責任のとり方
分遣司令官クラウス・フォン・バールクホルン国軍少将は茫然自失、心此処に非ずといった様子になりかけていた。
「我が方の損害は──」
そう言いかけたところでふと気付き、発言を中止する。戦闘音は近く、きっとすぐそこまで敵が来ているのだろう。
「先任参謀」
遺言を遺す老人のような力の無い声でクラウスはいった。
「隣の部屋で不安と恐怖、それに義務と向き合っている部下諸君に命令。もちろんきみも含む」
先任参謀は無言で白紙文書とペンを用意し、命令筆記に備えた。
「ただいまを以て、諸君らのすべての任務を解く。あとは好きにして良し」
「閣下、それは──」
──自裁なされるおつもりですか。そう語りかける先任参謀を、しかしクラウスは首を振って制止する。
「わたしはここにくるまでは戦史の研究をしていてね。同じような状況に追い込まれた将は、みな部下に暇を与えていたらしい。それに、どうにも──」
クラウスは寂しそうに微笑んだ。
「──わたしはここに来るべきではなかったようだ。わたし以外の、他の誰かならば。あるいはこんなことには、かの王弟を転進に追い込むなどという愚行は為さなかったやもしれない」
老将の前に立つ彼は、同意するかのように頷いた。
「確かに、そうかもしれませんな。しかし。しかしです、閣下」
かつかつと歩き、先任参謀はクラウスの肩をがっしりと掴む。
「わすれないでください。将としてはともかく、学者としてのあなたは素晴らしかった。ええ、本当に。あなたは中央で論文を書く将生を送ればよかったんだ。そうすれば」
「────」
「私はあなたの論文を読んだことがあります。それもつい最近。
確か題名は『後衛戦闘について──先例研究と現在採られるべき戦術──』。そうだ、王弟殿下はあれをお読みになったのでしょうか。あのお方がこれから置かれる状況には、きっと役立つはずです」
「そうか」
クラウスは吹き出した。この十年で一番の声量を以て笑う。
「くっははははははは!そうか、そうか!あれを読んだか!」
「ええ、あれです!あれは本当に面白かったですよ」
「そうか、そうか。あれはな、締切がいやで酒を煽って寝て、次の日泣きながら仕上げたやつだ」
「なるほど、そうだったのですか。道理で、論文の仕上げに綻びがあったわけだ」
「なに?本当か。直したくなってきたな」
廊下から耳をふさぎたくなるような音が聴こえた。時間は無いようだった。
少しばかりの沈黙の後、クラウスは唐突に敬礼の姿勢をとる。
「──ご苦労でした、大佐。どうもありがとう」
先任参謀はそれに答えた。
「──閣下に、魔王国の誇る学将に良き対岸のあらんことを」
そう言って、彼は隣室に引き上げた。部屋にはクラウス一人となった。
彼の相手は先任参謀から静寂へと変わった。
ほどなくして、壁の向こうから術式の気配がした。誰が、何に、何のためにそれを使ったのか、クラウスにはよくわかっていた。
「将の任務とは、責任をとることである」
クラウスは呟いた。ノクトバーンをはじめ、士官学校の生徒たちに教え込んだことの一つだった。
「まず行動の方針を示し、それを達成するための勘案を幕僚が提示し、将はそれらを元に考え、決心し、命令を下す。あとは、命令によって生じたすべての事象について、清濁併せてその責任を負う。これこそが、将の責務なり」
教え子に何度も説いたこと。自身がそれを実行できていた自信などはまったく存在しない。しかし、あの子ならば。よい将に育ったあの灰毛並の猫人ならば、しっかりとそれを実行するだろう。
「色々な人に、すまないことをした」
引き出しから短杖を取り出した。然るべき術式は、すでに込めてある。
この半日。どうすれば良いのか悩んだ半日だった。判断が正しかったなどと、胸を張って言えるはずもない。ただ、今すべきこと。それだけはやけに鮮明に理解できる。
扉が破られた。
味方でない者が突き入ってくる。
目に残るのは綺麗な、しかし鈍さを残して輝く銅髪。
穏やかに目を閉じる。
クラウスは手に持った短杖で、責任を果たした。
多くの命が
空は快晴。
気持ちのよい青色のなか、三騎の騎竜兵が王都の巣へと泳いでいた。
「ん、なんだろう」
じきに王都に着くだろうという時。ヤーゼフは目下の街道を疾走する地竜騎兵に目をつけた。目測だが、かなりとばしているようだ。
「急ぎの伝令かな。ご苦労様だ」
そんなふうに、ヤーゼフは気に留めず流した。
あの地竜騎兵は、昨日ノクターン城塞の先任参謀が出したものだった。
ノクターン城塞陥落の
つまり、昨日ヤーゼフが去ってから後の出来事の報告を軍監部に届けるべく、地竜を乗り継ぎ飛竜と同等の速度を発揮してノクターンから王都まで駆けてきたのだ。
しかしここで「その距離を一日で駆けられるのならば、飛竜による伝令はお役御免にはならないのか」という疑問がでてくることと思う。
答えは「お役御免にはならない」だ。
この速度は地竜を途中で替えて、昼夜すべての時間を移動に費やしてはじめて発揮できるものだ。普段からこれを期待するのは、地竜騎兵の連中から猛抗議を受けることを覚悟せねばならない。
その点、飛竜ならば、休憩を挟む普通の行軍を以てこの速度、この効率を発揮できる。だからこそ、途中で睡眠をとっているヤーゼフたちと不眠不休で走り続けたあの地竜騎兵が、ほぼ同時に王都に着いたのだ。
とは言え、行きも帰りも丸一日がかりでの飛行。ヤーゼフも、勿論付き添いをさせた兵二人も疲れている。
今は何より、横になって腰をひねりたい。
そういう欲求が、彼らの思考の半分と少しを占めていた。
「帰ったら、そうだな。まずバールクホルン閣下から預かった書類を軍監部に届けて、それからヘルゼルに差し入れで、菓子でももっていこう。きっと頑張ってるだろうから」
そういえば、気がかりが一つヤーゼフにはあった。
あの時感じたぞわりとした感触。結局、あれはなんだったのだろう。
疑問は、気にされてないようで、しかし確実にヤーゼフの思考の片隅を占位していた。
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