学者少将と飛竜乗りの大尉

 四月一五日の午前第十一刻半。

 ヤーゼフらは予定より遅れてノクターン城塞に到着した。

 払暁に降りた露で飛竜の翼膜よくまくが湿り、野営地からの出立が遅れてしまったのだった。

「軍監部より文書のお届けです」

 ヤーゼフは敬礼し、封筒を手渡す。

「うむ。確かに受け取った」

 吹かした細葉巻を皿に置き、クラウスは両手で封筒を受け取った。

「貴官、名前は?」

 クラウスは訊いた。一瞬の硬直の後、ヤーゼフは答える。

「ヤーゼフ・シルヴィウス大尉です」

「シルヴィウス──ああ、あの報告書を寄越した中尉とやらはきみか!」

「ええ、まあ」

 クラウスの豹変に、ヤーゼフは困惑した。

 先程までは老健の将といった趣だった目前の男は、いまや新たな史料を見つけた学者のように喜んでいる。無理もなかった。

 クラウス・フォン・バールクホルン国軍少将がここの司令官になるまでの軍歴は、到底将軍らしからぬというべきであった。

 大佐の頃は、まだ王族ではなくただの猫人だった王弟ノクトバーンに戦争の仕方、士官の立ち振舞いといったものを教え込んだ士官学校教官。

 准将の頃は、士官学校の校長。

 少将の階級章を着ける頃には軍監部戦史研究部長。

 そろそろ中将か、早めに隠居して軍学書を読み漁るかといった頃合いで竜下の虐殺が起こり、『地方軍分遣司令部司令官』という権限のいまいちよくわからない役職(そもそも、司令部機能を分割するということ自体非合理の極みだとクラウスは思っていた)を拝命するといった軍歴を歩んできていた。

 以上の経歴からわかるように、彼は軍きっての学究肌。

 人文系科学の道を歩む学者になるはずの若者が、いくつかの偶然性の積み重ねの果てに軍服を着て、いつしか将軍の椅子に座っている。

 彼はそういった人物だった。

「正直、きみに訊きたいことは山程あるが、今は忙しい。大尉、一つだけ、貴官の経験に訊きたい」

 クラウスは自身が時間を十分に持ち合わせてないことを心底恨めしそうな顔で言った。よほどこの騎竜兵大尉に興味があるのだろう。

「答えられる範囲であれば」

「大尉、上空から城塞の陣地配置の様子は見ているか」

「さらりとは見ました」

「奴らとの戦闘を経験した士官として、どう思う」

 どう思うと訊かれても。とヤーゼフは思った。

 そんなこと、さっきから隣に立っている参謀らしき士官、つまり専門家の前で言えとは。ヤーゼフとしては微かに笑みをひきつらせるしかない。

 それに、ヤーゼフはベルマーリでのあれをやっぱり『戦闘』とは思いたくなかった。

「小官はしがない飛竜乗り風情ですので。陣地うんぬんは一応士官学校で習いましたが、歩兵の皆さんと比べたら素人のようなものですよ」

 精一杯の回避を図る。しかしその健気な試みはこの学老には無意味だった。

「なに、かまわん。率直に述べよ」

 ここまで言われたらもう逃げられない。

 ヤーゼフは仕方なく口を開いた。

「では」

 わざとらしい咳払いを一つ。

「堅実に組まれておりますな。地方軍分遣司令部の機能の下に旅団が一個とそれに附随する支援部隊がいくつか。それにこの城塞を充てれば、敵が普通の師団、あるいは一個小軍程度ならば、ここは十分にその役割を果たせるでしょう」

「ほう」

 先任参謀が口を挟んだ。

「まるで敵が我々の常識を大きくはずれているとでも言いたげだな、大尉。なのか」

「はい、大佐殿。です。ベルマーリでは夜間の飛行を強いられ、こちらが不利な状況でしたが、それを抜きにしてもあれはまともではありません」

 思い返せば思い返すほど、彼らの強さは脚色されるように思える。

 しかし実際彼らと相対したヤーゼフには、それでも用心が不十分に考えられた。

「このようなことを言えば冒涜でしょうが、我々が培ってきた軍事常識、技術のほとんどが通用しない可能性すらあります。我々が待ち望む──失礼、普段想定しているまともな戦争なぞ、望むべくもありません」

 二人の士官は押し黙ってヤーゼフの弁を聞いていた。

 先んじて静寂を抜け出たのは、クラウスの方だった。

「シルヴィウス大尉。つまり、なんだ。やりようは無いのか。一個旅団六〇〇〇人、諸々含めて六七〇〇人の兵隊を擁するノクターン城塞でも、為す術はないと」

「やりよう自体はあるでしょう。ただ、そこにどれほどの血肉と術式を撒き散らすことになるのか、とても保証はできません」

 無言で注がれる二人の視線。

 時計の長針が一目盛りも動く頃には、ヤーゼフはそれに堪えきれなくなっていた。

「ま、まあ、参謀飾緒をぶら下げてるわけでもない、ただの騎竜兵大尉の言葉です。情報としての信頼性など、たかが知れてますよ」

「うん。大尉、じつによろしい会話ができた。ありがとう」

 クラウスはにまりと笑った。

 それを見て、ヤーゼフはしまったなと思った。

 クラウスのそれは、今の会話を今後何かに役立てる算段をつけている顔だった。

 ヤーゼフは、この期に及んで「何か自分に不利益な言質をとられていまいか」という心配から冷や汗を垂らしていた。

 突然、正体のわからぬ悪寒がヤーゼフを襲った。

 夜道に幽霊がいないか確認するような様子で当たりを見回す。

 もちろん、首を傾げるバールクホルン少将と先任参謀を放っておいてだ。

 悪寒は酷くなっていく。

 保身の心配からはじまった冷や汗はいつしかその量をふやし、それで下着が肌に張り付いて気持ち悪かった。

「大尉、さっきからどうした」

「いえ──」

 ヤーゼフは、この正体のわからない悪寒のことを言ってしまおうかどうか迷った。

 「いやな予感がする」と伝えたところで、それはろくに戦場にでたことの無い(もっとも、それに関しては他の士官も似たようなものだが)大尉の予感に過ぎないし、言ったところで、起こるのは城塞の軍糧庫ぐんりょうこに鼠がわいたとか、便所の調子が悪くなって困ることになるとか、そういうことかもしれないのだ。

 だから、ヤーゼフは言わなかった。

 言わずにいてしまったのだった。

「──何でもありません。きっと気のせいでしょう」

「そうかね。ああ、大尉。これから王都に戻るな?」

「はい」

「少し待っていてくれ。確か、うちの幕僚が軍監部に提出する書類を持っていたはずだ。よければ、届けてくれないだろうか」

 ああ、それならばとヤーゼフは頷いた。

「もちろん、承りましょう」

 なんだかんだといって、少将らとの会話が楽しかったらしい微笑みだった。

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