アルザスの戦い Ⅱ
日はすっかり昇り、時刻は午前第九刻。 アルザス村郊外は号令と共に飛び交う光弾と赤液、いくつもの呻きとその生涯の終結で埋め尽くされていた。
最初の生死の応酬が行われたのは今より一刻前。各々の指揮官の思案の末に決定された射撃開始地点、各大隊横列より七五リーグ地点に敵が到達した時点だった。
「構え」の声で、銃杖はその杖先を一斉に敵へ指向された。
どくり、と。アルター・ローランスの、栄えある魔王陛下の国軍上等兵である彼の鼓動は強さを増した。
そこそこの大きさの農家の次男坊であるアルターは、去年の春に軍へ入営した。一年の訓練を経た息子が配属されたのが、かの王弟殿下の旅団と知った彼の両親の喜びようといったら、今思い出しても頬を綻ばせてしまうようなものだった。それが今年の三月のこと。彼にとって、これが初陣となる。
しかし彼が戦場に幻想を懐く新兵特有の症状に侵されているかといえば、そうではない。もちろん、アルターはノクターン城塞での惨状を目にしていた。隣に立っていた奴が、敵の術師の放った光弾が砕いた石材の破片を首筋に受けて地に伏したときは、彼の喉はせりあがってくるものにひどく焼かれたものだ。しかし不運にも生き残ってしまったアルターはそこから三日の行軍にも耐え、今ここに立っている。端からみれば、不幸という他ない境遇。しかし、彼自身はそうは感じていなかった。疲労と恐怖は、彼から一時的にあらゆる情動を奪ってしまっているのだった。しかし身体は正直なもので、高鳴る鼓動は彼の耳にひどく障る。
その鼓動の中に、別の音響が感知された。上官の号令だった。反射といっていい反応速度で、大隊横列の最前列に並ぶ兵たちはその手の銃杖の撃鉄を起こした。
「撃てェッ!」
号令が鼓膜を叩くと同時に指の筋肉を動かす。撃鉄に取り付けられた魔石が当たり金と擦れ反応を起こし、杖身に蓄積された術式を起動させる。魔力が空気と擦れる特徴的な音を撒き散らしながら、数多の術弾が敵に引き寄せられるように迫った。が、着弾の直前、敵の術師が術式を展開した。詠唱は、なぜかアルターの耳にも届いた。
「
瞬間、敵の周囲に防壁が展開された。見えるわけではない。空気のゆらぎがその存在を教えている。
術弾は防壁に着弾し、妙な音と共に反射してあちこちに散らばり飛ぶ。そのうちのいくらかはこちらに飛来した。
「ギャっ!」
アルターの右隣で声がした。一瞥すると、そこにいた兵はいない。不思議におもったアルターはそのまま視線を下にずらした。答えはすぐにわかった。
「第二弾、術式込めェ!」
またも号令がした。アルターは視線を戻し、自分の銃杖に再装填をする。途中で、右脚を隣でのたうつ土精族が喉に空いた穴から息を漏らしながら掴んできたが、アルターはまったく無意識に、かつ無慈悲さを覚えるほどの素っ気なさでそれを蹴って払った。
「構え──撃てっ!」
二度目の射撃。結果は変わらない。あちこちで呻きの合唱が起こり、散らばる蛋白質が増えただけだ。しかし彼らは射撃をやめない。何故なら、それ以外に彼らのとれる手段は無いからだ。
白刃術式による近接戦闘は、これを固く禁じられている。勝ち目がないから。だから、士官は装填と射撃を命令するしかない。
射撃。術弾は跳ね返される。跳ね返された術弾は戦列に穴を開ける。しかし戦列の射撃火力が薄まることはなかった。後ろに並んだ兵がすぐさま穴を埋め、最前列は常に最大火力を発揮できるようになっているからだ。それは兵で構成し号令で統制される、まさに戦争機械だ。
悲しいかな、魔王国の誇る精緻な戦争装置は、あのようなものを相手に想定していない。期待されている全力を発揮できない。だからこその惨状、この地獄。
「どうにかならんのか」
誰かが言った。その場の士官全員の本心だった。
何度目の射撃だったろう。再装填の僅かな隙を突いて、防壁から影が飛び出した。アルターの方へまっすぐ向かってくる。恐怖に堪えられなかったのだろう。少尉だか中尉だか、とにかく幼さを残した声が「後退だ」とわめく。
兵たちは逃げ出した。後退ですらない、壊乱だ。この中隊はたったいま、その戦力を喪失した。大隊本部はそう判断するだろう。アルターはというと──その場から動かずに銃杖へ術式を込めていた。
彼は周りが見えていなかった。音は聞こえていたのだろうが、それについて思考はしなかった。ただ、号令のとおりに術式装填を行っていたのだ。
「よし」
アルターは当たり金を閉じ、射撃準備を完了した。あとは撃ての号令を待つのみである。ああ、よかった。これでまた撃てる。
アルターは顔を上げた。何かが、きらめくものを振りかざしていた。
あれ、とアルターはふしぎにおもった。影が揺らしていた髪の色に見覚えがあったのだ。
なんだろう。どこかでみたな。瞬間、アルターの脳裏にひらめくものがあった。そうだ。あれはまるで、はじめて貰った駄賃の、あの銅貨の色みたいじゃないか。懐かしいなあ。そう納得し、アルター・ローランスは生涯最後の思考を行っていた器官をべちゃべちゃと撒き散らしながら、二〇年に満たない魔族の道のりを終了した。
「伝令ーッ!六五連隊第一大隊第二中隊、壊乱!」
報告を受け取った幕僚長、ルーメルは思わず伝令を睨み返す。
「なんだ、撤退したいとでも言うのか──いや、すまない。伝令ご苦労だ」
「伝令」
やり取りを横目に見ていたノクトバーンがのっそりと発言する。
「は、はっ!」
「各連隊長に伝達。『委細構わず、攻撃継続を断行すべし』。宜しく伝えろ」
「──り、了解しました、旅団長閣下!」
伝令──おそらく二〇歳にも満たない若者は地獄と化した戦場をちらりと見ると敬礼し駆け出した。伝えろって、あそこに行けってのか。いや行くけどさ。そう言いたそうな顔をしている。目の前の状況と自身の任務でいっぱいなようだ。
「まさしく権力の行使、ですな」
副官が言った。目には
「横暴ともいう。どうだ、見損なったか?」
「まさか。司令官とは
「智謀と策謀が通り相場で、そこに横暴、乱暴、狂暴の三つが揃ってはじめて参謀と名乗れる。指揮官はそのろくでなしどもの頭領たるべき、か」
「うまいことを言いますね。誰の言葉ですか?」
「バールクホルン少将だよ。ああ、
ノクトバーンはちらりと視線を向けた戦場に何か異変を感じ、固まった。不審に思った副官も振り向く。
ノクトバーンが固まったのは、敵術師が空に向け光弾を放ったからだった。恒星のように光るそれがかなりの高度まで上昇し、その後重力に任せて落下を始めたとき、彼の脳裏に不安がよぎる。光弾が落下するであろう地点には三四連隊が布陣していた。衝動に駆られ、ノクトバーンは怒鳴った。
「全員伏せェ!」
目を閉じてもわかるほどの閃光。一瞬遅れて、全身に叩きつけられる衝撃。音が聞こえにくい。大きすぎる空気の振動が鼓膜を叩いたのだ。彼らの周りにはいろいろなもの──土砂や生き物の残骸──が不快な音をたてて落下していく。
「なんだ、何が起こった!」
ノクトバーンは怒鳴る。土煙がひどく、状況を掴めない。聞こえてくるのは怒声、悲鳴、断末魔。よくないことが起こった。誰でもそう直感できる光景だ。
「誰でもいい、確認に走らせろ!」
「連隊本部は無事か!?」
「──何なのだ、これは」
旅団本部の士官たちもまた混乱し、走り回る。予想外だ。こんな爆発、誰も想定していなかった。ああ、また『想定していなかった』か。何もかも、だ。畜生め。
「土煙、晴れます!戦場視界回復!!」
その声に、全員が平原を見下ろす。陽光が若草色と赤黒色を照らし上げた。
「畜生め」
ルーメル幕僚長が呟く。顔はひきつり、笑っているようにも見えた。副官は絶望を隠せておらず、ノクトバーンは猫人らしい低い唸り声を響かせた。
平野には、旅団本部から見下ろして右に第三四連隊、左に第六五連隊が布陣していた。六五連隊の方には何やら敵の戦士が突貫して一個中隊が食い破られていたが、三四連隊は敵本隊への統制射撃を(効果はともかくとして)継続していた。
そこであの爆発だ。被害は甚大。第三四連隊の将兵は、そのほとんどがこの世から消滅していた。
「ほ、本部──。伝令、を」
一人の士官が丘を登ってきた。死にかけている。左腕が今にもちぎれ落ちそうだ。
「敵の、大規、模術式により、連隊本部、は、全滅」
「ゼナウス大佐は」
「戦、死なさ、いました。指揮権は、最、先任のクラリオ大尉、が」
ノクトバーンは頷いた。士官を地面に寝かせ、そばに跪く。階級章を一瞥。少尉だった。恐らくこの春任官したばかりの。
「うむ、伝令ご苦労だった、少尉。貴官の献身、この王弟ノクトバーンが覚えおこう。ん、どうした?疲れておるようだな。そこで休むといい」
「は、い殿下。目を覚ま、したら、かなら、ず、お役、に──」
ノクトバーンは士官の目を閉じてやった。彼は自分の将兵全員に同じことをしてやれない。
「おい、幕僚長」
ノクトバーンは戦場を見下ろしていた部下にむけ言った。眉間の皺はきつい。
「何か、無いのか。この地獄を抜け出す、そんな策は──」
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