ヒトに対するはただの兵隊
緊張による重圧を振りほどいた──あるいは殺気をおおいに含んだ静寂から気を違った数人の兵がヒトの槍兵に向かい突進した。
突き出された魔法の刃は、しかしむなしく空を切る。
その兵の懐に獣はするりと潜り込み、短めに拵えられた刀を軍服の向こう、脂肪と
見事な手際だった。
生き物の殺し方をよく心得ている。
しかしその間ホルフスはぼうっと見ていたわけではない。
一人、二人とそうして食われた頃には、彼のサーベルが
昨日研いだばかりの刃がヒトの首に差し掛かるすんでのところ、しかしその流れは断ち切られた。
ヒトの振るう得物はサーベルを受け止め、流し、さらには仕返しとばかりにホルフスに迫ってくる。
いくらかの打ち合いの後。聞こえるのは金属の衝突する音と両者の息づかい。
いや、カチリと音がした。
それから一呼吸も置かない内に、ヒトの体を数発の術式が掠める。
何人かの兵が銃杖に再装填を行い、独断的に射撃を行ったのである。
「突撃!少尉殿をお守りしろ!」
そう叫んだのは、ホルフスを試したあの古参兵だった。
はて、とホルフスは思った。
彼と兵が出会ってから大した年月を重ねた覚えはなく、従って自身が認められたということにホルフスは気づいていなかった。
しかし──
「ああ、ああ、素晴らしい。素晴らしいよ、まったく」
ホルフスはサーベルで襲いかかる攻撃を受け流しつつ、そう
彼は幸悦に満ちていた。
信頼できる兵隊がいることが、士官にとってどれほど心強いことか。
それこそ、古来より近衛が精強とされるのは、ひとえに兵隊が上を信頼し、命令を忠実に遂行するから。
兵隊が命令にきちんと従うという能力はある種の特殊技能で、それを備えた兵隊をもつことは、士官にとっての幸運だ。
しかし兵たちが突撃したのは、ホルフスへの信頼だけが理由ではなかった。
彼らは追い詰められた末、半狂乱となって突っ込んだのだった。
明確な意思を保っていて、自身にとっての合理性にもとづいて突撃という行動を選択したのは、あの古参兵一人くらいだろう。
無理もない。彼らの置かれた状況を思い返してみよう。
端的にいえば、『昼食を採ろうとしていたら敵襲の報がきて、慌てて飛び出して気づいたら知り合いがかなり死んでしかも現在進行形で自分の目の前に襲撃者がいる。しかもなんかめっちゃつよい』。そういう状況に兵たちは置かれていた。
恐怖と混乱で頭が回っていないときに、そこへ古参兵の突撃号令だ。もうわけもわからなかったろう。彼らに走り突っ込む以外の行動をとるだけの理性は最早残されていなかったのだ。
ともあれ、兵たちは白刃伸びる銃杖を掲げて突撃した。しかし理性を喪った進むことしかできぬ兵だ。彼らの終わりはあっけなく、振るわれた白刃の下、これ以上なく平等かつ速やかに有機物へと変換される。先頭で突っ込んだ古参兵、理性をついぞ喪わないまま突撃した彼も、その例外ではなかった。
薄暗い廊下は、ホルフスと獣の二人きりとなった。
不意に、ヒトが喋った。
「(なんじゃ、盗賊ばかりか思いよったら、兵隊だらけじゃね)」
「なんだと?」
今度は、ホルフスの目をはっきり見据え、ヒトは問いかけてくる。
「どーやーねうふえるぐす(フェルグスという者を知らないか)?」
訛りがひどい。ヒト語と称される言語の中でも、田舎の方の方言のようだった。
睨み付けられるヒトの眼光に負けず、ホルフスが言い返す。
「何言ってるかわからん。せめてヒト国公用語喋れ。そうすればなんとか聞き取ってあげるぞ」
ヒトは諦念を滲ませて首を振った。ホルフスの部下たちの命と同じように、会話のチャンスはあっけなく失われたようだった。
二人が睨み合った静寂は、そう長くは持たなかった。
両者は相手の息の根を止めるべく疾走を開始する。
白銀の交差。
幸運にもホルフスは、すれ違いざまに相手の服の端をひっ掴んだ。ヒトの体は容赦なく石造りの床に叩きつけられる。
「ぐあっ」
すぐそこの壁に提げられた灯籠の光は、ヒトの身体をより鮮明に照らし出した。
そこで
しかしそれを考慮する間も無く、彼はサーベルをヒトの頭に振り下ろし──
「エレノアっ!」
階段の上から、そう叫ぶ声が空間に響いた。
見上げれば、白い外套を羽織った少女。術式を撃てるのだろうか、いかにもそれらしい杖を握っている。
それが、魔術を普遍化させ軍事利用を図った魔王国と反対に、魔術を教会勢力の占有とし、術者の少数精鋭化を図ったヒト国特有の役職──魔法師というヤツなのだとホルフスが気付く頃には、足元に転がっていたはずの獣はわずか数歩で階段を駆け上がる。
「逃がすかっ!」
ホルフスは射撃術式を、銃杖を使わずに指先から無理やり撃ち出した。
術式の高圧魔力が通った彼の腕は、瞬時に血管と神経が焼き尽くされる。
腕の機能が喪われるのと引き換えに発射された光弾は、しかし獣の頬を掠めるに終わり、結果として仲間との合流を許してしまった。
しまった。しくじった。やってしまった。
後悔を表す単語が、大量にホルフスの脳裏を押し流れる。
見れば、術師の少女が突き出す杖の先から、まばゆいものが熱を帯びて渦を巻いていた。
地下に、こんな場所に火焔を流し込まれたら、どうなるだろうか。
きっと、急激な燃焼による酸素の欠乏は、焼け死ぬより多くの者を窒息死させるだろう。
ホルフス少尉が一瞬の痛みにも似た熱さを纏い思考を断絶させるまで、少しばかりの猶予も残されてはいなかった。
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