伊須狩裕太はもう一度裏切るのか

名苗瑞輝

伊須狩裕太はもう一度裏切るのか

 2021年某日。

 俺は唐突に前世の記憶を手に入れた。

 おいおいラノベかよと思うのも束の間、よみがえった記憶は膨大で、俺はその全てを理解しきるのに一週間もの時間を要した。

 その間学校を休んでいたこともあり、この日俺は久しぶりに登校した。


「裕太くん、大丈夫?」


 顔を出すなり俺に訊ねてきたのは、クラスメイトの末井すえい紅莉栖くりす。中学からの友人でもある。


「ああ、ちょっと……体調崩してただけだ」

「一週間も休むのはだいしとは言わないよ」

「今は大丈夫だ、何ともない」


 そう口では言ってみたものの、実のところ全く何もないわけではなかった。

 俺は記憶の覚醒とともに、力、まあいわゆる魔力だとか霊力のようなものを手にした。というより、その使い方、感じ方を理解したと言うべきだろうか。

 それそのものは、最初こそ苦労し、実際に一週間も休んだ原因の一つでもあったりするのだが、今は問題ではない。

 しかしだ。今目の前にいる紅莉栖から感じる膨大な力にあてられ、俺はただ強ばることしかできなかった。


「な、なにかな? 私の顔に何かついてる?」

「あ、いや、何でもない。やっぱりまだ調子が悪いのかも」

「保健室行く? 一緒に行こうか?」

「いや、大丈夫。……ヤバくなったら頼む」


 そしてもう一つ、俺が疲弊する理由があった。

 俺は前世で人を殺めているらしい。それも一度ではなく、何度も。

 紅莉栖から感じる力は、俺が前世で殺してきた相手と殆ど同じだと、記憶がささやいている。

 おそらく、彼女こそがその相手の生まれ変わりで、俺は今世でも彼女を殺さなければならないのだ。


 * * *


 それからまた数日が経った。

 結局俺は紅莉栖を殺す決意を出来ないままであった。

 そんなある日曜のこと、家の呼び鈴が鳴って玄関へ行くと、そこには紅莉栖の姿があった。


「テスト勉強、一緒にしようよ」

「事前にアポくれよ」


 俺の言葉を無視しながら、彼女は家の中に入っていく。

 今日は俺しかいない。だから他に彼女をとがめる者は居なかった。


「裕太くん世界史教えて」

「何が解らないんだ?」

「えっとね、全部!」


 間抜けな回答にため息を漏らしながら、俺は教科書を開く。


「仕方ないな、一つずつやるぞ」

「うん。まず知りたいのはね──」


 しかし彼女は教科書ではなく俺の顔をじっと捉えて話す。


「イスカリオテのユダはどうしてキリストを裏切ったの?」

「……はっ?」


 唐突に何を言うのか。驚きと焦りから俺はこれ以上の言葉は出なかった。

 黙ったままの俺に、紅莉栖はもう一度訊ねた。


「訊き方かえよっか。裕太くんはどうして私を裏切るの?」

「俺は……」


 俺の予感は的中していた。

 やはり彼女こそが俺の殺すべき相手。新世紀を迎える度に生まれ変わり、その度に俺が裏切り続けてきた相手。


「俺はお前のこと、裏切ってないぞ」

「でも、これからそうなるよね?」


 途端、力の流れを感じた。

 慌てて防ごうとして、俺は身体の前で腕を交差する。しかしこれではダメだとすぐに感じて、両腕に力を込めた。

 まるで見えない腕で押されたように力を受け、座ったままだった俺はその場に倒れ込んでしまう。

 そして立ち上がろうとするより先に、紅莉栖は俺の上へ馬乗りになった。


「……お前はいつから気付いてたんだ?」

「最初からだよ。私は生まれながらに全ての記憶を持っていて、出会ったときから裕太くんがそうだって気付いてた」

「泳がせてたのか」

「最初はね。でも……」


 紅莉栖はなにか言いかけ、しかしその言葉を濁す。


「逆に訊くけどさ……」


 だからその隙に、俺も訊いておきたいことがあった。


「何で裏切られると知っていて、何もせず受け入れたんだ?」


 彼は言った。


『しようとしていることを、今すぐ、しなさい』


 それは、俺が裏切り者だと示した上での言葉だった。

 だから俺はその言葉に従った。

 一度だけではない。何度も。

 そして今回もまた、彼女は俺の裏切りを知っていて、それでも俺の前に立ちはだかった。

 だが俺にはその言葉の真意が理解できなかった。


「何でだと思う?」

「わからん」

「そっか。じゃあ、それが解ったら殺されてあげる」


 そう言って彼女は俺の首を絞める。

 抵抗は出来なかった。しかし俺は死なない。死ぬほど強く絞められていないからだ。

 やがて彼女は涙する。その涙がこぼれ落ちると、俺の口の中に入った。少し渋みのある、不思議な味だった。


 * * *


「で、キミはどうしたんだい? 彼女を裏切ったのか?」


 又井またいが訊ねた。


「ああ」

「そうか。じゃあ今世の福音書はこれでお終いかな。また来世、22世紀で会おうか」

「……そうだな」


 又井と別れた俺は、その帰り道にパン屋へと寄った。この店のパンが美味しいらしいと聞かされたからだ。

 買ったパンを手に、俺は家に帰った。


「ただいま」

「遅い」


 彼女は不服そうに言った。

 俺は彼女を裏切った。殺されたがっていた彼女を殺せなかったのだ。

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伊須狩裕太はもう一度裏切るのか 名苗瑞輝 @NanaeMizuki

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