第7話
一時間目に授業はなかった。三月の中旬からずっと解放されていた自習室に、私はその日初めて入った。灰色のカーペットがしかれたフロアに、整然と並ぶ木製の机。椅子はキャスターつきで、机には電気スタンドも設置されている。あいていた通路側、一番端の席にひとまず私は座った。月曜日、三時間目まで私は受ける授業がない。午後までずっと自習だ。予備校には、たとえ一時間目に授業がなくても午前九時半までには登校するようにという規則があった。生徒に規則正しい生活を送らせるのが目的と思われる。私は静かな自習室で、久々にまともな勉強をした。不思議と集中できた気がする。昼休みのことを考えたくなかったからかもしれない。
一時間目が始まってしばらくしたとき、私の右隣にいた生徒が席を立った。荷物をまとめ、自習室を出るわけでもなく、ちょうど私の右後ろの席に移動した。
そこも列の端の席だから、きっと集中しやすいようにと思ったのだろう。
私は、そう思うだけでよかった。にもかかわらず、いつも。余計な言葉が。
"私の行動に問題はなかったはずだ"
思う必要のないことを。
"でも、もしかしたらなにか不愉快にさせたのかもしれない"
参考書に連なる英文と思考がどろりと混ざる。
そうだったとしても今後会話すらしないであろう相手だ。どうだっていい。
舐めかけの飴玉を誤って飲み込んだような感じがした。
二時間目の終了をつげるチャイムが鳴り、昼休みになった。とたんに放送がかかる。今日の昼休みは十分長い。その後授業は順繰りに遅れるという通告だった。なぜ、そんなことを。私は前々からこの時間を憂えていたというのに。
荷物をまとめて、とりあえず場をつなぐために携帯電話を開く。自習室内での飲食は禁止だ。昼食は各教室か、談話室と呼ばれる部屋で食べるしかない。ちょうど同じ階だったため、私は談話室に向かった。談話室といっても会議用の机とパイプ椅子があるだけで、少しもくつろげる空間ではない。私が入った時、一人の女の子が部屋を出て行き、女生徒は私しかいなくなった。見れば複数人で昼食をとる生徒の傍らで、一人で食事をする生徒がぽつぽつといた。そう、まだ初日だからこれが当然だ。言い聞かせながら私は席に着く。
不自然に見えないように細心の注意をはらいながらとる行動はかえって不自然にみえるのだとわかりながら、私はゆるやかな動作を心がける。知らない人間に囲まれた空間で、一人で食事をするということが私はとてもいやだった。実際は、他人にものを食べているところを見られることが。誰も見てなどいないことはわかっている。見ているのは周りにいる生徒ではない。誰かわからない誰かが、いつも私を見て、私の所作を嘲笑する。せめてもう少し広い空間だったなら、気にならなかっただろうに。すぐ隣では茶髪の生徒が友人と笑いながら話している。私はとりあえず開いたままの携帯電話で、むやみにメールの整理をはじめてみた。
綺麗に、自然に食事をしようとすればするほど、前回同様甘ったるいパンは口の中で味をなくした。砂をかむようとは、まさにこのこと。そもそも空腹など感じていなかったのだから、義務的な食事にすぎない。ペットボトルの緑茶でろくに咀嚼もしないまま菓子パンを流し込んで、私はすぐに談話室を出た。昼休みにもかかわらず、その日最も疲弊した時間だった。
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