アルザスの戦い Ⅲ
モルトケル・ルーメル大佐も、そうした戦争装置の一部品であった。
「騎兵がいります。大隊規模の。いや、最悪中隊規模でもかまいませんが。もう、杖兵だけではどうにもなりません」
策はないのかの問うたノクトバーンにルーメルはそう言い放った。つまり、どうにもならない。そういうことだ。
後退はできないかな。むうと唸りつつ、ノクトバーンは思案を試みる。が、彼の叩き上げられた頭脳はそれが駄目だということをすぐに叫びはじめた。
いまこの状態で後退命令を発せばどうなるだろうか。答えは後退できない、だ。
後退とは、部隊統率を維持し組織だって退がること。武器も背嚢も投げ捨て恐怖と生への執着にまみれながら逃げ退くことは壊走、壊乱という。
いま後退命令なぞ出せば、そうなりかねない。一度部隊が壊乱すれば、再び集結させ部隊として運用するのは不可能に近い。だから、壊走はこれを絶対に避けなければならない。ゆえに、彼らは後退できない。逃げることは叶わないのだ。
「命運ここに極まれり、か。畜生め。バケモノ相手の戦争なぞ、研究本部にいたころは考えもしなかったが」
ノクトバーンは吐き捨てた。眼下では三人のヒトの戦士が彼の兵士を貪っている。このまま二刻も放ればアルザスから魔族の一切が消え去るだろう。為す術はない。近づく死を待つしかないのだ。
「敵術師、術式再構築!あれが来ます!」
誰かが悲鳴に近い声で言った。
術師の杖先からは、術式陣が何重もの輪を描き展開されていた。中心の大きな式の周りを、いくつかの小規模な式が周回している。
ああ、成る程。先程の光弾、あれは擬似的な恒星、あるいはそれに近しいものだったのだ。
術式陣が収束し、杖先には光弾がひとつ残った。あれが空に撃ち出され、落下してくるとみんな死ぬ。
「ああ、畜生め──」
柄にもなく、目をつぶってしまう。これが、国軍准将ノクトバーンの敗北なのだ。
魔力と空気が擦れる、あの特徴的な音。着弾。土砂が巻き上げられる音。しかし、兵の呻き、生涯の終結する音は聞こえない。何故だろう。
そう思ったノクトバーンの耳を、副官の声が振るわせた。
「殿下、あれを!」
ノクトバーンは目を開くと、敵の術師は術式を解式していた。防御術式に切り替えている。魔力で編まれた壁には、いくつもの術弾が衝突している。術弾は戦場の東方から飛来していた。東?そちらに部隊は配置していない。では、まさか。
「くはっ、は、はは」
ノクトバーンの口から乾いた笑声が漏れる。が、その声は別の音響が掻き消した。
ドドドドという、砲声にも似た地鳴りの音。ノクトバーンはそれに聞き覚えがあった。いや、国軍士官なら誰しも覚えているべき音だった。歩兵の突撃の喚声、砲兵の発砲の雄叫び、そしてもう一つ、騎兵の躍進する音。
「
指揮官の剛声が轟く。
「
大地を蹴る地竜の鉤爪。突き出される白銀のサーベル。
第二八騎竜兵連隊第三大隊の突撃は、そうして開始された。
東からの奔流は、すぐさま彼女らを分断した。振り下ろされるサーベルは魔力障壁を容赦なく叩く。突撃の勢いがふんだんに込められた斬撃が数十もつづけば、さすがのヒト国の誇る教会式防御壁術も軋みをあげ始めた。
「くそっ!」
敵兵の腹に突き刺した鋭剣を引き抜きながら、ウィリアムは苛立ちの声をもらす。引き抜いた勢いで剣を大きく振り回し、その切っ先で自分と大して歳の変わらないであろう兵士の喉を切り裂いた。
いまセシリアのそばには誰もいない。三人ともが、敵陣に斬り込んでしまっている。術師であるセシリアには防御術式があったし、何より彼女の「大丈夫だから」という言葉を信じてしまっていた。
「エレノアは──」
エレノアなら、彼女は自分たちのなかで一番速い。いや、駄目だ。周りの兵士が邪魔で速くは動けない。
「ジェームズ!道を作る。こいつら吹き飛ばせっ!」
「っ、了解!」
親友らしく、意図を瞬時に読み取ったジェームズはその性格に似合わない体躯で一気に数人を突き飛ばす。その脇からウィリアムが飛び出し、鋭剣を振るう。その繰り返しで彼らは敵陣からの脱出を試みていた。
「焦るなよっ」
彼らに、エレノアのような巧い身体の使い方はできない。
「そっちこそ!」
彼らに、セシリアのような大規模術式を使う技能はない。
二人の持ち合わせなんて、十数年練り上げた体力と、小遣いはたいて買ったそこそこの値段の武器くらい。それで、国境を越え、迫り来る魔族を制し、半月前など飛竜にすら勝てた。
この二人ならば、いや、この四人が揃ったからこそ、一国の軍隊相手にここまでやれているのだ。
「「──抜けたっ!」」
敵陣を文字通り斬り抜け、広がる平野に転がりでる。
「二人とも、急げっ!」
先に抜けていたらしいエレノアの声が聞こえる。セシリアの方に目をやると、丁度敵騎兵の何度目かわからない攻撃が通り抜けたところの様子。つまり、次に騎兵が押し寄せるまでに少しばかりの余裕がある。
「はっ、はあっ、ふっ」
息を切らしながら数十リーグを駆け抜け、なんとか
「セシリアっ、大丈夫?」
「うん、いや、そろそろ不味いかもっ。もう壁がもたないよ!」
「ねぇ、あれは?移動するやつ!」
「
「はあっ、はあっ、ねえ、ウィリアム。あれ、見て」
ジェームズの指差す方には、旋回に差し掛かろうとしている騎兵集団があった。
「さっきより動きにばらつきがでてる。向こうも生き物だから、いい加減疲れてきたんじゃないかな。だって、もう十回もこうして突撃してるし」
「あ、確かに。そうかも」
「そこで提案なんだけど、次の突撃を僕が受け流す。その間に、セシリアは術式組んで。どう、いける?」
「六〇、いや、五〇セコンドあればいける、かもっ」
ウィリアムはセシリアとジェームズの顔を一瞥し、頷いた。
「よし。二人とも、頼んだ」
騎兵集団が突撃体制に移った。接触まで、あと三〇セコンド。
「
障壁を形作っていた魔力がほどけ、それの揺らぎが見えなくなる。
セシリアは休む間もなく、すぐさま術式の組み上げを開始した。
同時に、ジェームズが前に出る。かついでいた大盾をどすりと地面に突き立て、腰より下に注力する。あと十五セコンド。
「うっ」
セシリアの顔色が悪くなる。急激な魔力の消費で、血圧が低下しているのだ。
彼女の呻きは、しかし地鳴りに掻き消される。彼らにの視界に、地竜と騎兵の恐ろしい顔がいっぱいに広がった。野蛮な魔族どもの雄叫びが鼓膜を打つ。怖い。
「来るぞっ!」
先頭の騎兵のサーベルが、ジェームズの大盾を殴った。その衝撃に、彼の体躯は微かに浮き上がろうとした。が、すぐさま両足は地面に根付く。ウィリアムとエレノアの二人が彼の背中を支えたのだ。
「やっ!」
ジェームズの肩から、エレノアが
「セシリアっ!」
「あとちょっと!」
意味のわからない言葉の叫びが周り中から降りかかる。大盾に加わる衝撃の連続は未だ止まない。
「くうぅっ!」
ジェームズの筋肉が、骨が、精神までもが軋みをあげた。
「持ってくれよ、僕の体ァ!」
「──術式起動。神よ、迷える我らを求める地へと導き賜えっ!」
詠唱と同時に、エレノアが術式に魔力を通して起動させる。四人の視界は揺らぎを増し、最後尾の騎兵が振るったサーベルは何も無い空間をむなしく通りすぎた。
恒陽が空のてっぺんを通りすぎた頃。
騎兵士官が丘を登ってくるのを待てなかったのか、ノクトバーンは丘を下り、二人はその中腹あたりで相対した。
騎兵士官が敬礼を送る。
「第二八騎竜兵連隊第三大隊、大隊長のアルフォンス・ヘクトール少佐であります」
ノクトバーンは敬礼を返した。
「近衛第七杖兵旅団長のノクトバーンである」
握手を交わし、ヘクトールは微笑んで言った。
「ご無事でなによりです、殿下」
「貴隊の勇敢なる突撃のお陰だ。いや、実に素晴らしい突撃だった。騎兵とは斯くあるべきと、士官学校で教わった通りだ」
「お誉めに預かり恐悦至極で」
微笑みの応酬により場の空気が和らいだところで、ノクトバーンは仕事の話に移る。
「さて、ヘクトール少佐。質問をいいかね」
「はい、殿下。小官に答え得る範囲であれば」
「私は付近に騎兵部隊は配置されていなかったように記憶しているが、配置転換があったのかね」
「はい。一昨日に配置転換が行われまして。昨日付近の町に配置された我が連隊は、大隊ごとに哨戒任務に就いておりました。そこで戦闘音を聞き取り、馳せ参じた次第であります」
「連隊には報告を?」
「はい。参戦を決心した時点で本部には伝令を出しております。恐らく、夕刻には合流できると思われます」
「なるほど。ところで、軍司令部まで移動しとらんだろうな?報告事項も多々あるし、何より戦況を知りたい」
そこまで話したところで、ヘクトールの顔に疑問が浮かぶ。
「──質問を質問で返す非礼をお許しください。ノクターン城塞脱出以降、司令部や他部隊との接触を行われてはいないのですね」
「ああ、ろくにできなかった。そもそも他の部隊と会えなかったのだ。この地域、部隊配置にここまで穴はないはずだが。司令部へは増援要請の伝令を出したが、まだ帰ってきておらん」
「なるほど──」
突然、ヘクトールは黙考を始める。顔色はみるみる悪くなるが、表情は何か納得している様子だった。
「ああ、合点がいきました。つまりは──殿下はご存知ないのですね」
ヘクトールは、患者に死期を告げる医者のような顔で頷き言った。
「──何をだね、少佐」
ノクトバーンも、無意識に毛を逆立てはじめる。ヘクトールは一瞬にも満たない躊躇いの間をおいて、きっぱりと言い放った。
「第三地方軍が南部国境地域に戦力を集中していることについてです。昨日の明朝より、ヒト国外征軍が侵攻を開始。各地で戦闘が発生しています。その規模は、先鋒だけで四個軍団。──八万人をかるく越える軍勢です」
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