第10話

 1週間と少しの最短入院期間を終えて久々に帰って来たドアの前に立ち、意を決して鍵を開けて家の中に入る。何年も住んだはずなのに、何故だか他人の家に来たようなそわそわと一緒に家に上がり、恐る恐る静かな廊下を進んでリビングに続くドアを押して開ける。

 床にうつ伏せで倒れる従者の女性と、にこにこしながら寝ている星海が隣で寝転がっていた。


「おかえりなさいませ」

「ぅぁい!」


 うつ伏せの従者の女性から発せられた声に飛び上がり、心拍数が上がりきった胸を手で押えながらソファーの陰から出る。

 立ち上がった女性は星海を抱き上げて寝室のベッドに寝かせて帰ってくる。

 置きっぱなしのキャリーケースを開いて洗濯物をまとめて洗濯機に入れて、数回ボタンを押してから帰って来る。


「どうぞお掛け下さい、私が全てやりますので」


「あ、はい。ありがとうございます」


「ハダリーさん今日の……生きてたんだ。今日は人生で2番目に最悪な日」


「あ……ごめん部屋に戻ってるから話してて」


 私を見つけた途端に入学式の時の様な明るい優等生の様な声から低い声に変わり、舌打ちと共にいつもの悪態が漏れ出る。磨きのかかったあまりの辛辣さに、病み上がりで立ち直っていない私は自分の部屋に追いやられる。


 ドアを閉めて部屋の鍵を掛けると、センサが部屋に入って来たのを感知して部屋が明るくなる。壁のスイッチで照明を消して暗くなった部屋を、月明かりだけが弱々しく照らす。

 暗くて静かな世界に迷い込んだ私へ空が手招きをする。窓を開けて色の付いた星空を眺めながら、モノクロになった写真に焼き付けられ閉じ込められた天音は、悲しそうに不釣り合いな大きな涙を流す。


「ベルカ様、ご来客です」


「分かりました、ありがとうございます。この部屋で応対するので大丈夫です」


 部屋の照明を点けて再び色を帯びた天音の写真を机に置き、インターホンの通話のボタンを押す。


「よぉ鈴華! わり、また喧嘩したから……」


「本気で警察呼ぶよ」


「ほんと冷めてーよお前、そんなだから友だち居ないんだろ」


「娘たちが居れば良い、友だちが多いなら違う友だちに泊めてもらえば良い」


「そう言う意味じゃねーよ悪かったって。俺とお前の仲だろ?」


「何を言われても開けないよ」


「なら記者から金もらってそれで漫喫にでも泊まるしかねーなー」


「そうだね、そうしたら良いよ。お前とはもう腹の括り方が違う、誰に何を言われても間違った事はしてない。今まで焦って怯えてた事が間違いだった」


「あーあーそーかよ! 全部でいくらになるかねー」


 最後まで舌打ちをして悪態をつき続けた志騎が去っていったのを確認して、リビングに一旦戻ってこれからの話をしようと振り向くと、いつの間にか従者の女性が立っていた。


「なぁぁぅっ……」


「食事の準備が出来ましたので、どうぞリビングに」


 叫んだ私の口を手で塞いで悲鳴を遮り、突然の大声に驚きもせずに言うだけ言って去っていく。

数秒立ち尽くした後に力が抜け、へたり込みながら天音の写真を手に取って抱きしめる。


「皆なに考えてるんだろうね。私も輝祈も星海も、あの女性も君も」


 ここ最近の怒涛の寿命を縮めてやるラッシュに声が震え、いつにも増して弱気になりネガティブに気持ちが沈む。抱きしめたところで特に何が変わる訳でもない写真を机に置き直し、6秒で心を決めてリビングに行くためにドアを開ける。


「ふぁぁぁぅっ……」


「星海さまが当分の間起きそうにないので、先に入浴をお願い出来ますか」


 ドアの向こうに立っていた女性の手に再び悲鳴を遮られ、綺麗に畳まれた着替え一式を手渡される。


「あの、突然後ろに立ったりドアの向こうに居たりは心臓に悪いので控えて頂けると」


「すみません、驚ろかすつもりはないのですが。それと私に丁寧な言葉遣いは不要です、グレイに仕える従者ですので」


「あの、私がグレイ家を出た後に来た人ですか?」


「……いえ、幼い時から仕えていたハダリーです。私はハダリー・イルソーレです、自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません」


「ハダリー!? 何か、すごく綺麗になって気付かなかったよ」


「一応高校も一緒ですが」


「えっとじゃあイギリスにずっと居たの?」


「ベルカ様が日本の専門学校へ進学と共にです、イギリス海兵隊除隊後もグレース様から同じ所に行けと」


「ごめん、巻き込んで」


「私はグレイに、ベルカ様に拾ってもらった身なので」


 どちらも話を続け辛い空気になって目を合わせずに髪をいじったりして誤魔化していたが、ハダリーにお風呂いただきますとだけ言って脱衣所に逃げる。

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