ナルビク大尉の苦難

 ナルビク大尉率いる難民団は北へ歩いている。

 難民団は今朝、その陣容にアルザス村の住民を加え規模を増していた。恒陽は南から東に傾いている。前の休憩から一刻が経過しようとしていた。

「大尉どの」

 のろのろと、しかし本人たちはできるだけ速く進んでいるつもりの団列の後ろから、下士官が一人走ってきた。

「なんだ」

「また一人倒れました。ノクターンからの奴です」

 またか、とナルビクは思った。ノクターン城塞に避難してきていた人々は、商用街道沿いということもあり多くが隊商向けの接客業を営んでいた。体力が無いわけではないが、長距離の移動に慣れないものばかり。既に十数人が歩けなくなっている。

「荷車に乗せろ。水と、あとイモパンを食わせておけ。少しだぞ。食糧にも余裕はないんだ」

「はあ、その、大尉どの」

「なんだ」

「荷車はどれも、もういっぱいになっとります」

「アルザスから持ってきたのもか?」

「ええ、そのアルザス村の荷車はアルザス村のもので一杯でして。落伍したもんを乗せるには足りんのです」

「はあ、なんたることだ。わかった、休憩ごとの交代で兵におぶらせろ。その兵の銃杖と背嚢は誰かに持ってもらえ」

「わかりました」

 敬礼し、下士官はすぐに走り帰った。

 ナルビクは眉間を揉んだ。とにかくモノが足りない。食べ物しかり、荷車しかり、だ。それに、目的地がわからないのもきつかった。

 この手の難民受け入れは、それなりの大きさの街でなければならない。難民たちの食糧、住居、安全を確保しなければならないからだ。ありがたいことに魔王国民法は「二等市街以上の街は難民の受け入れを検討すべし」と定めているから、とりあえずの目的地はその二等以上の規模をもつ市街ということになる。まあ、街がしなければならないのはあくまで難民受け入れの『検討』であるから、残念ながら検討の結果、受け入れ拒否ということも十分にありうるのだが。

「なあ中尉」

「はい」

 呼び掛けに、中隊付幕僚(という名の雑用係)のマルスが答えた。

「食糧はあと何日持つのだったか」

「ええと、難民が五〇〇。さらに護衛の僕らの中隊で二〇〇はおりますから、三日。皆に我慢するだけの良心の持ち合わせを期待できるなら、五日です」

「──いけるのかな、これ」

 マルスの言葉を聞きながら、腰の物入れから地図を取り出したナルビクは呟く。地図には、道行きにある二等以上の規模の市街に丸印がつけられていた。

「明日に一つ、三日後に一つ、四日後にギリギリで着けるところに一つ。今のペースで進めるならの話だが」

「明日着くとこが受け入れてくれるなら、話はそれで済みます」

「覚えておけ、中尉。この世でうまくいくことなんて、二つくらいしかないんだ。一つは死なずに産まれたこと。もう一つは今まで死なずに育ったことだ。明日もうまくいくかはわからんがな」

 あ、説教くさかったかな。そう思いナルビクはマルスの顔をちらりと見る。なるほど。よくわかっていないようだ。

「ま、年取りゃわかるさ──おい、あれ」

 ナルビクが何かに気づいた。目線は前方の草むらに向いている。何か落ちていた。

「とってきます」

 勘づいたマルスが拾ってくる。銃杖だった。

「あー。こりゃうちのですよ」

 各部の紋章を確認したマルスが言った。彼の示す指先には、三四の数字がスタンプで捺されている。つまり、第三四連隊の備品ということ。

「前の奴が、重いのが嫌で棄てたな。先任下士官!」

 声を少し張り上げる。すぐに中肉中背の、軍隊の苦労を知り尽くした顔をしている軍曹が寄ってきた。

「はい、大尉殿」

「恐らく前を歩く兵が棄てたものだ。探しだして、返してやれ」

「了解です。伝言はおありで」

「無い。任せる」

「はい」

 すぐに軍曹は駆けていった。こういうときは下士官にすべて任せる。彼らが十分に叱り飛ばしてくれるからだ。それが彼らの商売だし、それに立ち入るのは士官だろうと、いや士官だからこそやってはいけない。その兵は、「銃杖捨ててどうして彼らの護衛ができると思ったのだ」とか「次やったら中隊長じきじきの拳骨頂くことになるぞ」とか怒鳴られて縮こまっているだろう。もしかしたら二、三発張り手を食らってるかもしれんが、仕方ない。

 この時代の兵士は、みんながみんなよろしい育ちというわけではない。そんな男どもを兵士として使うには、(軍隊の本分に比べたらひどくささやかではあるが)適度な暴力に頼るしかないのだ。もちろんやりすぎはよくないが。

「大尉どの、そろそろ」

「うん」

 マルスの言葉に、ナルビクは懐中時計と恒陽の位置を確認した。そろそろいいだろう。いや、必要だろう。

 ナルビクは先任下士官を呼んだときよりも声を張り上げて命じた。

大休止やすめー──!」


「検討の結果、受け入れは拒否させていただきます」

 書類を何枚か同時に作成しながら、鉄縁眼鏡をかけた小柄な役人はナルビクにそう突きつけた。その声には、この冬に死んだ嬰児の数を数えるような、そういう淡々としたものがある。

「ああ、いやですね、何も五〇〇人全員を受け入れてくれと言ってるわけではないんですよ。せめて数十、いや一人でもいい。とにかく彼らに一時的な衣食住の提供をお願いしたい」

「そうは言われましてもね、大尉さん。失礼ですが、ご実家は何を?」

「──ロンターフで鉄工業を営んどりますが、なにか」

「そうですか。ところでこの街は農家が多いんですよ」

 役人がそこまで言ったところで、ナルビクはああ、と溜め息をもらす。役人というのはつくづく回りくどった物言いを好む連中、ナルビクはそう思っていた。目の前の彼も、その例外ではなかったと判明したのだ。

 この街には農家が多い。農家は畑があるから、何としても、土地を動けない。彼らにとっては、農地こそ資産であり、生命線だから。

 動けないということは避難ができない。避難できないので、自衛的になって、まあいろいろと面倒は街に持ち込ませるなという空気になる。つまり、余所者お断り。だって自分たちが暮らすのですら怪しくなるのに面倒ごと持ち込まれるとかいやだもん。食糧は作れるけど限りがあるしね。うん。そういうことだ。

「なるほど──検討の末、そういうご決断をなさったと」

「はい。検討の末、我が街はそういう決断を下しました」

 二人は睨み合う。どれくらいそうしていたのかはわからないが、本人たちには何刻にも感じた。

「──これは雑談ですが」

 役人が言った。

「街の特産品はチグラフ麦。そして、それを利用した硬パンなんですよ。ほら、商用街道通ってるでしょう。まあ、そこの商人向けというわけですな」

「ほうほう」

「ところで、僕の馴染みの店があるんですがね、そこは昔国軍さん、近くの連隊にパンを納めていたそうで」

「へえ、初めて知りました」

「ご主人も昔兵隊でしたから。まあ、その、ね?──せっかくです。覗いてみては?」

 役人は口の端を微かに上げた。へえ、とナルビクは思う。融通の効かなさは彼らの職業病なのだと思っていたが、田舎じゃ勝手が違うのだろうか。

「お気遣い、ありがたく」

「いえ。大したお力になれず、不甲斐ない。その"魔族を殺してまわってる奴ら"ってのが、ここにも来るかわかりませんから。正直、皆おびえてます。ノクターンの城だって。あそこ、行ったことがあるのです。良い城だったのに」

 いよいよナルビクは彼に対して高まりつつあった好感を隠そうともしない。普段の彼なら仕事中に抱かないであろう、純粋な感情が彼の口の筋肉を動かした。

「すべては我ら国軍の力不足にあるのです。国民の皆様には申し訳ない。その上でこう言うのは何ですが──国軍は必ずや魔王陛下とその赤子せきしである臣民をお守り致します。それに、あなた方のような役人さんの努力により、各地は決定的な混乱に陥らずにいる。ありがたいことです」

 ナルビクは左拳を側頭部に当てる軍の敬礼を役人に送った。

「ええ。まあ、大尉さんと田舎街の木端役人じゃ重みは違いますが、同じ国に仕える仕事ですしね」

 役人はそう言って、左手で軽く挙手をする文官の敬礼を返した。

 そういう顛末の結果。難民受け入れは叶わなかったが、彼らはパン(それも店主のご厚意で街中から集め、その数なんと難民団全員分。なんでも、奴らが攻めてきたあれこれで隊商の数が減り、商売にならなかったらしい)を手に入れたのだ。明後日には尽きる予定の固パンは、もう二日は持つだろう。


 彼らは歩いた。固くてモサモサのパンを囓り、あまり綺麗とはいえない水を啜りながら。次の街では、もしかしたら何人か受け入れてくれるかもしれないと考えながら。

「大尉どの」

「なんじゃ」

「そのですね、後ろの奴らが揉めとります。先任下士官どのが対応しとりますが、あのままじゃケガ人が出かねませんで」

 ──ナルビクの胃は悲鳴を上げ始めて久しい。

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