古城にひしめく者ども

 ノクターン城塞は喧騒に満ちていた。

 その発生源は、しかし集結した軍部隊からではない。

 カゴにパンを入れ、種籾たねもみを入れた大袋を背負った衆民しゅうみん。本来配置された部隊が天幕やらを設置しなければならない城内広場に、それは蠢いているのだった。

「おい、先任参謀。何だね、あれは」

 この古城の一時的な城主、もとい第三地方軍分遣司令部司令官、クラウス・フォン・バールクホルン国軍少将は不機嫌さを隠さず言った。

「魔王国衆民です、バールクホルン閣下」

「それはわかっておる。何故彼らが、部隊の天幕設営地を占拠してたむろっとるんだ」

「閣下、それは、ええと」

 先任参謀はいいよどむ。しかしクラウスの吐いた紫煙に苛立ちの色がまじっていることに気づくと、おずおずと話はじめた。

「そのですね、閣下。噂のせいかと」

「噂、だと?」

「はい。曰く、『ヒトが魔族を殺してやってくる』と。それも、ベルマーリからここに繋がる細い商業用路を通って」

「噂もなにも、ほんとうのことではないか」

 クラウスは呆れた声で言った。

「事実だからこそ、辺境衛隊は地方軍に再編され、われわれはこうして古城に陣取っている。奴らがここに来るなら来るで、迎え撃つ用意をせねばならん」

 ノクターン城に配置されて以来、部下になんども言い聞かせていることだった。同時刻にヤーゼフが気づいた事柄を、それよりも若干早い時期にクラウスらは見出だしていたのだ。

 六〇も後半に差し掛かり、老いと共に濃くなる顔の皺をより深めながらクラウスは言葉を続ける。

「用意をせねばならんが、これではできん」

「はい、閣下」

「はいではない。追い出せんのか」

 先任参謀は諦情の念を込めて首を振る。

「憲兵中隊が呼び掛けてますが、どうにも。それに、彼らは軍に保護を求めてここに来ています。軍法によれば、国軍は魔王国衆民を守護する義務があり、よって──」

「もういい。あーあー、出店まで出来てるではないか」

「閣下、進言を。今思いつきました」

「聞こうか」

「城の東に空き地があります。籠陣戦に備えて物資の集積所にする予定でしたが、あそこに天幕を立てて衆民らにあてがいましょう」

「天幕の数は足りるか」

「兵站幕僚に訊いておきますが、足りなければ補給要請を出せばよろしいでしょう。我が国の誇る強固な兵站機構に、今こそ役に立ってもらうべきです」

 ふむ、とクラウスはうなる。

 机の地図と窓の外を交互に眺め、先任参謀の案がもたらす利点と不利点を天秤にかける。

 城内広場が空けば城塞の陣地化作業が進む。しかし東の物資集積所が使えないとなると、ここでの長期戦は絶望的になる。

 本音のところ、クラウスにとっては押し掛けた衆民が邪魔でしょうがなかった。

 時計の秒針が一と半周もしたころでクラウスはようやく決断したのだろう。命令書を作成し始めた。

「よし、その案を採用する。が、少し手を加えるぞ」

如何様いかように」

「なに、ただの注文だ。その呼び掛け、かのお方にしていただこうと思ってな」

「え、ああ、あのお方ならば、確かに請け負っていただけるでしょうが」

 先任参謀は心配の念を浮かべる。しかしクラウスはあえてそれを気にせず命令書を押し付けた。

 本来ならば部下の不安は丁寧に払い除けてやりたいのだが、それをする時間という贅沢は最早彼らには残されていない。

「ではこれを憲兵中隊長に」

「了解しました」

 そうして分遣司令部の長の署名がなされた紙切れを持った先任参謀が部屋を去ろうとすると、クラウスは思い出したように彼を引き留め言った。

「すまんが、その命令書に追記だ。『衆民諸君は我が部隊の保護下におくが、戦闘時の安全は保証しかねる』。大きく、なんなら赤墨せきぼくで書いておけ」


 バールクホルン少将が『かのお方』と称したのは、魔王国王弟おうていであるノクトバーンのことである。

 兄とそっくりの灰色の毛並みを持つ猫人びょうじんである彼が偶然ノクターンにいるのは、自らが指揮官を努める近衛第七杖兵旅団(近衛と接頭詞がついているが、王都近衛騎士団部隊ではなく王族が指揮するという意味である)が、ここに配置されているからであった。

「で、その呼び掛けを私にしろというのか。憲兵大尉」

 頬から飛び出たヒゲを揺らしながら、ノクトバーンは言った。

「はい。王弟殿下の呼び掛けならば、衆民も従う耳があるだろうとのことで」

 腰を深く折り、最敬礼の姿勢をとった大尉を前に、ノクトバーンは「にゃはは」と笑った。

 そして憲兵大尉の顔を見て、穏やかな、しかし芯の強さをもつ声で彼は言った。

「まったく、クラウス先生も猫使いが荒い。委細了解した。すぐに動こう」

「感謝します、殿下」

「ああ、大尉」

「はッ」

「できれば、殿下ではなく准将と呼んでくれ。王城ではそれでかまわんが、ここでの私は近衛第七杖兵旅団の旅団長だ」

 その眼差しには、やはり確かな芯の強さがあった。王弟という椅子よりも、国軍准将としての階級を好む。王弟ノクトバーンとは、そういう人物であった。

「失礼しました。准将閣下」

「うむ。では行こうか。副官、少し旅団司令部を開けるぞ」

 傍に控えていた旅団長附副官は静かに頷く。端からみても、確かな信頼関係が窺えた。

 後年、歴史好事家オタクでもあったこの憲兵大尉は、手記にてこう語っている。

『王弟殿下は、実直の人であった。旅団の士官や兵隊の、この骨太の宮様みやさまに対する信頼というのは王都の近衛とよい勝負である。それでいて、その軍才もけして生半可なものではなかった。旅団長の次は軍監部参謀長ではないか、という噂は、魔王国軍将兵のよく知るところであった。軍人よりも軍人らしいこの王族の性格は、お父上たる猫将びょうしょうスヴォーロフに通じるところがあった。』


 呼び掛けの効果は、絶大なるものがあった。猫人特有の大気を揺るがすような雄叫びは、否応なしに人の注意を引くのだ。

 誰からともなく言い出した「王弟殿下万歳フラール・ブロウイェンペル!」の合唱、それを奏でる楽団は城塞の広場から東に移った。

 そこからの行動は迅速というほかない。阻害されていた城塞の陣地化は速やかに遂行され、日も暮れる頃には衆民のほとんどは天幕の下にあった。

 住民が避難してがら空きになった村や町から難無く食糧を調達し、英気万全、部隊として持ち得る戦闘力の大方を発揮可能になったヒトの一行は、城塞より十数レーグの場所まで迫っている。

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