王弟殿下の後衛戦闘
四月一八日の朝
じっとりとした温かさの中、ノクトバーンは目を覚ました。天幕を透過して伝わる明るさをみるに、午前第六刻といったところか。
若草茂る地面に何枚かの毛皮と毛布が重ねられたそこが、昨夜の彼の寝所だった。
本来ならば、王族たる彼に相応しい移動式の寝台や簡易とはいえ豪華な調度品が、旅団本部と共についてくる。
しかしノクトバーンはそういったものを「邪魔だ」の一言で、すべてノクターン城塞に置いてきていた。
本日は四月一八日。旅団は、アルザス村付近で宿営している。
ノクターン城塞の陥落から、三日目であった。
「おはようございます、閣下」
天幕に副官が入ってきた。彼は、ノクトバーンが戦場にいる間の身の回りの世話、侍従の役割を兼任している。
「部隊の様子は」
ひげの寝癖を直しつつ、ノクトバーンは尋ねた。
「意気軒昂、とはいえませんが。まあ戦闘は可能でしょう。我々、伊達に近衛はやってません」
「うん。増援については」
「旅団本部の大尉を一人、地方軍司令部参謀部宛てに走らせてますが、帰ってくるのは二日ほど後かと」
「兵の糧食は」
「不幸にも、最寄りの兵站集積所は三〇レーグも東です。旅団
軍服に着替えつつ、事項の確認を行っていく。河があれば違っただろうな。彼はそう考えている。河を舟で伝って、物資を好きに運べるからだ。その方が、陸路で運ぶより格段に楽だ。しかしここには河はない。本来ならばそれにそって部隊を機動させるべきだった。それが不可能になったのには、いくつかの理由がある。
まず第一に、魔王国南部の河が少ないということ。最も大きなシェルフス河はここからかなり離れている。
第二に、そのシェルフス河はそれにそって主要街道が通っていることだ。国を通して布告し行う『ちゃんとした』戦争なら街道を戦場にして鉄と有機物を撒き散らしたところで問題ないが、不思議かつ忌々しいことに奴らの侵攻についてヒト国は何も発言していない。よって街道は封鎖されているので、民間の商人やらなにやらが掃いて捨てるほどうろついている。それはこの国の者だけではない。つまり、そこで生命の応酬を行えば面倒に、かなり面倒になってしまう。ノクトバーンはそれを嫌って、ノクターン城塞より続くこの細い街道を北上しているのだった。
しかし、ノクトバーンの本当の気掛かりは、部隊の様子でも、要請した増援でも、兵の糧食でもない。いや、それもあるが、やはり一番の気掛かりは、このアルザス村は、ノクターン城塞より三〇レーグしか離れていないこと。彼らは、三日を要してさえ目的地のドパウル川までの距離、その半分も消化できていなかった。
原因はなにか。明白である。先行する難民団だ。
長距離の移動に微塵も縁のない彼らの行進速度が、あまりにも遅いのだ。それにノクターン城塞からは逃げるように出発したから、最初の一日は彼ら難民にとりあえずの列を作らせ、それなりの統率をとるだけで半日かかってしまった。
彼らの保護をどこかの街市に了解させることができたならば、問題は解決する。しかし、数百の衆民、その全ての保護ともなれば、その辺の村々では不可能。それなりの規模の街市でなくてはならない。そして、現在彼らが北上中の商用街道には、直近三、四〇レーグ以内に彼らを受け入れてくれるであろう様々な条件を満たした街市は存在していないのだった。
彼らのことを考えずに先行し(つまり彼らを置いてけぼりにして奴らの脅威に直接曝すならば)、とっとと北上してドパウルで陣地を築城するという手もあるが、畏こくも王弟たるノクトバーンに、そのような贅沢は許されていない。
つまりは、手詰まりに近い戦況だ。このままでは奴らに追い付かれかねない。もし、そうなった場合、ここアルザス村で迎え撃つことになるか。
「副官殿、どこにおられますか!」
外から誰かの声が聴こえた。幕僚部の士官らしかった。
「閣下、失礼。ここだ!どうした」
「あっ、失礼します!ゼナウス大佐が策敵術式による簡易偵察を行いまして、その、奴らです。奴らが迫ってきております」
ほら、やっぱり来た。
「距離は」
細葉巻を一本取り出し、ナイフで切ったその端をランプの火で炙っていたノクトバーンは不愉快さを隠さず尋ねた。
「旅団よりほぼ真南に七レーグほど」
「ふむ」
ノクトバーンは天幕から出て、辺りを見回す。
すぐに命令を副官に飛ばす。視線は南の少し開けた場所と、そこを見下ろせる丘に向いている。
「副官、幕僚部及び各連隊本部に命令下達」
「はい」
「アルザス村南郊外を中心として布陣。来襲に備えよ。旅団本部はあの丘に置く」
「了解、下達します」
「どのくらいで完了できる」
「半刻もあれば」
「結構だ。では行動開始は一刻後に。兵には今のうちに朝食をとらせろ」
「御意に」
さて、とノクトバーンは深呼吸した。
できればドパウル橋付近で野戦築城の上迎え撃ちたかったが、仕方あるまい。となると、今戦の目標は──
「敵の撃滅ではなく、一時的にしろ撃退する、か」
撃滅と撃退の、二つの言葉。その意味するところと難易度の違いを、彼はかつて士官学校でクラウスから教わっていた。
それを反芻し、紫煙を吐く。
彼らは、ようやく戦争らしい戦争に直面しようとしている。
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