プロローグ 下

 先の見えない暗闇は、照らされることを知らず、走っても、走っても、嘲笑だけが纏わりつく。その嘲笑は、見えない蜘蛛の巣に顔から突っ込んだ時のように不快で、いつも吐き気をもよおすのだ。精一杯の笑顔も、言葉も、無意味だった。俺はきっと、蜘蛛の巣に捉えられてもがく虫だ。もがいた時の振動で、捕食者を呼び寄せる。そしてもがけばもがくほど、粘着性をもった糸に自由を奪われる。最後には巣の主が俺をミイラ状態にして、ゆっくりと食べるのだ。

 しかし、人間の方はゆっくりと食事なんてしていられない。時間がない時もあれば、余裕がない時もある。まさに、今の俺のような状態だ。俺は恐怖と快楽を抱いて、町を疾走していた。犬の散歩中の人や、買い物帰りの人が、俺の方を振り返るが、構ってはいられない。まさか、ちょっとした脅しのつもりが、あんなことになるなんて思っていなかった。しかし頭のどこかで、あんなふうになってくれればいいのに、と思っていたのは事実だ。

 今日、俺の学校で、クラスの三人とその担任教師、そしてスクールカウンセラーが死んだ。しかも、個人が特定できないほどの焼死体となった。死体というにはあまりにも残存がとぼしだろう。灰になりかけたくらいだったから。俺は走りながら、笑って独り言をもらした。


「最高じゃねぇか!」


俺は両腕に刻まれた文様を、ダウンジャケットの上から抑えた。


「ざまあみろ! 裏切者ども!」


ついには、俺は恥も外聞もなく、叫んでいた。死体があれば、常識では警察が動くだろう。虚構なら、探偵なんかが謎を解きに現れるかもしれない。その前に、俺は逃げなければならない。どうせ、両親を早くに亡くして、親戚の邪魔者として生きてきた俺には、帰る家もなければ、帰りを待つ家族もいない。心配してくれる友達なんて、くそくらえだ。警察だって、死体から何らかの証拠を得るのは難しいだろう。一方、友人関係や怨恨の筋を調べたら、すぐに俺を特定できるだろう。だから、面倒なことになる前に逃げるのだ。自白の強要なんて、まっぴらだ。動機だけでどこまで警察が俺を追えるのか、疑問ではあったが、とりあえず俺は愉快だった。

 だって、あいつら全員、一度で全部燃えてしまったんだから。一人の人間が、五人を一発の銃弾で殺せるものか。まして、五人の人間を一度に焼き殺すなんて、不可能犯罪だ。それでも、おれはその不可能犯罪をやってのけたのだ。これは正当防衛だ。俺は悪くない。あいつ等が俺を騙して、追い詰めて、寄ってたかって俺を害した罰だ。目には目を、歯には歯を、ってやつだ。これは復讐だ。本当はクラス全員を同じ目にあわせてやりたかったが、残念なことに、それは叶わなかった。


「ああ」


おれの口から後悔のため息がもれた。


「学校ごと、燃やせばよかったのか……」


優等生で通って来た俺が、何故人殺しとなったのか。その理由は数日前に遡って語らねばならない。

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