王弟、そしてなにより将軍。

 王弟の発言による衝撃から立ち直って真っ先に反応したのは、彼の部下である近衛第七杖兵旅団の幕僚であった。

「殿下、何をおっしゃいますか!あろうことか、後退などと」

「気に入らないか。では転進とでも言おうかな」

「殿下!」

 准将と呼ばれないことを多少不満に覚えつつ、ノクトバーンは指揮官として説明の義務を果たす。

「筆頭幕僚、我が旅団の任務は何だ」

「──ノクターン城塞に置かれた分遣司令部の防衛、及び第三地方軍戦略予備としての待機です」

「そのとおりだ」

 ノクトバーンは耳をぴくりと動かした。

「そして我々の城塞防衛計画は、攻城対抗戦闘、城塞防衛戦闘を基幹に組まれている。しかし、現況はこれだ」

 そう言ってノクトバーンは階下を指差す。

 戦闘の音──兵のいななきと術式の乾音は、未だ鳴り止まない。

「もはやノクターン城塞は半陥落したと認め、衆民の避難、及び以北地域での陣地築城こそ旅団の採るべき行動であると私は判断する」

「お言葉ですが」

 幕僚の一人が言った。

「あなた様ともあろう方が、ここをもう駄目だなどとおっしゃるとは。それに、王弟殿下御自おんみずから率いる部隊が撤退したとなっては、兵の士気が持ちません」

「勿論承知している。しかし今の城塞で、旅団は戦力を十分に発揮し得ない。我らの立つべき土俵はだだ広い平野なのだ」

「しかし、殿下」

 幕僚の言い分も理解できた。旅団の兵は、王弟に率いられていることを矜持としている。それが後退ともなれば、士気の著しい低下は目に見えていた。

「そうするしかないのだろうな」

 黙っていた老人がいった。

 みなの視線が彼に向く。

 クラウスは不安を拭えないが、しかし納得するしかないといった顔で頷いていた。

「奴らを叩くには、ここは場所が悪すぎる。まったく、城内に入られなければ、こんなことにはならなかったのだがな」

「では、閣下」

 彼の先任参謀が震えを押し隠して言った。

「うん」

 クラウスもやはり震えながら答えた。

「衆民の避退支援と同時に、旅団はここから北の適当な場所に布陣。そこで奴らを迎えうつ。本来、ノクターン城塞が請け負わねばならない役割を、部隊が代わり行うのだ。できるかね、ノクトバーン旅団長」

 ノクトバーンは数瞬目をつぶり思案した後、不敵な笑みを顔に張り付けた。

「私は准将、閣下は少将。そしてここは軍隊だ。ならば、それ相応のものの頼み方というものがあるのではないですか、『クラウス・フォン・バールクホルン教官殿』」

「──命令か。そうなのだな、『バッハムルク・フォン・ノクトバーン学生』」

 クラウスは書類にペンを走らせた。

 規定どおりの、これ以上なく格式ばった命令書。

 その文は、いささか修飾語過多にも思える。

 どん、と音をたてて判を捺したできたての命令書を、教師は教え子に手渡した。

「頼む」

「お任せあれ」

 教範に載せれるような美しい敬礼の後、ノクトバーンと旅団の幕僚連中は速やかに行動を開始した。


 これはまいったな。と、ホルフス少尉は思った。

 ホルフスの指揮下とされた第六小隊は、すでに彼の視界に確認されるだけの人数しかいなかった。

 兵の手前叶わぬことだが、「そんな莫迦なことがあるか」と叫んでしまいたかった。

「さて」

 しかし彼は職務に忠実な若者だ。

 溢れる愚痴を棚にあげ、辺りを見回した。

 場所は階段前。

 上に続く階段の先には扉があり、そこから地上に出られた。

 つまりここは地下一階である。

 下に続く階段は、暗くてよく見えなかった。

 ただ感じる空気の振動からわかるのは、あの闇の先で部下が、顔を見知ったものたちが屠られているという現実だけだった。

「まあ、とりあえず。全員、銃杖用意」

 ホルフスは男どもに号令をかけた。

 数人の兵がガサゴソと作業するのを横目に、ホルフスは自分の銃杖をついて持った。先端の宝玉部──この宝玉は術具廠じゅつぐしょうで生成された人工のものだ──に手を置く。

 構築していく術式は頭部、脳髄の奥から腕を通り、掌から注がれる。

 そして、宝玉部から処理の施された鋼の杖身に蓄積されていった。

 術式込めが終わると、今度は銃杖を横に持つ。

 持ち手近く、銃杖の右側面に撃鉄が取り付けられていた。

 撃鉄には適当な大きさの魔石が挟まれている。

 ホルフスはそれをカチリと撃鉄の爪と内部の逆鉤が引っ掛かる音がするまで(二回鳴るうちの一回目のところまで)起こした。

 次に撃鉄の前部にある当たり金を開いた。

 当たり金で閉じられていた部分には、術陣が刻まれていた。

 術式の発動の際は、まず引金を引くことで撃鉄が落ち、取り付けられた魔石と当たり金が擦れる。

 すると火花──厳密には違う現象だが、伝わりやすいのでこの表現が用いられる──が発生する。

 当たり金は撃鉄との衝突で開かれるから、解放された術陣が火花に反応し、晴れて術式が宝玉部より撃ち出される。

 以上が、この一〇〇年程の一般的な銃杖の仕組みだった。

 この仕組み自体は、実は二〇〇年ほど前からあった。

 しかし、術式発動に必要な術陣の精度が当時ではまだ不十分で、せいぜい青血貴族たちの狩り道具にしか使われないものだった。

 それを解決したのが歴史に名を残す好事家オタク、グレゴリー・ブラウストン侯爵だ。

 侯爵はその趣味の一環で、術杖用の陣の改良を成功させたのだった。

 それが、百と十年ほど前の話。

 以来、魔力と魔石のあるかぎり撃ち続けられるこの方式(正式には石陣発式という)は魔族の兵隊と辛苦を共にしてきたのだった。

 さて、術陣の状態を確認したホルフスは、当たり金を閉じた。

 見ると、兵たちも術式込めの作業を終えたようだった。

「それで、少尉殿。どうすりゃええですか」

 兵のひとりが尋ねた。

 その目には、どこか試すような色があった。

 彼はそこそこの昔から兵隊稼業を営んでいる。つまり、幼さといってもいい青さが面影に残るこの少尉を、兵は品定めしているのだった。

 ホルフスは「うん」と頷くと、上下両方に伸びる階段を一瞥し答える。

「そこの階段から敵があがってくるのも、そう時間がないだろう。地上にでて向こうの敵と合流されちゃ面倒だから、ここが最後の叩きどころってわけだ。つまり、僕らはここの階段前にて戦闘を行う。僕の号令しだいで術式一斉射撃。その後は白刃術式を展開し、白兵戦に入る」

 ホルフスは不意に口角を吊り上げ、凶笑を張り付けた。

「しかし、まあ。白刃振りかざしての取っ組み合いとは。これぞ、我ら歩兵の本領といったところか?」

 兵は少し目を見開いた後、口角を微かに上げて「なるほどね」と呟いた。この士官は悪くない。そう思ったからだった。

 誰かが「伝令、伝令」とわめきながら駆け寄ってきた。

「どうした」

「第三中隊長のラガルト大尉殿が戦死なされました!」

「それはなんとも、キツい状況になってきたな。他になにか、愉快な話はないのか」

「え、あ、ええと」

 伝令の伍長は言いよどむ。

 何か隠しごとだろうか。そうならば彼は隠すのが下手くそだった。

「どうした」

「ええと、ちらりと伝え聞いただけなので、信頼できる情報じゃないのですが」

「かまわん。言え」

「曰く、近衛第七杖兵旅団はノクターン城塞より後退すると」

「なんだって」

 ホルフスは目をむいた。

「逃げるってのか。僕たち防衛大隊をおいて。いや、ありえない。だって、旅団長はあの宮様だろう。とても敵に背を向けるようなお方ではないと聞くが」

「なんせ噂みたいなものです。とても信用できる情報じゃありませんよ。では、失礼」

 伝令兵はそう言って走り去った。

 いやな情報が流れてきたなとホルフスは顔を微かにしかめた。

 その情報の真偽はともかく、広まれば面倒は間違いなかった。

「うん──?」

 不意に、石床を踏み締めるような音。

 何を思ったのか、ホルフスはサーベルを抜き、振るった。

 白刃は灯籠ランプに照らされた薄暗い空間を舞う。

 何事もなく空を切るかと思われた刃は、しかし金属のぶつかる音と感触を伝えた。

 投げ短刀が、下へ続く階段、その暗闇から飛来したのだった。

「銃杖、術式射撃用意──」

 サーベルを一旦鞘に収め、銃杖を構えながら号令を発する。

 兵たちは一瞬の硬直の後、銃杖の撃鉄をカチリと起こした。

「術式斉射、撃てェ!」

 撃鉄が落ち、魔石と当たり金が擦れて発生した火花で術陣が作動する。

 その一瞬が過ぎると、放たれた術式の光弾は暗闇に吸い込まれ、壁の石材を砕く音を盛大に響かせた。

 外れたか。

 そう考えるのとまったく同時に、ホルフスは白刃術式の展開を命令した。

 銃杖の先端から、魔力で編まれた刃が伸びる。長さは手のひら三、四つ分くらいか。

「来るぞ」

 黒から獣が飛び掛かってきた。

 その勢いで、獣は一番若い兵二人の首を折る。

 灯籠の灯りが獣を照らした。

 それは人のかたちをしていた。

 肌の色はホルフスたちとそう変わらない。

 しかし、長耳族エルフのような尖った耳を持たず、土精族ドワーフのように骨張り、がっしりとした体躯でもなく、粘体族スライムのようにぬめっても、獣人族セリアンスロピィのように毛並みがあるわけでもない。

 それは、やはりヒトだった。

 銅色の髪は灯籠の光を鈍く反射させ、その目はギラギラと光っている。

 ホルフスは息を呑んだ。

 目の前のヒトは野生的な美しさを備えており、薄暗い空間がそれをより際立たせていた。

 彼は術式を撃ち空になった銃杖をその辺に放って、しゃらりとサーベルを抜いた。

 張り詰めた緊張は、ずっと聴こえていた兵の様々な感情のこもった叫び──戦いの音をも打ち消している。

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