04話.[行きましょうか]

「冷たいね」

「うんっ、凄く気持ちがいいっ」


 彼女はこっちがあんなことをしたというのに許してくれた。

 そして先程から凄くハイテンションだった。


「でも、紅葉くんは空気読めないね、あんな日陰でずっといてさ」

「まあ暑いから」


 それに……上半身を見せられてもこっちが変になっちゃうしいいんだ。

 私は学校指定のスクール水着で、彼女はビキニスタイルで惜しみもなく健康的な肌を晒しているわけだけど、彼女が動く度にごふっと血反吐を吐きそうになるのは何故だろうか。

 こんな魅力的な子が家の中にいたら少しは意識してしまいそうな感じがするけどな。

 兄妹ってだけでなんらかの制限がかかるのだろうか?


「そうだ、にしし、この水をかけたらどうなるかな?」

「怒られるからやめた方がいいよ、それに遠いし運べないんじゃない?」

「大丈夫っ、私が連れてきてあげるから任せてっ」


 そ、それじゃあまるで私が紅葉……と遊びたいみたいじゃないか。

 そうじゃない、あくまで誘われたから楽しむために来ているだけだ。

 私は彼女がいてくれればそれでいいんだ。


「き、来たんですね」

「ああ、翼が水をかけてこようとしてな」


 は、半裸……腹筋……目のやり場に困る。

 ずっと前から分かっていたことだけど無駄な脂肪がないどころか筋肉質で格好い――余計なことを考えるのはやめようと冷静になった。


「おいおい、鼻血が出てんぞ?」

「あ、あー……大丈夫ですよ、ここにいっぱい流せるところがありますからねー」


 ふぅ、落ち着こう。

 大体、男の人の上半身ぐらいお父さんのを何度も見たことがあるんだからそれとは変わらないんだ、うん。

 それよりも同性で武器を見せつけてくる翼の方が遥かに敵だからなんともないね。

 触れたりしなければ、だけど……。


「きゃっ」

「っと、大丈夫か?」


 ……もうこのまま海の一部になりたい。

 お礼を言って離れて、浮けるかどうか試してみた。


「眩しい……」


 でも、ぷかぷか浮かんでいられているからこのまま続ければ間違いなくこの海の一部になれることだろう。


「待て待て、危ねえだろ」

「だって……」

「飲み物を買ってきてやるから待ってろ」


 危ないのはあなただよっ。

 今変に優しくしないでほしい。


「ほらよ」

「ありがとうございます」


 過剰過ぎないレモン味、なんかいいなあ。


「来週にしておけば良かったかもな」

「なんでですか?」

「そうすれば水着、買えただろ?」

「これでいいですよ」

「そうか? 女子なら翼みたいなやつがいいんじゃないのか?」


 それは偏見だ、私はお腹が隠れるようなデザインの方がいい。

 単純に冷えるし、あまり他人に見せられるようなボディではないから。


「ちょっと見てみたかったんだけどな」

「え、私に合うようなサイズはないと思いますけど……」

「ま、それは来年でいいな」


 そんな遠い話をされても困る。

 まだこれから夏休みを満喫しようとしているところなんだし。

 それより翼だ、なんで逆に休んでしまったのか。


「あ、翼は好きな人間を呼ぶんだってさ、だからここからは俺と椛だけだ」

「そうなんですか? まあそりゃそうですよね、好きな人と過ごしたいですよね」


 あれ、というか彼の好きな人とかそういうのを聞いたことがなかったことを思い出して聞いてみたんだけど……。


「好きな人間がいるならそっちを優先するだろ。でも、俺は今ここにいる、それだけで分かると思うけどな」

「あ、そ、そうですか」

「なんか居づれえしあっちに行こうぜ、妹が女の顔をしているところなんて見たくないしな」


 あ、これはもしかたらあの子が好きだったのかも。

 もちろん怒られるから言わないけど、うん、なんだかんだで優しかったからね、分かるよ。


「紅葉さ……」

「紅葉な、どうした?」

「はお酒を飲んだりとかタバコを吸ったりとかやめてくださいね」


 そうしたら近づきにくくなってしまう。

 身近な対象に影響を与えてしまうかもしれないし、翼といるときも気になってしまうから。


「しねえよ、金が勿体ないだろ」

「お金の問題だけじゃなくてですね……」

「しねえよ、そういうのはしたい人間だけがすればいいんだよ」


 腕を組みつつ「馬鹿にするつもりはないからな」と。

 そうだ、確かにちゃんとお金を払って、ちゃんとルールを守っているのなら問題はないよね。


「あれ、紅葉?」

「珍しいな、こんなところで」


 じゃないっ、なんで私を隠そうとするんだっ。

 背中が近いっ、というかほぼ触れているようなものなんですけどっ。

 あ、というかこの人、私が初めて紅葉さんって呼ぼうとしたときに話しかけてきていた人だとすぐに分かった。


「もしかして複数で来ているのか?」

「うん、男二女の子が三人だね」

「モテモテだなあ」

「そんなのじゃないよ、というか……」

「ああ、友達だ」


 って、急にどかないでよっ、と内は大混乱。


「あ、きみはこの前の子だね、翼ちゃんの友達でしょ?」

「は、はい、依田椛と言います」


 よくあの一瞬だけだったのに覚えているなあと。

 紅葉と違ってがっちりしているわけじゃないけど男の子って感じがする。

 優しげな口調も相まって怖さは全くないけども。


「そうなんだ? あ、紅葉と仲いいの?」

「え、どうなんですかね……仲悪くはないと思いますけど」

「はは、そっか、あ、邪魔をしても悪いからもう行くよ、楽しんでね」

「ありがとうございます」


 それにしてもすごいな、男の子のふたりに対して女の子が三人だなんて。

 仮にそこに私がいられたとしてもおまけとかだろうなと考えて苦笑していた。


「あれ、お顔が赤いですよ? 大丈夫ですか?」

「ああ、ちょっとな……」


 静かだからどうしたのかと思って見てみたらそれだった。

 これは……あの人が好きだという可能性も浮上してきてしまったわけだけど――いやないかと片付けておく。


「あ、お水、飲みます?」

「おう、くれ」


 レモン味で美味しいから少しは落ち着くことだろう――と考えているこっちの内は逆に落ち着かなくなった。

 あれは私が口をつけて飲んでいたわけで、それを一切躊躇なく彼もそうして飲んだわけだからこれはつまり間接キス……、ぎゃあ!?


「駄目だ、なんか落ち着かねえ」

「あ、あそこの日陰に行きましょうか」

「だな」


 荷物だってちゃんと持ってきてあるから飽きたらそのまま帰ることもできる。

 翼とゆっくりできなくなったのは少し寂しいけど、好きな人と過ごしてほしいしね。

 あとは……彼とゆっくり過ごせるのもいいかもしれないって最近はそう思えていた。


「あ、風邪を引くかもしれないから俺のパーカーでも羽織ってろ」

「あ、ありがとうございます」


 半袖タイプのものだから暑いということもない。

 でも、それなら自分が着ておくべきではないだろうか?

 というか、全く水に触れていなかったけど楽しめているのかな?


「あの、楽しめていますか?」

「ん? おう、別に楽しいぞ」


 自分だけが楽しいだけじゃ嫌だ。

 どうせなら同行してくれている人にもそう感じてほしい。


「でも、ほとんど見ていただけですよね?」

「別に見ているだけでも楽しかったからな。椛が珍しく楽しそうだったからさ、おお、これがこれまで引きこもっていた人間かって思った」

「うっ、すみません……」


 勝手にマイナスに考えて勝手に避けようとしてごめんなさい。

 桜庭兄妹というやつを私はやっぱり分かっていなかったんだ。

 それなのに勝手に決めつけられたら嫌だよなあと。


「ちょっと来い」

「はい――ぃい!?」

「顔が赤いから気になっていたんだ、やっぱり暑いのは苦手なんだな」


 ふぅ、それでも今日はそこまで暑い! って感じにはなっていなかったんだけどなあ……。


「大丈夫か? もう疲れたなら帰ってもいいけど」

「紅……あなたはどうしたいんですか? こちらは今度こそ最後まで付き合うつもりでいますけどね」


 普通に楽しんでいたけど今度こそ約束を守りたい。

 途中で帰るのは嫌なんだ、相手のしたいことをできなくするのは嫌なんだ。


「椛はどうしたいんだ? まだ遊びたいのか?」

「私はあなたにお礼がしたいです、この前、本当はなにかを買って渡したかったから」

「なにかを買うねえ」


 なんでもいいんだ、あ、できれば値段は三千円ぐらいに抑えてくれると助かるけど。

 小さいことでも返すことができたとなるだけで変わるんだ。

 きっと少しは自信を持てるようになるはずだから。

 だからここが大切で、今後の私がどうなるのかは彼の選択次第で変わる、と言っても過言ではなくなってくるわけで。


「それより肉丼かなんかでも作ってくれないか?」

「それなら翼に作ってもらった方がいいんじゃ……」


 家事は基本的に交代交代でやると言う。

 元気だから人気というわけじゃないんだ、そういうことができるからこそでもある。

 優秀で運動能力とかも高くてそうなるべき人間、みたいな感じだ。


「なにかを作ってくれたというだけで十分だ、肉がないなら一緒に買いに行こうぜ」

「あ、じゃあ……」

「おう、着替えてスーパーに行こう」


 この人のリードしてくれる感じが好きだ。

 一方的ではなくちゃんと聞いてもくれて、私が◯◯したいと答えたら「そうするか」って言ってくれて。

 なによりこっちのことを心配してくれるそんな存在が私にとっては貴重だから、うん、……まあそんな感じで。


「俺さ、翼の相手が悪い奴だったらぶっ飛ばすかもしれない」

「ぼ、暴力は駄目ですよ」

「あんなのでも大切な妹だからな、チェックしたいんだけどあいつが全くそいつと行動しないからできていないんだ」


 でも、その機会が訪れたのに避けたのは彼だ。

 もう認めているようにしか思えなかった。

 あ、それかもしくは、大切な妹が決めた相手なんだから信じてやらなければならないと考えて行動しないようにしているだけかもしれないと予想してみる。


「あとは椛もだな」

「え?」

「椛に変な男が近づくなら俺は止めるぞ」


 ああ、そういうことかと納得。

 妹みたいに扱ってくれているんだろうと分かった。

 つまりそれは恋愛対象として見ているわけではなく、あくまで見ておかないと心配になるから~程度の人間と。

 ……まあ、それは仕方がない。

 恋愛対象として見られるような人間じゃないことは分かっているし……。


「あ、誰もいませんよ? 紅葉……さんぐらいしかいません」

「それならいいんだけどな、俺は俺がどういう人間かよく知っているからさ」

「ふふ、自分のことなんだから当たり前じゃないですか」

「ははっ、だなっ」


 ……勘違いしなければ傷つくようなことにもならないはず。

 大丈夫、今のままならまだ普通でいられるような気がした。




「ねえ聞いてー」

「うん、どうしたの?」


 今日はひとりで来たみたいだった。

 話しやすいように飲み物やお菓子などを用意して床に座る。

 残念ながらソファは何人も座れるような物ではないから仕方がない。


「あのね、好きな子がね、今度家にお泊りに来るの」

「すごいね、大胆だね」


 つまりそれは彼女が誘ったということだし……すごいな。

 私が異性に泊まってと誘うのは無理だから余計にそう思う。


「でも、さすがにちょっと早かったなーって思ってさ……」

「確かにそうかもね」

「だからっ、だからそのときは椛も家に来てっ」


 え? なんでそうなるのか……。

 そもそも家には紅葉がいる、そのうえでご両親だってある程度の時間になったら帰ってくるんだから気にしなくてもいいと思うけど。

 客間だってあるんだ、寝るときだけは部屋をわければ一切問題ないはずだ。


「ほらっ、紅葉くんといたいでしょっ?」

「確かにいたいけど……邪魔をしたいわけじゃないから」

「いいのっ、紅葉くんにもそうやって言っておくからっ」


 まあ彼女の家に泊まるのは初めてではないから別に緊張したりはしないけど、……どうなるんだろうか?

 彼女に誘われて家に行ったら知らない女もいた、ってなったら気になったりしないのかな?


「えっと、それでいつなの?」

「今日の夜からです」

「え? あの……もう一回」

「今日の夜からですっ、つまりこの後すぐってことだねっ」


 えぇ!? って別にこっちは慌てなくていいのか。

 それなら食事や入浴を済ませた状態で桜庭家に行こう。

 

「よし、そろそろ行こうかな」


 課題や携帯及び充電器、ハンドタオルや少量のお金を持って家をあとにする。

 敢えて十九時頃を選んで汗をかかないようにするという作戦を実行していた。


「はーい、あ、ようこそー」

「うん、お邪魔します」


 紅葉は……リビングとかにはいないみたい。

 って、私はどこで寝ればいいんだろうか?


「寝る場所? 私の部屋でいいでしょ?」

「あ、そっか、良かった」

「一緒に寝かせられるわけがないでしょ~」


 それはどっちとなのか……。

 もう、そういうところがあるんだから。


「お、来たのか」

「あっ、お、お邪魔していますっ」


 どうやらお風呂に入っていたらしい。

 なんかめっちゃ気まずい、なんでこんなに微妙なのか。


「椛、邪魔しても悪いから俺の部屋に行こうぜ」

「え、いいんですか?」

「おう、どうせなら翼にはふたりでいさせてやりてえからさ」


 と言われてもその人の姿が見当たらないわけだけど。

 まあいいか、それなら彼の部屋に行かせてもらおう。

 夏の夜って私は好きだ。

 網戸状態にしているとある程度涼しい風が入ってくるから。


「迎えに行くつもりだったんだけどな」

「そういうわけには、家も近いですからね」

「ま、とりあえず休んでくれ」


 ここが彼の部屋か。

 普通に綺麗だ、お洒落かどうかは分からないけど。


「あの、まだ来ていないんですか?」

「いや? 客間にいるぞ」

「あ、そうだったんですか、全く気づきませんでした」


 じゃあこれからも話をしてやっぱり女の子の顔を晒すということなのかなあ。

 翼のそういうところは想像できないから見てみたくもあるけど、邪魔したくないという気持ちも強かった。


「邪魔してやるなよ」

「はい、邪魔なんかしませんよ」

「少し散歩にでも行くか?」


 立ち上がりつつ彼がそんなことを言う。

 お散歩か、ひとりだとあまりする気がおきないからいいかもしれない。

 仲のいい男の子と夜遅くにふたりきりでいるというのも今までにはなかったことだから……。

 仮に妹扱いしかされていないのだとしてもそれとこれとは話が別だ。


「あ、紅葉……」

「呼び捨てでいいって言っているだろ」

「紅葉が行きたいなら行きましょう」

「おう、行くか」


 先程歩いてきたことで分かっていたことだけど、外に実際出ると生ぬるい感じが私達を迎えてくれる。

 隣を歩く彼は「なんか微妙だな」なんて言いながらも帰ろうとしようとはしなかった。

 まあ、今出たばかりだしね。


「川でも見に行くか」

「はい、付いていきますよ、家に残っていてもひとりで寂しいですからね」


 段差があって近くまで行くことができる。

 そこにふたりで座ってゆっくりとしていた。


「本当に来るとは思わなかったわ」

「翼がどうしてもと頼んできたので」


 結局これでは私が行った意味なんてなくなったわけだけど。

 行ってくると挨拶をしたときも「気をつけてねー」なんて言ってどうでもよさそうだった。

 今からでも帰った方がいいんじゃないかって考える自分も本当はいる。


「椛、夏祭りに一緒に行こうぜ」

「え、いいんですか? 私でいいなら行きたいですけど」


 小中学校時代は当たり前のように誘ってもらえなかったから家族としか行けなかった。

 それはそれで幸せだけど、やっぱり友達とわいわい盛り上がりながら見て回りたいという気持ちがあった自分がいて。

 そういう気持ちがあっても毎年寂しい思いを味わうことになっていたわけだけど、今年は違うかもしれないって既に期待してしまっている自分がそこにいた。


「そのときは悪いけど俺とふたりきりな、翼はあいつと行くみたいだからさ」

「え、全然悪くないですよ、あなたと行けるのを楽しみにしていますね」


 そうか、彼とふたりきりか。

 浴衣とかはないからあくまで普通の格好で行くだけだけど、男の子とお祭りに行くって地味に望みの内のひとつではあったから味わわせてもらおうと決めた。

 その先には進めないものの、いつか役に立つかもしれないから。


「ま、俺が行ってやらないとひとりだからな」

「そうですよ? だからひとりぼっちにさせないでくださいね」


 いいんだ、彼といられるだけで貴重な体験をさせてもらえる。

 無駄なんかじゃない。

 付き合えないなら離れるなんて選択をしたら絶対に後悔するからしない。


「そろそろ戻るか」

「はい」


 いつもであれば洗い物を済ませてお風呂に入っている頃。

 でも今日はそうじゃない、なにもかもを済ませたうえで桜庭家に移動するんだ――って、ん?


「私の家に用でもあるんですか?」


 どちらかと言えば私の家に向かって歩いている気がしたから聞いてみた。


「こっちで寝てもいいか?」

「あー、リビングで寝ることになってしまいますけど」


 一応寝室は別にあるけど一緒の部屋では不味い。

 だから、こっちで寝たいなら我慢してもらうしかない。


「それでもいい、いいか?」

「あ、それなら翼に連絡をしないと」

「俺がしておくから安心しろ」


 良かったのか悪かったのか、それはもう誰にも分からない。

 翼に文句を言われるかもしれないし、言われないかもしれない。

 ……怒られるのは嫌だからなにもないといいな。


「えっとお布団はこれを使ってください」

「椛のはあるのか?」

「大丈夫です、私は冬用のを掛けますので」

「そうか、わがままを言って悪いな」

「気にしないでください、誰かといられるだけで嬉しいですからね」


 敷布団は諦めてもらうしかない。

 一応翼とかだって泊まりに来るんだから買っておけば良かったか。

 ……考えなしだなあと情けない気持ちになる。


「あ、そういえばアイスを買っておいたんです、食べますか?」

「おう、いいなら」

「大丈夫ですよ、どうぞ」


 少しだけ火照った体を冷ますには丁度いい。

 情けないところは見せられないから彼にもアイスを食べてもらって犠牲になってほしかった。

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