物語のはじまり

 ヤーゼフ以下、第一騎竜兵中隊残存兵五名と五頭が第三辺境衛隊司令部に駆け込んだのは、四月六日の午前零時をまわったころだった。

「第一騎竜兵中隊のシルヴィウス中尉です。衛隊司令のクルスト中将を」

「は、はい、中尉殿。少々お待ちを。療務兵、来てくれ!怪我人だ!」

 驚愕と怯えを隠さずに走っていく若い少尉を眺めて、ヤーゼフははじめて自覚した。

「そうか。僕たちは戦って、負けたのだな」

 笑いもせず、泣きもせず、ただ無感情にヤーゼフはいった。


 医務室に連れていこうと軍服を引っ張る療務兵を「報告が先だ」の一点張りで引きずり、ヤーゼフは司令官の執務室に向かう。

「失礼します。第一騎竜兵中隊のシルヴィウス中尉です」

 入室許可を待たずに部屋に入る。クルスト中将は目を見開いて、動かしていたペンを止めた。

「おい。その、それは、くだんのヒトか?」

「はい。やられました」

「部隊は、エルビスの奴はどうした」

 ヤーゼフは一瞬の躊躇いの後、直立不動の姿勢をとった。

「第一騎竜兵中隊はヒトの武装集団による襲撃により、中隊長以下、附属ふぞく部隊を含む部隊の八割の損害を受けました。小官はエルビス大尉の命令に従い、残存兵を率いて後退。今に至ります」

 クルストは手を目頭にやって黙考する。

 ヤーゼフはその姿にエルビスの面影を連想した。

 それもそうだろう。士官学校で少尉候補生だったエルビスに士官とはなんたるかを叩き込んだのは他でもない、当時教務中佐だったクルストなのだ。

「うん、シルヴィウス中尉、了解した。委細は書面できこう」

 クルストは目線で退室を促した。腹部の傷の痛みで脂汗を滲ませていたヤーゼフは、素直にそれに従う。

 退室の寸前、クルストは声をかけた。

「中尉、あまりうちの療務をいじめてくれるな」

 その言葉にヤーゼフが部屋の外を覗くと、脱走した猛獣を捕らえんとする猟師のような眼光の療務兵たちがヤーゼフを囲んだ。

「中尉殿、一つ忠告を。我々療務兵の前では、怪我をしていれば階級など関係ないのですよ」

 どこか冷酷さすら感じさせる療務准尉の言葉を最後に、ヤーゼフの意識は途切れた。


「わりと深いですね」

 怒っているのか、療務兵はぶっきらぼうな雰囲気で言った。

 ヤーゼフはというと、寝台でぐったりしている。

 さすがのヤーゼフも、戦闘の後に傷口を弄りまわされては疲れるのも当然だ。

「療促術式で傷口はふさげますけど、中身となったら話は別です」

「じゃどうするんだ」

「クセルクセスの軍療院で診てもらいましょう。あそこに詰めてる療務士官なら、僕らよりやりようはあります」

「クセルクセス?あんなとこまで飛んでいけと?」

「冗談言わないでくださいよ、中尉殿。そのお腹じゃ飛竜の離陸に耐えられませんよ。衝撃で傷が開いて、内臓ボロリです」

 療務兵は道具やら術薬やらを手早く片付けて、毅然といった。

「療務准尉殿と相談してきます。動かないでくださいよ」

 そう言って彼は隣の部屋に去っていった。

 誰もいないことを確認して、ヤーゼフはぼやく。

「そりゃあの時の行動は報告が優先だと思ったからで、僕は子供みたいに落ち着きないわけじゃないぞ」

 ぼそりと言ったそれは、誰にも聞かれていないはずだが、隣の部屋から先程の療務兵がひょっこりと顔を出した。

「動かないでくださいね」

「二回も言わなくてよくない?」


 軍療院では、士官待遇で個室が充てられた。

 こうしたところ、士官という役職が教育の行き届いた貴族の専有物だった前世紀の名残が残っているのだろう。

 もちろん、貴族は貴族なりの苦労があるのだが。

「失礼する」

 軍監部の人事記章を軍服に張り付けたその士官がやってきたのは、ヤーゼフがここに来てから二日後のことだった。

 士官の後ろには、何故だか知らないが、金糸で編まれた飾緒しょくしょをぶら下げた軍監部参謀もついてきていた。

「私は軍監部人事局のチューオン・オクリス大尉だ。ヤーゼフ・シルヴィウス中尉はきみで間違いないか?」

「はい、大尉殿」

「では、魔王陛下よりお預りしている裁権に基づき、貴官に辞令を通達する。受け取りたまえ」

「拝受いたします」

 一緒に渡された小刀で封筒を開封し、辞令書を黙読する。

 読み終わると、ヤーゼフは驚きと少々の呆れの混じった表情を大尉に向けた。

「昇進して中央行きですか」

「ああ。おめでとう、。曲がりなりにも栄転だぞ」

「敗残の士官ですよ」

 ヤーゼフは納得のいかなそうな顔をする。

「それについては、私が説明しよう」

 後ろに立っていた参謀、よく見れば少佐の階級章を付けた土精族ドワーフがいった。

「貴官はな、侵攻集団と戦闘を行った唯一の士官なのだよ」

 それだけでヤーゼフは納得の色を浮かべた。

 確かに、自分以外の士官はあの月夜に落とされた。つまりヤーゼフこそ、魔王国で唯一奴らと相対したことのある士官なのだ。

「経験は金より重い、ということわざを貴官も知っているだろう。軍監部は貴官を王都に置いておきたいのだよ。昇進はそれのおまけだ」

 ヤーゼフは手に持った書類に目を落とした。

 こんな紙切れ一枚で右往左往するような仕事に就いたということを、改めて自覚したのだ。

 案外、故郷で教壇に立つか、司書になって書庫に篭るかしていた方が幸せだったのかもしれない。

 しかしヤーゼフは士官になったことを間違いだったとは思わなかった。

 使命感に燃える。といった性格ではけしてないのだが、ヤーゼフは背負ってしまった士官の義務を果たすことを、悪くは思わなかった。

「委細、拝命します」

 きっぱりとそう言い切ったヤーゼフに、二人の士官は微笑んだ。

「ただ一つ、わがままを申し上げても?」

「一応聞こう。できる限りは叶えるよ」

 ヤーゼフは窓の外に一瞬目をやると、躊躇いをはね除けて言った。

「兵をひとり、一緒に連れていきたいのです」


 二人の去り際、ヤーゼフは質問を思いだし訊ねた。

「少佐殿、以後、情勢はどうなったのですか。ここでは今一つ、様子が掴めませんで」

 少佐は神妙な面持ちを張り付け、言いにくそうに告げた。

「──君らの部隊が壊滅したことで、国軍は治安維持を名目に動員を発令した。すでに辺境衛隊は地方軍へ編制を開始している。なにより、国軍は昨日魔王陛下より軍令を賜ったのだよ」

 水を被ったような衝撃にヤーゼフは襲われた。『もしかしたら』が、現実となってしまったのだ。

「──戦争ですか」

「大尉、これは戦争に限りなく近い動乱だ。けして戦争ではないよ」

「ええ、でも少佐殿。僕らは、魔王国はあれと戦うのですね」

 竜の下の虐殺。

 春の日に起きたそれは、撒かれた水のような混乱をこの国にもたらした。

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