第26話

 私よりも私をよく知るハダリーにしてやられ、駄々をこねる隙も与えられずに日常に連れ戻される。だが、それは以前までの日常とは少し違い、悲しむ暇も落ち込んでうずくまる暇も無い忙しいものだった。


 車で10数分の市をまたぎすらしない近くの場所に、輝祈が居ると言う勘解由小路さんの家があると言うのだ。それも、事前にマップアプリで調べたところによると、それは家と言うより邸宅だった。

 車内で流れている歌を助手席で歌う、外出とだけでうきうきしている星海と困った長女を迎えに来ていた。


「そう言えば、この前やってみたいって言ってたよね」


「──うん? うん! やってみたい!」


 本人には沢山のやってみたい事があるのだろうか、少し考えて恐らくひとつに絞らずに良い返事を返す。

 ぐるっと敷地を囲う長い塀の脇に駐車し、お詫びの品をしっかりと確認して車から降り、大きな屋敷にもう我慢が出来ないとはしゃぐ星海の手を握る。


「お淑やかにね、星海は立派なレイディーだからね」


「そう! 星海はもう立派なレイディー!」


 とは言っても輝く瞳を隠し切れずに居るのを見ると、どうしても可愛く思えて笑みがこぼれてしまう。

 咳払いをして切り替えてインターホンを押し、硬すぎずラフ過ぎない服の裾を手だけで最終確認する。


 しばらくしてお待ちくださいと返事が返ってきて、扉が開くには少し長過ぎる時間を待つ。やっと開いた扉からは和服のこうさんが顔を出し「よくいらっしゃいました」と言い切ってから頭を下げる。それに習ってこちらも頭を下げるものの、なんて返したら良いか分からず、つい無言で頭を恐る恐る上げる。


「時間を取って頂きありがとうございます。こちらお詫びの品と心ばかりの物です」


 もう何がどうとか日本の礼儀も分からないため、言うに事欠いて持って来たお詫びの品を突き出す。


「気を遣わせてしまってすみません、ここで立ち話もあれなので上がってください。礼儀とか気にせずに楽にしてくださいね」


 自分の方から礼儀作法を少し崩す人間として何枚も上のもてなしに、脳死で感心の声が漏れ出そうになるが、なんとか抑えて門の下のドアをくぐる。

 大きな庭の数10メートル先に母屋の扉が見え、少し長過ぎる待ち時間の謎が解ける。


「すごー、ずっとテレビで見てたドラマの世界」


 眼前に広がる古き良き日本の邸宅の美しさに、あれだけ星海に釘をさしておいた自分の方がはしゃいでついに声がだだ漏れる。ばっと見上げた星海はそれまでお淑やかにしていたが、すぐに同じように声を漏らす。


 それを見て控えめに口を手で隠して笑う勘解由小路さんに見られているのに気付き、肩をすくめて後に続く。手の中からするりと抜け出して庭に走っていってしまった星海を追いかけようとするが、大丈夫ですよと言われてもうすみませんと謝るしかなかった。


「使用人が常にどこにでも居るので、余程の事が無い限り怪我もしないと思いますよ」


「お言葉に甘えさせて頂きます。それにしても立派な御屋敷ですね」


「グレイの御屋敷に比べたら微々たるものですが、グレイの方にそう言って頂けるなんて、光栄の極みです」


「私がグレイという事を知っていたんですね」


「はい。海外で偶然現当主のグレースさんにお会いする機会があり、纏われている雰囲気と顔が少し似ていらしたので」


「恐れ入ります。自分なんてまだまだだと痛感させられます」


「以前お会いした際に写真を見せて頂いていた、と言うのもあるのかもしれません」


 ようやく玄関の扉まで到着して中に招き入れられると、双子に挟まれて輝祈が立っていた。心底嫌そうな顔をしつつも、バツが悪そうにしながら小さな声で、久しぶりと呟いて控えめに右手を上げる。


「久しぶり。ちゃんと粗相のないようにしてた?」


「まぁ」


「2人も突然だったけど迎え入れてくれて本当にありがと。そしてお母様。突然の事にも関わらず、私の娘を暖かく迎え入れて頂きありがとうございます」


 頭を深く深く下げ、数秒してから顔を上げる。どこを見て良いか分からず、とりあえず左右に視線だけ動かして唇をもごもごさせていると、双子と双子の母が笑う。


「なんか、テレビで見てたのと全然違うね」


「うんうん。なんか完璧な美人の方だと思ってたけど、可愛い」


「もう、2人とも神楽さんに失礼でしょ。でも、私も少し最初とは印象が変わりました」


「えぇ、ゃはは。普通のただの人間ですよ」


「ねぇね、輝祈ちゃんにもう少し家に居てもらいたい」


「私もそう思ってた。良い? 神楽さん」


 迎えに来たのにおかしいなと何度も瞬きを繰り返していたが、なんとなくそれも予想出来てた鈴華は車にキャリーケースを積んでいた。中身は輝祈の宿泊セットが詰められていて、全員分ハダリーが用意していた置き土産のひとつが早速役に立つ。


「お母様さえ良ければ、私からもお願いします」


「あら、私は大歓迎ですよ。輝祈ちゃんは何をしても素晴らしいセンスをお持ちなので、私も本当に楽しいですから」


「本当にありがとうございます。キャリーケース持って来てるから、ちょっと待っててね輝祈」


 玄関から出て再び長い石畳を小走りで駆け抜け、車のトランクからキャリーケースを引っ張り出して肩に担いで戻る。


「曳いて頂いて大丈夫でしたのに」


「いえ、綺麗な石畳ですから。じゃあはい、キャリーケースと制服」


 綺麗に畳んだ制服だけは紙袋に入れて持って来ていたため、キャリーケースを置いてから輝祈に差し出す。遠い方の左手で紙袋を受け取った輝祈の右手が、手の中から離れた紙袋の持ち手の代わりに置かれる。


「ありがと。明後日待ってる」


「──うん。楽しんで、迷惑にならないようにね」


「分かってる、もう行って」


「はーい。もう行きます。それでは、もう少し神楽家のわがままにお付き合い下さい」


 今度は深すぎない程度に頭を下げて笑顔で顔を上げ、笑顔で返してくれる勘解由小路家の3人に見送られる。


「今度は2人だけと言わず、御家族で神楽家に遊びに来てください」


「パパー! おっきな鯉にご飯あげてきたよ!」


 話を聞いていた誰かが星海を呼び戻して来てくれたのか、見計らったように星海が満足そうに飛んで来る。そのまま突っ込んで来る星海を抱きとめて良かったねと返し、楽しかったと返事が来る。


「お言葉に甘えて、また伺わせて頂きますね」


「はい。お待ちしてます」


 帰ろっかと出した手を小さな手が握り返し、門の前で姿が見えなくなるまで立っていた4人を、ミラー越しに最後までちらちらと見ていた。

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