供え物泥棒

憂杞

供え物泥棒

『赤井家之墓』と書かれた墓石の前に、饅頭が一つ供えられている。本来、供え物の飲食おんじきは帰宅時に持ち帰るべきだが、赤井氏だけがそのまま墓前に残して行ってしまう。まるで野鳥らに「どうぞ荒らしてください」と言わんばかりに。


 饅頭は見かねたご住職が仕方なく片付けていたが、そうしたことが続くうちに、奇妙な噂が地方の小学校で立ち始めた。初春のことである。


「赤井さん家のお供え物、盗んで食うと祟りが起こるらしいぜ」


 初めに言い広めたのは最高学年の隆弘たかひろだった。そこは田舎の学校であり、児童は年ごとに一人ずつの計六人しかいない。ゆえに大仰な彼の発言はとりわけ影響が強くなる。


 供え物の件はすぐに休み時間の話題となり、挙げ句には真相を確かめようという話になった。つまりは実際に饅頭を盗み食いに行くのである。

 祟りの有る無しに関わらず、罰当たりな悪戯であることは周知のこと。しかし些細な罪悪感こそが子供心をくすぐり、実行に駆り立てる動機となったのだろう。

 二・三・五年と結束し、物分かりの悪い一年を放って、隆弘が肝試しを企んでいた時である。


「ねえ皆、それは駄目だと思う」


 四年生の直子なおこが意見した。木椅子に座ったまま膝の上で手を握りながら、なけなしの声を絞り出す。

 隆弘は苛立った素振りで直子に歩み寄ると、威圧的な態度で凄んだ。


「は? なんで駄目なの」

「それは、えっと、お墓に失礼だから」

「何言ってんの? どうせ怖いだけだろ?」

「そういうわけじゃ……」


 顔を歪ませて怯む直子に、隆弘は退屈して踵を返す。周囲で他学年の仲間らがクスクスとわらっていた。


「別にいいよお前なんて。俺達だけで楽しんでくるから」


 そのまま日が暮れ、下校時間を迎えた。


 早速、隆弘らは霊園へ向かったという。

 事前の計画は特になかった。ご住職の目さえ掻い潜れば盗んだところで、赤井氏がようやく後始末をしたものと誤認されるだけだからだ。


 墓前に忍び寄った隆弘は卑しく笑いながら、饅頭をひょいと口へ運んでしまう。

 その場で一口、二口と咀嚼する。

 両手を空にしてしまうと辺りを見回したが、やがて諦め、四人でそそくさと外へ去って行った。




 翌日の学校へは、全員が何事もなく出席した。


「なんだ、祟りなんて嘘じゃないか」


 休み時間中、隆弘が気に食わないように言う。

 教室では肝試し組四人が団子になって固まっていた。直子は隅に寄り会話に加わろうとしなかった。一年生は構わず一人遊びをしている。


「最初の一回だけかもよ……?」


 五年生が諭すように言う。しかし怪談を語るような口振りが、かえって謎への期待感を高めさせる。


「なあ、おれも饅頭食いたい」二年生が訴えた。

「いいよ。次はお前な」隆弘が得意げに返す。

「オレも」「僕も」三年と五年が後に続いた。


 赤井氏は誠実にも毎日お参りをしているらしく、一行が再び墓前を訪れた時も供え物があったという。

 その後の二回目の盗み食いでも、特段何も起こらなかった。饅頭を平らげた二年生は満足そうな顔をしている。


 それから三回、四回、五回、


 九回、十回と続き、かれこれ二十回になるが、


 誰一人不幸はなく、ただ普段通りの――あまりに普段通りの日々ばかりが過ぎていった。


 流石の四人組もほとほと飽きてしまい、次第に別の話題で盛り上がるようになる。

 しかし、未だ饅頭のことを忘れずにいる者が一人いた。教室の隅で彼らの談笑を聞いていた直子である。






 直子が家に帰ると、ちゃぶ台の上には何もなかった。今日の食事が給食一膳だけであると知り、目の奥が熱くなるのをぐっと堪える。

 直子の父と離別した母は仕事に明け暮れ、娘の面倒をろくに見なかった。必要な礼儀作法を教え込むと突き放し、以後は最低限の食物を与えるのみ。稼ぎの悪さによっては何も出さないこともあった。


 直子には贅沢が許されなかった。甘味を買うための小遣いすら渡されていない。

 供え物の饅頭についての話に、直子は教室内の誰よりも惹かれていた。しかし人様の物を盗ってはならない。これもまた母に教えられた礼儀に過ぎなかった。


 気付くと直子は家を出て、霊園まで歩いていた。


 赤井家の墓前に立ち、喉を鳴らす。手前にはまた近所にある和菓子屋の饅頭が、お客をもてなすかのように丁寧に置かれていた。周囲を見回すが誰もいない。


 チャンスとばかりに手を伸ばす直子。

 行儀が悪くはあるが、誰も困りはしない。祟りも罰当たりも嘘だと分かっている。

 それに、饅頭がないことで隆弘一行をがっかりさせて、きっぱり盗み食いを止めることが出来るかもしれない。その為にも自分が動くのだ。自分は悪ではない。

 直子は何度も自己暗示をして、迷いを振り払う。そして指先が饅頭に触れようとした時だった。


「おい」


 突然、横から低い声が聞こえた。

 直子は雷に打たれたように震え上がる。


 呼び止めた中年の男が近付いてくる。グレーのシャツと黒い長ズボンの上に、薄手の黒コートを羽織った長身の男。両腕には花などが入った紙袋を幾つか提げている。


「お前さんか。いつも供え物を盗んで食っているのは」


 男が鬼の形相で睨んでくる。彼は赤井氏その人か親戚のどちらからしい。

 直子の手は饅頭へ伸びたまま固まっており、言い逃れが出来る場面ではないと察する。


 ――いつも。

 瑣末な男の誤解に、直子は縋るように食い付いた。


「ごめんなさい、ごめんなさい! でも違うんです! 私だけじゃないんです!」


 直子は敷地に両手両膝をつき、ひれ伏して叫び続けた。


「私は今日だけです! それ以前は他の皆がやったんです! 私だけじゃなかったんです!」


「やかましい! 往生際が悪いぞ!」


 怒鳴り声が霊園じゅうに響く。

 男の激しい剣幕に押され、直子は顔を上げることが出来なかった。何も見えないようにうずくまり、聞こえないように咽び泣く。

 のちに続くであろう「親のしつけが……」という言葉を恐れた直子は、くぐもった声で途切れ途切れ言う。


「ごめんなさい、私が全部やりました、許してください……」


 男との間に沈黙が流れた。

 このまま悪夢となって醒めてほしいと願っていると、ややあって相手が口火を切る。


「食え」


 男に肩を触られ、つられて直子が顔を上げた。涙でぼやけて見える男の表情は、怒ったようでないことだけが読み取れる。


「今日だけだ。次はないからな」


 言うと男は突き放すように距離を取り、片手に持った供え物の饅頭を差し出した。

 直子はとぼとぼ歩み寄り、両手で受け取る。

 全てが丸く収まる予感がして、安堵と緊張が等しく入り混じる。やがて直子は早口でお礼を言う。


「……ありがとうございます」


 とっさに頭を下げると、すぐに霊園の外へ走った。


 後ろめたさと恐ろしさで、早く場を離れたい気持ちでいっぱいだった。急いで背を向けてしまった直子は、男が浮かべていた歪んだ笑みに気付かない。


「はっ、はあっ、はあっ……」


 霊園から出ると、一息に饅頭を頬張った。家で落ち着いてから食べたいという欲求よりも、人目につく前に処分したいという焦りが勝る。

 初めて口にする饅頭の味は苦かった。


「はあっ、はあ……うっ、おえっ…………」


 直子は歩道に膝をつき、嘔吐した。血の色の吐瀉物を映す視界が渦を巻く。全身が痙攣する。


 しばらくのたうち回った末に直子は倒れた。

 取り落とした食べかけの饅頭が、アスファルトに小さな染みを残した。




 中毒により意識を失った直子は、生死の境を彷徨うこととなった。

 通りがかったご住職により病院へ送られた彼女だったが、依然として昏睡は続き、痩せ細った体の快復は遠い未来になるという。


 事が起こった翌日、直子の容態は学校でも伝えられ、児童らは赤井家之墓がある霊園へ立ち入らなくなった。

 直子が供え物を食べたと聞いた隆弘は、他学年の四人と顔を見合わせてほくそ笑んでいた。

「やっぱりあいつも興味あったんだな」と。

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供え物泥棒 憂杞 @MgAiYK

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