困惑の将

 ヤーゼフたちが王都に向けノクターン城塞を立ってから、時計の長針が一周したくらいだろうか。

 音と衝撃、それに混じるいくらかの悲鳴。

 気持ちのよくなるほどの青色を振り撒く空が、光景をより際立たせている。

「なんだ。なんなんのだ、これは」

 昨日と同じ、窓から外を眺める姿勢。

 しかし昨日とは別の、重量を帯びた声色でクラウスは言った。

「惨劇──というほかありませんな」

 やはり昨日と同じように佇む先任参謀は、衝撃で表情筋を動かすこともできずに吐き捨てる。

 城門からご丁寧に敵が三名。見ていて気持ちの良くなるほどの正面突破だった。

 ほんとうに、散歩のような気軽さで歩いてきた彼らは、衛務に就いていた歩兵を切り捨て、押しやり、そして中世から残る伝統様式の正門もろとも吹き飛ばす。

 そして広場にて、雑務にあたっていた兵隊相手に死の叩き売りを始めていた。

 クラウスはぼんやりと思案する。

 報告書には奴らは四名とあった。

 一人足りない。

 耳を澄ませば地下からも戦闘音が聴こえた。広場にいない一名は、恐らくそちらだろう。

「閣下ァ!」

 どかどかと幕僚たちが入ってくる。

 顔色は変わり、彼らが本来持ち合わせるべき落ち着きという財産はとうに売り払われたようだった。

「襲撃です、閣下!我々は、ノクターン城塞は襲撃されています!」

 そうまくし立てる幕僚を、クラウスは虚ろな目で見据えた。

「襲撃──そうか、これは襲撃か。我々は襲撃されているのか」

 何を間の抜けたことを言っているんだ、とでも叫びたそうな目で幕僚はクラウスを睨む。

 不意に、クラウスはかつかつと音を立てて歩き始めた。先任参謀や幕僚連中の注目を浴びながら、棚から小さめのグラス──ヤーゼフたちが使うような濁りのあるものではなく、透き通った水晶硝子でできている上等なもの──と酒瓶を取り出した。

「──閣下?」

 瓶に詰められた琥珀色の蒸留酒はグラスへ静かに注がれてゆく。

 それをクラウスは一口に煽り呑んだ。

「──襲撃、奴ら、ヒトの武装集団、武装の程度は、こちらの現状被害は、ノクトバーン准将は」

「閣下。いや、バールクホルン司令」

「襲撃者は城内か、なら通常の対攻城戦ではなく、もっと、こう、古典的な、戦闘」

 若い士官が飛び込んできた。ずれた軍帽を直しもせずに彼は叫ぶ。

「第一次現況報告、書類できました!」

 クラウスは無言で腕を伸ばした。『その報告書を寄越せ』ということらしかった。

「どうすれば、どうすればいい」

 ぶつぶつと独り言を繰り返すクラウスの精神状態に、ようやく気づいた先任参謀が敬礼の姿勢をとった。

「その書類は駆けずり回った幕僚たちの職務遂行の結果です。彼らは自身に与えられた義務を果たしました。あとは、閣下。司令官として、あなたの決心のみが必要です」

 決心さえ、あなたがすれば。あなたの忠実なる軍隊はその軍務を遂行します。先任参謀は言外にそう告げていた。

「ああ、うん、そうだ。ええと、敵は地下だな」

「はい。そちらは兵隊どもが食い止めてくれておりますが、時間の問題かと。そして、正門から堂々と突き入ってきた方の奴らは、窓からご覧の通りです」

 クラウスは窓のほうに振り向かず、先ほど見た光景を反芻した。

 鮮やかさだけが彼の網膜に焼き付いていた。

 思案しているような溜め息を一つ吐く。

「では隣室に机を並べ、現場指揮官以外の全ての士官を結集させよ。分遣司令部のだけでなく、近衛第七杖兵旅団の士官もだ」

 クラウスは困惑に支配されかけていたが、なんとか残った士官としての理性で命令を下した。

 いまひとつ覇気の欠ける態度は、いずれ部下に苛立ちと不信を与えかねない。

 それをクラウスも理解していたが、彼には自身をどうすることもできなかった。

 不安を打ち消し頭を回そうと酒を少量煽ってみたが、どうにも効果を実感できない。

「では、司令官閣下」

「うん。我々はこれより戦争をする。──しなければならなくなった。諸君、仕事をしよう。今できるのは、それだけだろうから」

 クラウスは自信の配分が少ない声で行動の開始を命令した。

 ──クラウスはやはり、学者的な軍人である。彼は部屋にこもって学書のページを捲るべき人物であり、そんな彼を司令官にしてしまった軍監部の人事は、失敗というほかなかった。


「司令官閣下」

 部屋に灰猫が入ってきた。それに続き、近衛第七杖兵旅団の主だった士官がぞろぞろと入室する。

「士官連中を一つに集めるというのは、いったい何のおつもりですか。士官自身が現場に出向き、声を飛ばして指揮する。それが戦争のやりかただと私はあなたに教わったはずです」

 彼の毛並みは微かに逆立っていた。

「ああ、准将。いや、こんな状況だ。混乱による指揮機能の分断は避けねばならんと判断した」

「それはそうでしょうが」

「准将、きみの旅団の具合はどうか」

 ノクトバーンは違和感に眉をひそめつつ答えた。

「一個中隊弱、百数十人ほどが食われました。そこの広場で作業の最中でしたので、五分も持たなかったと。しかしその程度です。我が旅団は健常といえるでしょう」

 旅団は六〇〇〇ほどの兵隊と士官で構成されている。彼らにとっての百数十の損害とは、まだ許容の範囲内だった。

「では近衛第七杖兵旅団は衆民の混乱収束にあたれ。城内の対応は防衛大隊で事足らす」

「大隊、おおよそ六〇〇人の歩兵で果たして持ちますか。なんとか食い止めてはいるものの、地下二階より下は血海となっております。うちの旅団から一個大隊抽出して、城塞内防衛に当たらせましょう」

 ノクトバーンは髭をひくつかせて言った。それにクラウスは静かに首をふる。そしてノクトバーンの手を掴むと隣の部屋、司令官執務室に連れ込んだ。

「なんです。さっきから変ですよ、クラウス先生!」

「准将。わたしも、そしてきみ自身も忘れやすいがね。貴官は王族だ。王弟殿下と呼ばれるやんごとなきお方。どこまで将であろうとしても、それは変わらない事実だ」

 そう言い切ったクラウスに、ノクトバーンはひどく悲しい顔をして、そして怒気を孕めた声でいった。

「それは、そんなことを言っている場合ではないのではないですか。バールクホルン少将閣下!いま、我々は襲われているのですよ?動かねばみな死にます」

「頼む。わかってくれ」

「わかりませんな」

「学生の頃のきみはもう少しものわかりがよかった」

「今は旅団を預かる国軍准将です。現実的な思考ができるようになったのですよ」

「──情けない話、私は汚名を着るのを恐れているのだよ。『かしこくも王弟殿下率いる旅団』を使い潰す真似はしたくない」

「遊兵をつくるのは愚行そのもの。あなたの言葉です。先生、それを自身の手でなさるのですか。あなたが愚行と言い切ったその判断を」

 両者、だんだんと声が激しさを増した。

 隣室の士官連中が不安の視線を向けるのが、扉を突き抜け伝わってくる。

「旅団の部隊を使ってください。衆民の避難は残りの部隊で賄えます」

「ならん。後の事を考えれば、旅団は可能な限り無傷でおいておきたい」

「慎重主義、輪にかけてひどくなりましたな」

「年をとったのだ。そうもなるだろう」

 空間は静かだ。

 しかしその圧力はきつくなっていく。

 兵の絶叫がきこえた。

 術式が着弾する音も。

 彼らの足元では、みるみると命がその数を磨り減らしていった。

 時間は残されていなかった。

「──なるほど、閣下の御意向は理解しました」

 大きくはいた溜め息の後、ノクトバーンが言った。

「それを踏まえ、考えがあります。取り敢えず、隣に戻りましょう」

「准将──」

 ああ、やはり。私なぞより君の方が優れた将だ。

 クラウスは教え子に対し、誇らしさと劣等感を混ぜた感情を抱いた。

 一方のノクトバーンも、やはり澄んでいるとは言い難い感情を渦巻かせていた。

 先生、あなたはやはり、ここで責任者を務めるような人ではない。将には向いていない。

 その一言を、しかしノクトバーンは飲み込んだ。さすがにそれを言うことなど、彼にはとてもできなかった。

 数分の後、二人は執務室から隣室に戻った。クラウスが進行を止めたことに「すまなかった」と謝罪してから、軍議は続いた。

 ノクトバーンが発した再開の第一声は、部屋に衝撃と困惑をもたらした。

 それは、このようなものだ。

「──旅団を城塞より後退させる」

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