02話.[分かりますから]
「依田、もっとこっちに来いよ」
「え、あ、ここでいいですよ」
翼ちゃんに呼ばれて桜庭家に行ってみたら何故かこうなった。
翼ちゃんは遊びに出かけていると言われ、玄関前で帰ろうとした自分を桜庭さんが止めてきたことになる。
そしてテスト勉強をするために来ていたことを知っていたのか、一緒にやろうと誘ってきたのが現状だった。
上がらせてもらってリビングでやることになった私達。
いつも通り汗をかいているのもあってなるべく敷いてあるカーペットが汚れないよう座っていたわけだけど、それを察してくれない桜庭さんが近づけ近づけと何回も言ってくるんだ。
「ほら、直当たりは不味いけどそこなら涼しいだろ?」
「いやあのカーペットが……」
フローリングならすぐに掃除はできてもカーペットを洗濯するのは大変だろうから一応気にしているんだ。
それだというのにこの人ときたらなにも分かってくれてない。
「いいんだよ、気にすんな」
「気にするなと言われましても……」
「ほらやろうぜ、分からないところがあったら教えてやるから」
そこまで不安というわけでもないけど年上である桜庭さんが教えてくれるのは大きいな。
……こうなったら細かいことは気にせずにお勉強をしようと決めた。
今日はこっちがメインだったからお喋りはほとんどしなかった。
涼しい部屋の中でふたりとも目の前のことに集中するというのはなかなか悪くない時間だったと思う。
「驚いた、聞いてこないんだな」
「はい、ある程度は分かりますから」
「俺の妹にも真似してほしいところだ、あいつはろくに考えもせずにすぐに聞いてくるからさ」
分からないことを分からないとちゃんと言えること、ちゃんと聞けることは素晴らしいことだと思う。
桜庭兄妹以外にはちゃんと言えたりしないから困ることも多々ある自分。
そういうことが起こる度に自分とは違うことがよく分かって複雑になることも多かった。
「少し休憩……これ以上は疲れる」
「そうですね」
一時間ぐらいが私の限界だ。
これ以上やろうとしても内が乱れるばかりでいいことはない。
だから休憩と言ってくれたのは助かった。
「依田、飯食ってけよ、作ってやるから」
「え、いいんですか? ありがとうございます」
ひとりだとどうしても適当になるからというのと、誰かと一緒に食べられることが新鮮だったから嬉しかった。
あと、こういうときは断ったりしないのが吉だ。
ひとり寂しく家に帰って、ひとり寂しくご飯を食べたところで寂しさが消えることはないのだから。
「おう、それまでは……あんまりできることがないな」
「あ、それならご飯の時間まで家にいますけど」
「そんな無駄なことをしなくていいだろ」
と言っても、自宅と違って寝転ぶ~なんてことができないから少し窮屈なんだ。
やれることもないようだし……と思ったんだけど。
「よし、暇だから依田の髪でも結っているか」
「あ、さっき汗をかいたので」
それだけじゃない、今日は体育があったからそのときには酷いことになった。
だからとてもじゃないけど人に触れてもらえるような状態ではないのだ。
「別にいいよ、勝手にやらせてもらうからな」
いやあ……桜庭さん的には良くてもこっちは一応女子なんでね?
もう少し尊重してくれるとありがたいんですが……。
「やたらと髪を気にしていますけど、将来は美容師になりたいとかそういうのですか?」
「いや、ただ依田のがどうしても気になるだけだ」
「一応、ちゃんとしているつもりなんですけど……」
「まあ、俺好みにしているだけだ」
他の子にもしていそうで怖い。
仮に自分が男の子なら異性の髪になんか気軽に触れられないだろうからすごい。
偉そうだけど、ちゃんと許可をしてから触れるように桜庭さんに言っておいた。
「ふぅ、帰ってこないなあの馬鹿妹は」
「そんなこと言わないであげてください、大切な友達なんですから」
「俺がいるだろ」
「確かに桜庭さんは優しいですから大切な存在ですけど、翼ちゃんもそうですから」
いつだって来てくれるわけじゃないから翼ちゃんの存在が重要になる――とはいえ、あの子もあの子で他の子とばかり盛り上がっていることが多いから寂しいと感じるときは普通に多いと。
「ただいまー!」
「遅えよ馬鹿」
「あはは、ごめんごめん」
あ、そういうことか、翼ちゃんが帰ってくるのを待っていたのかと今頃気づいた。
可愛いところがあるなあ。
口ではなんだかんだ言いながらも妹優先で動いているというかさ。
「お、椛もいるねえ」
「って、翼ちゃんに呼ばれたんだけど……」
「私はテスト勉強なんかしないんだー!」
う、うるさ……。
どうやったらこんな暑い夏にそんな元気さを出せるんだろうか?
私には絶対にできないことだから真似をすることもしていないけども。
「ほらよ、さっさと食え」
「わーいっ」
「依田も」
「ありがとうございます」
十九時半頃、桜庭さんが作ってくれたご飯を三人で食べた。
やっぱり誰かが作ってくれたり、誰かと一緒に食べられるって幸せなんだなってまた思って。
「ちょっと依田を送ってくる、お前はさっさと風呂に入っておけ」
「あーい、椛、また明日ねー」
「うん、またね」
これぐらいの時間になれば歩いているだけで汗をかくということも滅多にない。
「ご飯を食べさせてもらったうえに送りまでさせてしまってすみません」
「いいんだよ、あの馬鹿妹が全部悪いんだからな」
「最初は確かに翼ちゃんが誘ってくれたから家に行きましたが、そこから先は私が全部桜庭さんにしてもらったことですよね? なので、翼ちゃんを責めるのはやめてあげてください」
どうせ本気で馬鹿なんて思っていないんだ。
本気で思っているのならいちいち帰宅してから作り始めたりはしないだろうからね。
「お前って翼に甘いよな」
「翼ちゃんのおかげで教室でもあまり不安にならなくて済んでいますし、翼ちゃんのおかげであなたとも関われるようになったんですから当たり前ですよ」
「ほう、俺のことを怖がっていると思ったが」
「少し苦手でした、他の人を相手にするときより威圧的でしたからね」
「は? そんなつもりはなかったんだけどな」
最近のそれは勘違いだったと分かったからもういいんだ。
来てくれるというのなら真っ直ぐに対応するだけ。
……単純で恥ずかしいところではあるけど。
「だからもっと来てください、私を変えてしまったんですよ桜庭兄妹は」
「は? 知らねえよ」
ま、そうだよね。
あくまで時間つぶしのために利用している、というか、おまけ以上にはなれないというか。
分かっているよ、分かっているけど期待してしまうんだ。
「私は待っていますから」
少し前を歩く大きな背にぶつける。
高校デビューをしたんだ、昔と一緒のようにはしない。
してもらいたいことがあるときはしてもらいたいと言う、寂しいときは寂しいと言う、ただそれだけで少しは違うと思うから。
「知らねえけど、まあ、どうせ馬鹿妹も見ておかいと駄目だからな、そのついでに依田の相手もしてやるよ」
「ありがとうございます」
それぐらいで十分だ、贅沢は言わない。
まあこんなやつもいたな~と思い出して時々でいいから来てほしいのだ。
本当にそれぐらいで良かった。
「依田、起きろ」
はぁ、なんかふたり目の妹ができた気分だった、なんて冗談を言っている場合じゃない。
ずっとバテていて全く起きないのだ。
だから十八時を超えても珍しく学校に残っているということになる。
依田のせいでな。
「おい依田ー」
「……先に帰ってください、今日はまだ動けません」
「帰って休めばいいだろ」
持ち上げようとしても普段みたいに持ち上がらないんだ、かといって放置ということもできねえし……。
ああ、今頃家のリビングでは翼がゆっくりしていると思うとむかついてきた。
あとはこいつにもそうだ。
「たかだか体育で走ったぐらいでなんだよその様は」
「ちょっと転んだりしまして、恥ずかしいところをみんなに見られてしまって精神的ダメージも入っている感じですね」
「大丈夫だ、他の人間はそこまでひとりの人間を気にしていることはないからな」
仮に目の前で転ばれたとしても転んだ~ぐらいにしか思われないはずだ。
仮に意外と長引いても、人ひとりが転んだなんて話はあっという間にどうでもよくなることだろう。
こいつは周りの目を気にしすぎだ、なにをやっているんだって結構イラッとすることがある。
できる限り真似をしてほしくはないが、翼ぐらいなにも考えずに行動してほしいと思うときはあるな。
まあできるとは思わないけども。
「……桜庭さんに申し訳ないのでもう帰ります」
「おう」
あ、そういえばこの前、紅葉って呼ぼうとしてくれていたのに邪魔が入ってまともに聞けなかったことを今思い出した。
とはいえ、改めて頼んだところで呼んでくれるわけがないからなあとなんとなく依田を見つつそんなことを考えて。
「ふぅ、ある程度時間をつぶしたのもあって涼しくなりましたね」
「ああ、まあ俺は気にならないから早く帰れた方がいいけどな」
「だから先に帰ってくれって言ったじゃないですか」
か、可愛くねえ、翼ぐらい生意気なところがあるしさっさと帰れば良かった。
今日俺が残っていたのは翼に頼まれていたからというだけ、それ以外の感情とか自分の意思でとかではないんだ。
別に翼に嫌われようが依田に嫌われようがどうでもいいが、少なくとも家族である翼に嫌われると面倒くさいことになるから仕方がなくこうしているというだけなんだ!
「さっき桜庭さんが起こしてくれる前に夢を見たんです、あの頃の夢を」
あの頃っていつだよっ。
俺は入学式の日からのこいつしか知らないから口にするということは最近のことなのかもしれないが。
「私、地元の高校を絶対に志望したくなかったんです」
「なんでだよ?」
「理由は単純にあのまま進むだけだと変われなかったからですね、こっちに来て変われたとは言えませんけど」
別に同じような生き方でもいいと思う。
卑屈、マイナス寄りの思考を繰り返しているようならやめた方がいいとしか言えないけど。
「幸い、嫌われていたとか苛められていたとかそういうことは一切なかったんです、本当に平和な毎日でした」
「なにもなさすぎて飽きたとか?」
もしそうならかなり贅沢な悩みだ。
特別なことがなんにもない、所謂普通の毎日の方が幸せだったってなにかが起こってからじゃないと気づけないから人間は面倒くさい。
「違います、私は周りの方から支えられてばかりでした。そういう平和な日々だってその方達のおかげであったようなものなんです。でも、私はなにも返すことができませんでした。あまりにも返さなければならないことが増えて、キャパオーバーになって、こっちに逃げてきたって感じですね」
馬鹿だろこいつ、それで他県の高校を志望するとかアホとも言えるぞ真剣に。
「返せなくなって逃げてくるとかアホですよね」
「ああ」
彼女は足を止めてこちらを見てくるから俺も同じように彼女を見たら、自虐的な笑みを浮かべて「そういう人間なんです」と。
「それでも私は変われると信じています、矛盾していますけど」
なるほど、一応マイナス思考ばかりをする人間ではなくて一安心だ。
「じゃあ駄目だな」
「え……?」
声をかけることなく歩き出す。
変わろうとしている人間が他人の目なんか気にしてんじゃねえってぶつけた。
未だ理解できていないような顔が一周回って面白かったぐらいだ。
「あ、あの、桜庭さん?」
「依田」
……まあ完全に可愛げがないわけではないからな。
だからこれぐらいは余計なことを言ってしまってもいいだろう。
「俺も翼もちゃんとお前の近くにいるぞ、だから怖がらずに挑戦していけ。前とは違う自分になりたいんだろ? ひとりじゃ無理なら周りの人間を頼ればいい。周りが拒んでも俺や翼……は分からねえけど拒まねえよ」
だあ!! めっちゃ恥ずいこと言ってんだろこれ!
それこそこういうのがプレッシャーになって邪魔していたとしたらどうするんだと、どんどん不安な気持ちに。
「あの、桜庭さん」
「なんだよ!」
先程とは全く違う。
ただ種類が変わっただけでここまで違うのかと驚いた。
「ありがとうございます」
しかもただ礼を言われただけだというのに。
俺は数十秒間そこから動くことができなかったのだ。
「椛ー」
「あ、どうしたの?」
今日は雨が降っているから翼ちゃんのテンションが落ち着くかと思えばそうではなく、彼女は天候がなんだろうが元気でいてくれるということが分かった。
「大好き」
「え? あ、私も好きだよ」
「でも、今日の椛の中には紅葉くんのことしかないよね?」
あー、確かにそうかも。
昨日どうしてあんなことを言ったのか、どうしてあんな風に言ってくれたのかをずっと考えていたんだ。
そのせいで寝るのが遅くなって少し眠たかったからというのもある。
考え事をすることで寝ないようにしていた感じかな。
桜庭さんが優しいことは出会ったときから知っている。
それでも怖いところがあって苦手な一面もあるのは確かで。
向こうにとって自分はどういう存在なのかが分かっていない。
だからどうして優しくしてくれるのかが全く分からないのだ。
昨日、ああ言いながら馬鹿にされるんだろうなって思ってて、実際、馬鹿とかアホとか言われてああやっぱりなってちょっと傷ついていたぐらいだったのに最後は、……あんな風になって。
「というわけで、紅葉くんを呼んでおきました」
「うん、それはいいんだけど……」
さっきからその桜庭さん、翼ちゃんの席に座って爆睡しているんだけど。
「紅葉くんっ、椛が相手をしてほしいんだってっ」
「……うるせえ、寝かせろよ」
「寝るなら家で寝なさいっていつもあなたが言っているでしょうがっ」
あの声量をぶつけられてもなお寝られるってすごいなっ。
下手をすれば一瞬真っ白になるぐらいにはぐわんぐわんくる最早攻撃レベルなのに。
「ごめんね、うちの弟が駄目駄目で」
「い、いや……」
「そうだっ、椛が起こしてみてよっ」
と言われても私なんかが起こそうとしたら怒られてしまうに違いないし、……ここはやっぱり放置が最適ではないだろうか?
「依田……ちょっと来い」
「あ、はい」
彼女の声だけじゃない、クラスメイトは当然多くこの教室内に存在しているから賑やかだ。
それだというのに疲れているのか眠ることを優先していた桜庭さんだ。
「ここに座れ」
「分かりました」
他の人の席ならともかく翼ちゃんの席だった。
特に気にならないものの、本人に一応許可を貰ってから座らせてもらうことに。
「俺が今日眠たい理由、分かっているよな?」
「あ、え? あー……夜ふかししてしまった、とかですか?」
「そんな子どもじゃねえよっ」
教室で騒ぐのは違うから廊下に連れて行く。
どうやら私に不満があることが分かった。
……なんとか話し合うだけで済ませられないだろうか?
「あの、私がなにかしてしまいましたか?」
思いつくことはどう考えても昨日のことだけ。
遅くまで付き合わせてしまったのが悪かったのかな……。
「分からん、でもお前が悪いことは確かだ、寝られないぐらいにしてくれたんだからな」
えぇ、そんなこと言われても。
もっと具体的に言ってくれないと困るよっ。
そうじゃないとどうすればいいのか分からないよ!
「土曜日」
「はい」
「土曜日に付き合え、出かけるぞ」
「それぐらいなら大丈夫ですけど……」
それでお詫びになるんだろうか?
いやまあ、付いていくぐらいなら私でもできるんだから気にしないでいいか。
普段からお世話になっているわけだしなにかを買って贈ってもいいかもしれない。
桜庭さんが素直に言ってくれるとは思えないけど……。
「あと、紅葉って呼べ」
「はい、紅葉さん」
「……素直に聞くんだな」
「はい、昔の私とは一応違うんです」
三ヶ月も一緒にいられているんだから名前で呼ばせてもらうぐらいはいいだろう。
というか、相手がいいって言ってくれているんだから不安にならなくていい。
それに拒めば拒むほど相手はいてくれなくなるものだからね……。
「呼び捨てでいいぞ」
「え」
「別に嫌ならしなくていい」
これは流石に……。
いやでも相手がこう言ってくれているんだと勇気を出して紅葉っ、と。
「おう、どうした椛」
「な、なんかすみません……」
なんか名前で呼び合えるのっていいなって思った。
これまで家族以外の人は名字呼びだったから余計に。
「いいんだよ――っと、戻るわ、後でまた来るから」
「はい、翼ちゃんもきっと待っていると思いますから」
「ふっ、それは分からないけどな」
よし、土曜日はお金をそこそこ持っていこう。
服装は……まあデートというわけではないんだからあくまでシンプルなものでと決めた。
「おかえり~」
「ただいま」
今度は彼女が私の席に座っていた、なんか嬉しい。
ただ誰かが座ってくれたというだけなのになんでだろう?
「紅葉! って呼んでたね」
「うん、呼び捨てでいいって言われてね」
「いいじゃんいいじゃんっ、どんどん仲良くなれてるじゃん!」
あれ、そういえば私のせいだとか言っていたのに名前で呼べとか呼び捨てでいいとか、本当に言いたいことはそれだったのかな? と疑問が出てきた。
あ、学校だと責められないから外で――みたいに遠回しにする人じゃないしなあ。
嫌なことははっきり言う人だからそれだけはない。
そんなに緊張しなくていいのかな?
紅葉さ……紅葉……くんとお出かけできると思っておくだけで。
「楽しんできてねっ、あ、嫌なことはちゃんと嫌って言わなきゃ駄目だよっ?」
「うん、大丈夫だよ」
「そうだよねっ、相手は紅葉くんだもんねっ」
そう、あの人はこっちのことを考えて行動してくれるから楽しめるはずだ。
そこで私もあの人のことを考えて行動できれば一方通行にならなくていいのではないだろうかと考えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます