この物語を君たちに

宵埜白猫

レゾンデートル

 ある雨の日、黒い雲のはるか上でのお話。

 そこに住む一人の女神様は、もっていたペンを置いて溜息を一つ吐いた。


「毎日こんなことして、なんの意味があるんだろう……」

「さあ、俺達のやってることに意味なんてあるのか?」

「僕たちの存在や仕事に意味を与えるのは、人間こどもたちではないでしょうか」


 誰かに聞かれると思っていなかった彼女は、背後から不意に返ってきた言葉に体を震わせる。


「……貴方みたいに名前のある神ならそうでしょうね。ヘリオス、それにモルフェ」


 振り返ることもせず、彼女はそこに立つ二人の神に言葉を返す。

 太陽の神ヘリオス、夢の神モルフェ。どちらも人間こどもたちに名を知られ、その仕事を認められた神だ。


「まあまあ、そう卑屈になるなよ。お前のやってることだって、人間ガキ共にはきっと必要とされてるさ」

「そうですよ。物語を紡いで人間こどもたちに授ける。私やあのアテナにも近い立派な仕事だ」


 二人は口々にそう言うが、今の彼女にはただの皮肉でしかない。

 頭を抱えてうずくまる彼女に、二人はやれやれと肩をすくめて続ける。


「貴女には僕たちの言葉じゃ足りないようだ」

人間ガキ共の声でも聞いてこい」

「え?」


 どうやって。と聞こうとしたときには、彼女の体は

 落ちるに任せて、彼女はそっと目を閉じる。

 再び目を開けた時、そこは見慣れない街だった。




「お姉さん、ウチに何か用ですか?」


 小さな家の前で呆然としている女神に声をかけたのは、エプロンを腰に巻いた二十歳程の女性だった。


「ここはどこ?」

「ふふ、不思議なお姉さんですね。……ここは本屋さんですよ。まあ、個人でやってるちっさなものですが」

「本……」

「ええ。よかったらちょっと見ていきますか?」


 女性が太陽のような笑顔で女神に言う。女神は戸惑いながら、彼女の後に続いて店に入った。


 小さな店という割に、沢山の本が丁寧に並べられている。それが女神の第一印象だった。と言っても、女神は他の書店の事など知らないが。

 女神はゆっくりと店内を歩いて、並べられた本を眺める。

 そこに並べられた本たちの中に、何冊か見覚えのあるものがあった。

 絵本、小説、漫画。形は違えど、それはどれも女神が人間に授けた物語だ。


「ねえ、この本って貴女も読んだことあるの?」


 私はその中の一冊を手に取って聞いてみた。


「もちろん! それは名作ですよ! 私はその本を読んだから、今こうして笑っていられるんです」

「そう、なの?」

「はい! ……お恥ずかしい話ですが、私学生時代は引きこもりでずっと意味のない人生を送ってたんですが、何を思ったのかその時母が買ってきたその本を読んだんです。なんだかまるで神様にそう言われたみたいに、今まで本なんてろくに読んだことも無かったのに」


 懐かしむように微笑んで、女性は続ける。


「その本のストーリーはシンプルでした。ほんとによくある冒険譚で、ご都合主義な位のハッピーエンド。でも本を読んでなかった私にはそれが新鮮で、温かくて、泣いちゃいました。……それからなんだかすっきりして、もう一回頑張ってみようって気になったんです」


 女性は言い切ると、愛しい恋人にでも触れるかのようにそっと本の表紙を撫でた。


「……そっか。私の仕事にも、意味はあったのね」

「え?」


 女性が瞬きを一つすると、女神の姿は消えていた。彼女は最後に、女神の不器用な笑顔を見た気がした。




「おお、帰ってきたか」

「おかえりなさい。どうでした?」

「……それが人を急に落とした神の言う事なの? 大体、あれは貴方の見せた夢でしょ?」


 いつもの雲の上で目を覚ました女神は、椅子に腰かけて本を読んでいたモルフェに声を返した。


「半分は正解です。しかし、あれは地上に実在する人物ですよ」

「……そう」


 どことなく嬉しそうな表情を浮かべた女神を見て、モルフェとヘリオスは互いに目を見合わせた。


「んじゃ、俺はそろそろ仕事に行ってくるわ」

「僕も行きますよ。あまり長居しても、彼女の仕事の邪魔になりそうだ」


 二人は満足気な笑みと共に、女神の家を後にする。

 一人になった部屋で、名も無い女神はそっとペンを取った。


「次は、どんな物語にしようかな」

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この物語を君たちに 宵埜白猫 @shironeko98

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