第536話 線引き

「私、殺すことに躊躇いが無くなってる……」


 戦いの高揚感が無くなったのか、オスカルがガッツリ落ち込んでいた。

ちょっとやり過ぎ感があったことは確かだが、殺してはいけない相手ではなかった。

何しろ、やつらは獣人を襲って命を奪い、生き残りを誘拐し奴隷として売ろうとしていた犯罪者なのだ。

あえて書かなかったが、女性に対する非人道的な行為もあったと加えておこう。


「罪もない人たちを殺したわけじゃない。

殺人に誘拐、人身売買だぞ?

日本では懲役何年程度かもしれないけど、この世界では死刑相当だからな。

怒りに任せないようにはするべきだけど、殺られても仕方がない連中だった」


 戦争というのは、末端の兵士たちにとっては、上の方針に従っただけの被害者であったりする。

無理やり動員され、戦わなければ逆に味方に殺される。

そんな被害者に対して、敵だから殺すなどという気持ちに俺たち召喚者はいつまでも慣れることがない。


 だが、これが明らかな犯罪者であった場合、この世界の倫理観に染まって来るとハードルが下がるのだ。

犯罪奴隷、戦争奴隷、傷病奴隷、借金奴隷、これらの奴隷はこの世界では全て合法だ。

だが、誘拐されて売られ、奴隷に落とされる違法奴隷などは有ってはならないのだ。

それらを丸っと破っているのが、今回の獣人に対する奴隷狩り行為だった。


「そうだよね。

あいつらが獣人たちを沢山殺したからだよね……」


「この世界で殺人は裁判にかければ死刑だ。

俺たちは間違ってない」


 そんな一味に対して、俺たちが手を下したことは、この世界のルール上、誤りではないのだ。

俺と紗希は強盗冒険者の討伐でその一線を越え慣れることが出来た。

さちぽよは王国の訓練で犯罪者を殺させられたそうだ。

だが、オスカルは温泉拠点防衛戦で、遠くから魔法戦をするか、魔族勇者を相手するぐらいの微妙な位置でしか戦っていなかった。

人と相対して直接手を下したのは初めてかもしれない。

それがオスカルの動揺の元だろう。


 この殺人が倫理的にどうのという点で言えば、日本での倫理観が現実的ではなくなったということなのかもしれない。

殺さなければ、逆に自分や仲間、知り合いが殺される危険がある。

相手が一線を越えたならば、容赦してはいけない。

それが今の俺たちの置かれた現実なのだろう。

全て司法に任せて復讐権を放棄する、そんな法整備も治安維持も出来ていない、この世界での世渡りとはそんなものなのだろう。


 今回の奴隷狩りという犯罪行為を許してしまえる神経では、この世界では生きて行けないのだ。

元の世界に帰れなくなった俺たちは、この世界で生きなければならないのだ。

だから俺もアレックスを殺さなければならない。

俺の家族や仲間の命を危険に晒す最大の脅威なのだからな。

支配されていて罪の無い優斗まさと遥斗はると、翔太の3人はなるべく助けたい。

その線引きは俺たちに残された日本人らしさだと思うのだ。


「そう落ちこめるうちが花だぞ。

アレックスみたいに何の躊躇も無くなったら殺戮マシーンだ。

大丈夫、美鈴オスカル(みれい)はまともだよ」


 そう慰めたのが効いたのか、オスカルは多少持ち直したように見えた。


「さあ、獣人たちを帆船から降ろして、こっちに運ぶぞ。

落ち込んでる暇なんて無いからな」


 その時、オスカルに近寄る小さい影があった。


「助けてくれてありがとう、お姉ちゃん、お兄ちゃん」


 それは獣人の子供だった。

檻に囚われ、愛玩奴隷として売られるところを助けられたのだ。

その屈託のない笑顔にオスカルの頬をつーっと涙がつたう。


「そうか。私はこの子たちを救えたんだ」


 その思いがオスカルの行為を正当化してくれた。

大事なのは犯罪者の命ではない。この無垢な小さな命の方なんだと。


 ついでに俺の心も癒されたのは言うまでもない。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

 どうもオスカルが倫理破綻の無差別殺人者になったかのような印象を持つ方がいるようなので、オスカルの心情的な描写と、この世界の倫理的背景の説明話を書きました。

この話はレギュラー更新ではありませんので、また今夜更新する予定です。

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