2nd Dragoncavalry Battalion 2

 四月一三日午前の空は、春曇りの淡い鼠色を映していた。

「どうです、あれ」

「どうって、駄目じゃないか。少なくとも下士官としては」

 新任の下士官。その能力をみてみようと、第一中隊が行っている統制飛行訓練。

 その想定された戦場下において、ヘルゼルは辛い評価を下されていた。

 空を飛ぶ竜の隊列は綺麗だった。その点、ヘルゼル伍長はだてにあの戦闘を潜り抜け、ヤーゼフについて行ってはいない。

 しかし、下士官として部隊の統制を掌握できているかと訊かれると、不安の色を浮かべながら目を逸らさざるを得ない。

「兵としてなら、彼は十分です。軍に入って長くないにしては、あれは実に優秀ですよ」

 第一中隊副長の中尉は残念そうに言った。そう、「兵ならば」。彼が一介の兵隊ならば、こんな評価はされずに済んだことだった。

「腹立たしい」

 中隊長のグランゾス大尉が吐き捨てた。

「彼を兵に留めなかった奴が、ですか?」

「彼はベルマーリの生き残りだそうだ。

 大方、下士官に昇進させて、給金を上げてやりたかったのではないかな。

 そして腹立たしいのは、自分が彼の上官でもそうしただろうということだ。

 無理やり昇進させてでも生き残らせたかった。兵として使い潰すのは惜しい。

 彼の上官はそう考えたのだと思う」

 中尉は頭上を泳ぐヘルゼルを一瞥し、同意した。

「まあ、確かに。潰すには惜しい人材ですね、ヘルゼル伍長は。育てればかなり良い軍人になります」

 グランゾス大尉は竜の息吹きのように紫煙を吐き出す。それには先程とはうって代わり、微かな期待の色が込められていた。

「副長、あれを使える下士官にするのにどのくらいかかるかね」

「彼を育てる時間が、果たして私らに残されているかどうかは別として、短くて半年、無理をして三ヶ月もあれば」

「二ヶ月だ。伍長には死なない程度に無理をしてもらえ。しかし、のびしろのある若者を育てるのは、なかなかに悪くない気分だ」

 グランゾスは笑声を漏らしながら中尉の肩を叩いた。強めに叩かれたのか若干よろけた中尉は、文句を言ってやろうと口を尖らせる。

「二ヶ月ですか?そんな無理難題、軍監部の六〇年ものの椅子に座ってた頃は言われませんでしたよ。大尉殿」

「ここはお役所的軍務をする軍監部ではない。実戦に供される立派な戦闘部隊だ。士官なら、そこは弁えなくてはならん。それに、なんだ。できないとでも言うのか?中尉」

「それこそ冗談じゃない。やってみせます。まあ、血反吐を吐くことになるのは彼の方ですが」

 そうして二人は空を見上げた。ヘルゼルは相変わらず丁寧な飛びかたで軍服の裾をたなびかせていた。


 淡い曇天とゆるやかな気圧の降下に支配されていた一三日が過ぎ、一四日の空は蒼さを取り戻しかけていた。

「大尉、シルヴィウス大尉、仕事だぞ」

 大隊長室より足早に戻ってきたバルトケス少佐はそう言ってヤーゼフに書類を寄越した。

「──郵便配達ですか」

 渡された書類──即製された命令書に目を通したヤーゼフは頷いた。便利屋たる第二大隊らしいといえばらしい任務なのだろう。

 文書の高速輸送。それ自体は、もとより飛竜騎兵に期待されていた任務の一つだ。

 しかし懸念は別にある。軍監部参謀部からの麗しいお手紙、その配達先の欄には「ノクターン城塞」とあった。

 王都からみて南南西の方角にあるこの古城要塞には、ヤーゼフたちが元いた第三辺境衛隊を再編した第三地方軍、その分遣司令部が置かれている。

「命令は受領しますが、その前に少し地図を見ても?」

「かまわんが、何かあるのか」

 ヤーゼフはひっぱりだした地図を広げる。指を指した辺りには、『ノクターン』とあり、そのさらに西には、ノクターン城塞より小振りな『エルターン砦』があった。

 ノクターン城塞は建造から二〇〇年は経つが、いまだ軍の管理下で拠点として使われている。

 一方エルターン砦はダメだった。一〇〇年程前に放棄されたこの砦には、獣が棲み、盗人が住み、ごろつきの巣窟となっていた。

 ヤーゼフは指差しを交えながら説明を始めた。

「個人的な心配というか、懸念というか。

 例のヒトの武装集団、まどろっこしいので『奴ら』と呼びますが、ベルマーリの戦闘以降、目立った目撃例はききません。

 つまり、目の多い街道を通ってないと考えます。

 僕が軍監部に提出した報告書の通り──これには皆目を通しているので、周知されたことですが、奴らは畏こくも魔王陛下のお命を狙いたてまつっています。ということは、基本的には北進するはずです。

 ベルマーリより北に向かいたくて、なおかつ人目につかない路程を考えると、奴らはこの街道とも言えないような小さな商用道路を進んでいると僕は予測します。そして──」

 ヤーゼフは掻き消えるような細さで書き込まれた線をなぞっていく。その指は、少し大きめに記入された地名で止まった。

「この道路を進むと、ノクターン城塞に繋がっているのです」

「ふむ。では大尉、きみはノクターン城塞がその『奴ら』に襲撃される恐れがある。そう言いたいのかね」

「はっきりとした提言ができるほどの確信ではありませんが、頭の隅には置いていた方がよいかと思います」

 バルトケスはおろか、途中から幕僚全員が耳を傾けていた説明が終わると、ヤーゼフは士官用の肩掛け鞄に書類やら何やらを詰め込み始めた。

「ま、そういうところが心配ですが、行かないわけにはいきません」

「うん。シルヴィウス大尉、よろしく頼む。随伴の兵は必要か?」

「連れて行って良いのですか?」

「一人二人ならかまわない。必ず、その兵の上官に許可をとってから連れて行くように」

「了解しました」

 ヤーゼフは敬礼し、幕僚部を出た。


「承服いたしかねますな」

 ヘルゼルが配属された第一中隊の副長、メーレスと名乗ったその中尉はずれた眼鏡をかけ直しながら言った。

「ヘルゼル伍長はこれより二ヶ月、『使える下士官にしろ』という中隊長の命により、忙しくなる予定ですので」

 中尉の言葉に、ヤーゼフは反省を覚えた。

 ヘルゼルの兵士としての素質は不安なところがなかったが、下士官としての素質はまた別。

 それを無視して彼を伍長にしたのは、他ならぬヤーゼフ自身だということを改めて自覚したのだ。

 しかし、ヘルゼルならば。彼ならば、あるいは下士官の要領もすぐに得てしまうのではないか。そうヤーゼフは考えた。

 その点、ヤーゼフはヘルゼルに対し、確かな信頼を抱いている。

「了解した、メーレス中尉。伍長によろしく伝えておいてくれ」

「ええ。そのくらいは」

「それと、ヘルゼルが正式な手順で下士官に昇進してないことは、全て私に責任がある。迷惑をかけてすまない」

 ヤーゼフは頭を下げると、メーレスは数瞬きょとんとしていたが、すぐに「いえ、これも軍務の範疇です」と言って兵舎に戻って行った。

 ともかく、連れていこうとしていたヘルゼルは来れない。

 一人で行くかとも考えたが、何かあったときの対応に幅をもたせたかったヤーゼフは、第三中隊から二人連れていくことにした。

 中隊長のアルバルト大尉は快諾してくれたので、めでたく、ヤーゼフ以下三騎の飛竜は南南西へ進路をとることと相成ったのである。

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