第2話


 勉強ができなくなるより先に、体調がおかしくなった。ありとあらゆる不快感が体中に散らばって、私を蝕んだ。体調管理をとりわけ意識して、適度な運動もしたし食事も睡眠も完璧に計算していたはずだった。だから体調の異変は精神の脆弱性のせいだと思った。


 体調が悪くなると、学校を休むようになった。友達との会話も体育祭の準備も、私には余計な負担でしかなかった。勉強以外の全てが無駄だと思えた。朝起きるのも、登校するのも、全てが負担。


 この頃はよく、今すぐ世界が終わればいいと思った。あるいは、体に限界が来て意識をなくして入院するとか。もっともっと苦しんで、発作的に死ねたらいい、とか。そうしたら私は、最後の瞬間まで夢に向かって努力を重ねて命を落とした、悲劇の少女になれる。私の中で、それはそれで完成された一つのストーリーとして、悪くない結末だった。しかし私はまぎれもなく、死なないために引きこもった。


 文章をまともに読めなくなった。英語だろうが日本語だろうが、字を目で追う内に、頭はほかの考えに支配される。勉強どころではなくなってしまった。努力できなくなった以上、夢も輝きを失くした。ゴールまでたどり着けなければ、どんなに速く走ったところで意味がない。途中で転んでしまえば、座り込んでいるうちに後ろから抜かされる。それまでの過程など、全てが無駄。


 自殺しようと思った。それが唯一残された道だと。しかし、死を望む心に反して、体は生きようとしていた。引きこもるのは最も死のリスクから遠ざかる行為だった。本当に死ぬつもりなら、私は決して日常から逃げてはいけなかった。苦痛を与え続けなければ、もたもたしている内に体は回復してしまう。わかっていた。だから回復する前に、早くしなければ。だが、いざとなると準備がたくさんあって、時間が掛かってしまった。その間に、救済の手が差し伸べられた。あろうことか。


 そこからの半年間は、怠惰と奇跡の繰り返しだった。

 友人からのメールに、私は一切返信しなかった。彼女たちの言葉を私は信じることができなかった。私の心まで届く言葉を使えたのは、一人だけ。それは必然だった。


 あの男は私の鍵を持っていた。それは私が自ら渡したものだが、三年間をとおして私が鍵を渡せた相手はほかにいなかった。今となっては、好きになったからあの男しかいなくなってしまったのか、あの男しかいなかったから好きになったのか、言い切ることはできない。


 とにかく、この狭い檻の中にいる私と外の世界を繋ぐ最後の鎖を、私は切ることが出来なかった。拒絶だけが絶対の手段だったというのに、私は海の底でもなお差し込む光を探していた。あれだけ望んでいた優しさを、手に入れられてしまった。何も、何一つ成し遂げてはいないのに。願いだけが叶ってしまった。

 私は救済された。鳥籠の外に出ることができた。


 しかし、一度失くしたものは二度と戻らない。崩れた日常は元には戻らなかった。そのうえ叶えられた望みの分だけ、それに応える行動が必要だった。だが、全てがもう遅かった。私は何も成せないまま、高校を卒業した。私が卒業できたのは、ひとえに私以外の人間の厚意と努力によるものだった。私自身が一番自分の置かれている状況を理解できないまま、高校生活は終わった。


 私は負債を背負ってしまった。優秀な功績に賞賛があたえられるように、優しくされたことに対し、私は何かを返す必要がある。しかし、利子をつけなくては。一を期待されたら十で返さなくては。そうすればその分だけ喜んでもらえる。幼い頃からずっと、それが私のプライドだった。

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