前に立ち、俺の壁ドンを待っている。
いつもの手に抱えているノートも今回は持たず、直立不動だ。両手は腰のあたりにぴっしりと付けている。緊張しているのか、表情も硬かった。
…ちょっとムードが出ないかも。
「もっとこう、リラックスして。自然な体制で大丈夫だから」
「そそそそうなんですが、ききき緊張しててて」
「とりあえず深呼吸から始めてみようか」
「はい…すーっ、はーっ、すーっ、はーっ」
何度か呼吸を繰り返し、水瀬さんは徐々に落ち着いていく。服の上からでも分かる豊かな胸が上下し、心地よい香りの息が鼻腔をくすぐった。
表情も柔らかいものへと変化していき、心優しい本来の水瀬さんが姿を見せ始める。
「?どうかしましたか?」
「いや、なんでもないです」
(くっ。俺もやはり経験値が足りない!水瀬さんの可愛さが半端無いぜ…)
やはり中学校の時は恋愛経験をしておくべきだったのだろうか。今更言っても遅いことだが。
「じゃあ、やるよ…」
「はい…」
ドキドキしながら俺を待ち受ける水瀬さんに、ゆっくりと近づく。
彼女が描いたイラストのように、掃除道具入れに手を付けた。俺より少い背の低い彼女に向け、顔を徐々に近づけていく。
「あわ…」
思わずあわあわしそうになった水瀬さんは口を閉じ、俺を見つめる。
うっとりとしているような、恍惚としているような、不思議な表情だ。
「お…」
『リア充タイマー』の数値を見ると、『68』に増えていた。でも、このまま押し切れば大丈夫だ。
「俺のものに…」
このまま壁ドンのセリフまでー、
ガラッ。
突然、背後から音が聞こえる。言うまでもなく扉を開ける音。
「や、矢崎くん!?それに水瀬さんまで…」
桃倉さんだ。
俺たち2人を見て目を見開き、驚愕の表情を浮かべている。
「やっぱり」
おそらく、桃倉さんに悪意はない。たまたまこちらに立ち寄ったと言った表情だ。
だが、嫌な予感がする。
「あなたたちって」
『リア充タイマー』を見つめると、数値が急速に増えているのが見える。
「付き合ってるの!?」
その瞬間、数値は『100』になった。
「ご、ごめんなさい!」
水瀬さんは、いつも通り爆発。学校は瞬時に破壊され、何もかも吹き飛んでいく。
再び俺の体は浮遊し、宇宙に届かんばかりの勢いで急速に上昇していった。
(誰かに見られるのもアウトか。確かに、リア充からどうかってのは他人の評価だもんな)
そろそろ慣れてきたので周囲の光景をぼんやり眺めていると、とある人物が空中を漂ってるのが見えた。
「な、なにこれえええええ!?」
桃倉さんだ。水瀬さんの爆発に巻き込まれたのだろう。思わず手を伸ばす。
「つかまって!」
「あ、矢崎くん…どうしてここに」
「早く!」
桃倉さんは迷っていたが、やがておずおずと手を伸ばした。
「なんなのこれ!?夢!?訳わかんない!」
その小さな手をしっかりとつかみ、一緒に落ちていく。できるだけそばに近づき、彼女を安心させようと声をかけた。
「夢だよ!心配しないで!すぐ覚めるから!」
とにかくそういうことにしておこう。
この現象が収まれば、記憶は無くなってるはずだから。
それを聞いた桃倉さんは、顔を赤くする。
「そっか、夢か…」
「ああ。安心した?」
「うん。ゆ、夢なら言ってもいいよね」
「何を?」
「アタシね…」
口ごもりながらも、俺に何かを伝えようとした。
「実は、あなたのことがー」
その瞬間、世界は闇に包まれ、何もわからなくなった。
****
「はっ!」
気がつくと、いつも通り夕暮れの図書室にいる。どうやら収まったようだ。
「あわわ…お星様が回っていましゅ…」
水瀬さんはすぐ隣で倒れていた。
「大丈夫?怪我はない?」
軽く揺すりながら声をかけると、瞳をゆっくりと開ける。
「あ…矢崎くんだ…」
「立てる?」
「はい…」
「多分、また桃倉さんがここに来る」
「そう、ですね」
水瀬さんはがっかりした表情を浮かべた。瞳に力はなく、銀髪も心なしかしおれているように見える。
「また、出直しましょう…見られたらまた爆発しちゃいますから…」
しゅんとした水瀬さんを見て、俺の心は動いた。
「いや、今日ここで出来るだけやり遂げよう。前に進むために」
「でも…」
「良い考えがある」
先ほどまで、水瀬さんが背にしていた掃除道具入れを指さした。
「あそこに隠れよう!」
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